忘却への扉

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痛さを知って

2006-01-08 | 平和を
 身体のあちこちに傷がある。折れたり穴も開いていた。でもそれは大人になってからのことで、病院で治療している。
 子供の頃の傷跡も幾つも残っている。こちらは親にもないしょ。自分でやったのがほとんで、少々のケガはするのはあたりまえだと思っていた。
 先日も年配の男性と同じ話になった。子供の頃の自分でつけた傷の痛さを知っているから、他人の痛みも分かるのだ。そう弱い者いじめは恥だし、喧嘩も加減をしていた。
 男の子は誰もが刃物を持ち道具として使っていた。人を傷つける武器として考えることがなかったのも、自分の痛さの体験からだ。
 自分の刃物での子供のころのケガの痛さが、安心と安全に刃物も使えていることを知っている。生活用品としての宝物だったのだ。
 危険だからと持たせなくなったことで、痛みを感じることは減っているだろう。だが人の痛みが分かる人も、減っていくのではないだろうか。
 現代の子供や若者たちのようなゲームなどではなく、国が始めた本物の戦争での痛みまで聞いている者としては、他人の痛さを無視できる人間が増えなければよいがと気になってくる。