忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

避難先でのいじめ 大人や同級生からも

2017-03-31 | 共に

 【 福島原発事故 同級生の母から 避難先でいじめ 千葉で小6時 】

[ 東京電力福島第1原発事故事故後に福島県から千葉県に家族で避難した高校2年の女子生徒(17)が25日、共同通信などの取材に応じ、小学6年だった2011年に、転校先の小学校で行事の際、同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き付けられ「福島に帰れよ」と言われるなどのいじめを受けたと明らかにした。
 同級生の男児にも「福島の人と一緒の学校は嫌だ」「被ばく者と同じ意見だと嫌だ」などと何度も言われたという。
 女子生徒の父親(49)も、11年に別のきょうだいの授業参観に出席した際、保護者から「福島に帰れ。何しに来たんだ」とやじを浴びせられたと同日証言した。
 女子生徒は12年、千葉県内の別の小学校に再転校。家族は、福島から避難したことを他の同級生に伝えないよう学校や教育委員会に依頼した。
 女子生徒は再転向後、親しい友人以外には福島出身を隠していると言い「福島のいいところを言いたいが、いじめを受けたくない」と話した。]
                                           2017/3/26 地方紙社会面記事より

 ( 忘却への扉 ) 原発事故で避難した転校先の小学校での女子児童(当時小6)が同級生から何度もいじめられ、加えてその母親と両親のどちらも保護者からのいじめを受けたことがあると明らかにした。
 別の学校に再転向後、現在高校2年生。だが、心の傷痕は残ったまま。次々明らかになる避難先でのいじめ。元はといえば国主導の原発建設があり、東電福島原発大事故の原因究明や廃炉への先行き真っ暗な中、早々と政府は原発推進を打ち上げ、再稼働を強行する。
 安全性に不安が残る放射能汚染地域でも限られた優先度合の高い地域の表面汚染土除去作業終了で、地区住民の避難解除、避難地からの帰還を押し付ける。
 ニュースで、この度避難解除となったばかりの、原発大事故発生前は花見の季節になると大勢の観光客が押し寄せた町を取り上げていた。桜並木のある全てが解放されるのではなく、帰還困難区域の放射能汚染の高い部分の立ち入り禁止は続くとのこと。
 28日、大阪高裁は関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた昨年の大津地裁の仮処分を取り決した。再稼働中の伊方原発3号機の運転差し止めの仮処分を求めた広島と愛媛住民の訴えは、広島地裁が退けた。
 原発推進ありきの安倍首相の発言が根本にある。原子力規制委員会の新基準の合理性というが、司法は法の判断で裁いたのだろうか、住民の安全第一ではなく、電力会社や安倍首相らへの忖度(そんたく・他人の気持ちをおしはかること。推察。)が司法の場でもが強く働いているのではとの、官僚的態度を感じてならない。上がこれでは、原発事故での避難者へのいじめをなくせないのではと危惧する。

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権力側による恣意的情報独占に注視

2017-03-30 | 平和を

 【 地 軸 】 2017/3/26 地方紙1面下段コラムより

[ 日本国憲法や、1945年に昭和天皇が署名した終戦詔書の原本が「シンボル展示」されるという。東京・永田町に建設される新国立公文書館。政府有識者会議が先日、整備方針の報告書をまとめた。
 ▲千代田区北の丸公園にある現在の公文書館はほぼ満杯。展示室の温度や湿度を厳格に管理できず、詔書などはレプリカを展示している。新公文書館は書庫の面積を3~4倍に広げ、数十年分の収容力を確保する。
 ▲問題は「器」よりも中身。官僚の選定は恣意(しい)的で、内閣法制局は集団的自衛権行使を容認する閣議決定の議事録でさえ、公文書として残していなかった。将来の検証を恐れたとしか思えない。
 ▲「森友学園」への国有地売却をめぐる財務省の交渉記録や、南スーダン国連平和維持活動派遣部隊の日報も、保存期間が1年未満の「その他の行政文書」扱い。早々に「廃棄」されていた。教訓にするべきは公開済みの結果ではなく、政策決定に至る経緯のはずなのに。
 ▲16年前の情報公開法施行直前には、各省庁で大量の文書が「整理」と称して処分された。官僚たちの間に「文書をつくらず、残さず、手渡さず」の「非開示三原則」は広がったとの指摘もある。
 ▲第4代米大統領のジェームズ・マディソンは「知識は無知を永遠に支配する」と、権力側による情報の独占を戒めた。新公文書館の完成は早くて10年後。中身が空っぽでは、後世に顔向けができない。]

 ( 忘却への扉 ) 安倍政権下の政府有識者会議が新設される新国立公文書館に、[ 日本国憲法や、天皇署名の終戦詔書の原本を「シンボル展示」するとの整備方針報告書 ]。
 安倍晋三首相に対するブラックユーモア?とびっくり。現憲法を守らず解釈改憲を強行し、自主憲法制定という憲法改悪が党是の党総裁の安倍首相。今上天皇の退位希望にしても、政権側の考え優先の、押し付けがましさが見える。
 恣意的(その時々の思いつきで物事を判断する)、忖度(そんたく=他人の気持ちをおしはかること。推察)。どちらも安倍政権の政治に強く働き、動かしていると思える。
 南京大虐殺、従軍慰安婦、など先の侵略戦争での戦争犯罪の数々さえ、歴史から消す日本だから、戦争法や秘密保護法が成立し、共謀罪(旧治安維持法)までが目を覚ます?
 戦争犯罪の証拠となる恐れがと、戦地からの引揚の際兵士たちは、外地で持ち物全てを没収されるか焼かれてしまい、戦友との写真1枚残っていないと知人らも悔しそうだった。
 徹底的に処分したから南京大虐殺も従軍慰安婦や慰安所などの証拠はないとの、戦争を実行した側の自信。だが、私は侵略戦争の戦場で体験した人たちから直接聞いた言葉を信じる。安倍政権下で「廃棄」され、国立公文書館には保存されなくても、私たちが記憶の中に真実を「風化」させず、伝承していく大切さを思う。  
  

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戦中回帰の時代錯誤

2017-03-29 | 平和を

 【 教育勅語 戦前回帰の危険性 】 伊予市 男性( 52・農業 )

 ◇本欄で教育勅語に関しての投稿がみられるが、私も一言述べたい。私は教育勅語を読んだことはあるが、専門家ではない。1948年に国会で教育勅語の排除と失効確認が決議された以上、今の子どもに教えるのは時代錯誤も甚だしいと思う。
 ◇私の叔父は23の時、先の大戦で特攻隊員として沖縄の海で散華した。もし今の若者たちに、叔父と同じように250㌔爆弾を搭載したゼロ戦に乗って片道燃料で敵艦に突入せよと言ったら、何人が応じるだろうか。そんな無謀で不合理な作戦を国策として遂行したのが、教育勅語に象徴される軍国主義教育ではないか。今、それと同じ教育をするのは時代を戦前へ回帰することで危険だ。
 ◇教育勅語を復活させる動きは、私たちを育んだ戦後の民主主義教育を否定することに他ならない。子どもたちを間違った方向へ導かないためにも、学校教育は大切である。その意味でも、教育勅語を教えることは許されない。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 侵略戦争の敗戦により、1948年に国会で教育勅語の排除と失効確認が決議された。その決議は今も顕在であり続けているはず。
 森友学園の園児への「教育勅語」暗記洗脳教育で明らかとなった、時代錯誤の戦中回帰は、この国を揺るがす大きな権力との関りを報道でも見て取れる。
 文科省は2018年度から使う教科書の検定結果を公表した。だが、武力行使の新3要件の詳しい説明や、日本史に近現代史や領土問題、集団的自衛権を巡る世論を二分した問題でも政府見解の明記を求める検定意見が付くなど、政府見解に沿わせる意図を感じる。
 国定教科書を思わせる圧力など、報道の自由=国民の知る権利、子どもたちの心にまで踏み込み、自由に学ぶ権利までもが、権力に奪われつつある。積極的平和主義とは旧大東亜共栄圏の拡大語。教育勅語や戦争を美化し、金儲けの道具とする言葉。危険で不安な兆候の現れだ。

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大人が自らの行いを正す必要がある

2017-03-28 | 共に

 【 教育勅語 学校教材に不適当 】 伊予市 女性( 68・無職 )

 ◇17日付本欄に教育勅語に関する投稿が2本掲載されていた。教育勅語が教える徳目の中には人間として守らなければならない普遍的なものもあるが、勅語自体は天皇や国に忠誠を尽くす国民をつくるのが目的であり、民主教育の教材として学校で用いるのは不適当だと思う。
 ◇今の日本は戦前の教育勅語を教えられた人より、戦後の民主主義教育の中でその自由さを謳歌(おうか)してきた人が大多数である。戦後の自由な民主教育のどこが悪いのだろう。子どもに教育勅語を押し付けようとする意図が理解できない。
 ◇学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題では、学園が教育する幼稚園で教育勅語を暗唱させている教育を「素晴らしい」と共感していた政治家らが、今回の問題が発覚するや否や手のひらを返したように学園理事長を批判していた。これは人として信義に反しないか。子どもは大人を見て育つ。教育勅語より大人が自らの行いを正す必要があるように思う。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 教育勅語の一部を取り上げ、全体を美化することは危険な時代への逆行である。戦前・戦中の洗脳教育に教育勅語は重要な意味を持っていた。
 その教育勅語など国家神道のよみがえりを狙うのが、安倍首相の支援組織である、日本会議と神社本庁。その日本会議大阪支部の役員だった「森友学園」の籠池理事長。
 今回の国有地払い下げ問題が発覚するまでは、何度も現地で講演していた昭恵夫人から聞いたと、首相も籠池氏の「教育方針の素晴らしさ」を語っていた。
 日本会議や神社本庁系の議員が同類の籠池氏に共感するのは、同じ洗脳を受けた仲間で当然のこと。問題発覚で手の平を返したのは自分かわいさ、人としての信義など元来ありえないのでは。

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できるだけ良いところを見て

2017-03-27 | 共に

 【 お互いを認め合う言葉大切 】 松山市 女性( 60・ピアノ教師 )

 ◇野菜や果物などは、おいしそうに見えて味わってもおいしいもの、かんでいるうちに味の出るもの、また「どうかな」と思ったものでも口にするとおいしい場合がある。そこで生産者の方々の苦労を思ったり、それぞれの持ち味に気付かされたりもする。
 ◇人間関係でも第一印象は大切だと思う。が、それで相手のことを決めてしまわないようにしたい。お互いにできるだけ良いところを見て柔軟に対応することが理想だろう。職場、友人、近所、家族いずれの場合もちょっとしたねぎらいの言葉をかけながら少しでも心地よい関係を保ちたい。
 ◇しかし、注意や助言、お断り、お願いなど言わざるを得ないようなこともあるだろう。その場合は言い方に気をつけることが大切だと思う。人間の心は一言によって明るくなったり暗くなったりする。お互いの存在を認め合う「ほんの一言」を心に置きながら人間関係を考えていけたらいいなと思う。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 歳を重ね、多くの人との出会いと別れも経験した。若いころ、年上の人から注意されたことを、未だにうれしい想い出の中にしまっていたりする。
 歳の差のある年上の人との関係が深かった。話し上手でも聞き上手でもないけど、なぜか個性の強い人なのは今も同じ。私のせいではなく相手の人柄に恵まれていただけだろう。
 心の中では家族や身近な人たちに、感謝やねぎらいの言葉をかけたいとは思っていても、「ほんの一言」を言葉にできない自分がもどかしくもある。

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まずは盗撮?から

2017-03-26 | 日々

                         [ 向きを 変えてみました。]

 いつものシャッターチャンスを避ける姿。「写されるのが怖い体験があるのかも?できるだけカメラを隠し、いつもの笑顔でパチリ。少しずつカメラも見せ、ならして行く。写させてくれれば喜び、ほめてやる。」 フラッシュにも、そのうち慣れると思うけど。

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治安維持法「共謀罪」被害の体験

2017-03-25 | 平和を

 結局のところ「共謀罪」も、自民党は付随与党の公明党は追認した、安倍晋三首相の暴走に対し、一応、自民党も計算ずみの言葉も発する。支持母体である創価学会の理解を得るためだろうか。だが、毎度同じ田舎芝居の繰り返しでは、見せられる方も飽きてくる。
 私の周囲にも学会員は多数いる(いた)。日蓮正宗信者の学会員から、(池田)創価学会員に公明党員まで、いろいろ聞いた。長い「学会員」ほど平和の大切さなどよく言っていた。政治に深入りしていなかったころのこと。私も聖教新聞の購読や地区総会など行事に出かけたこともある。学会の本も持っている。
 自民党を批判していた公明党がどっぷり、日本会議や神社本庁といった極右系ともいわれる紛らわしい組織と一体化?しつつある安倍政権にどこまでしがみ付いて行くのか。
 今の学会、公明党を理解するのは無理がある。日蓮正宗信者で初期の「創価学会」につながる基礎を育てた、牧口常三郎と戸田城聖(第2代会長)の名や教えとの大きな矛盾が問題にならないのも不思議。
 1943年、治安維持法と不敬罪で牧口・戸田は同日に逮捕されている。牧口は機関誌の廃刊を2回、戦時下の特別高等警察に監視されながらの活動。
 伊勢神宮の神札を祭ることを拒否し治安維持法並びに明治神宮に対する不敬罪で逮捕。一連の弾圧で21名の幹部が検挙された。牧口は獄中で死亡、戸田は敗戦まで獄中にいた。
 「共謀罪」と治安維持法に類似点は多い。恣意的捜査、逮捕が行われる可能性は高い。過去の弾圧を思い起こしても、「共謀罪」を、成立させてはならない。権力側にいる限り、弾圧の危険から組織は守れる。だが、一般市民はどうなってもいいのか。

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遠く離れたこの地では

2017-03-24 | 共に

 【 愛媛に転居後も原発に不安 】 松山市 男性( 60・鍼灸=しんきゅう=師 )

 ◇目の前の光景が現実のものとすぐには理解できなかった。前日までたくさんの人々が普通に生活していた街が広大な湿地帯のようになり、人間だけでなく家畜やペットも流されて息絶えている。わずかに体が動いている人もいるが、水が多くて助けにも行けない。
 ◇6年前の3月11日のことが今も脳裏にはっきりと焼き付いており、この時期になると毎日頭痛がする。できれば思い出したくないつらい記憶だ。私は生まれ育った仙台市で被災した。自宅は半壊し、近くまで津波が押し寄せた。もともと地震の多い地域だが歌、ほとんどの家は耐震設計で避難訓練も怠りなかった。でも、自然の力はそんなものではなかった。まるであざ笑うかのようにあらゆるものを消し去った。
 ◇昨年4月、家人の故郷松山市に転居した。自然にあふれ、気候温暖で過ごしやすいのはいうまでもな。しかし、この美しい愛媛で原発が再稼働したのには驚いた。福島の悲惨な状況も、遠く離れたこの地では現実的な話ではないのだろう。人の命が経済より軽いはずがない。]
                 【 東日本大震災から6年 】 《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 安心・安全を考え家族や住民の命の大切さを思うより、今、金儲けができればよいと原発推進を選ぶ人が大半かと思われてもしかたない。
 伊方核発電所の30㌔圏内どころか地元といえる近くで生活しながら、再稼働に目をつむれる不可思議な根性を、理解しようとは思わない。1号機の話が湧き出た当時から非原発(核発電)の気持ちは変化なし。
 6年前、東京電力福島第1原発の大事故が起き、この地の危険を実感したはずなのに、実際に伊方で大事故が起きるまでは、対岸の火事で無関心とは恥ずかしい。核廃棄物も増える一方。
 福島原発事故での避難住民が、国と東電に対し損害賠償を求めた集団訴訟で、前橋地裁は「東電は08年に巨大津波を予見しており、事故は防げた」と国と東電の賠償責任を認めた。上級審が覆すのではと不安。 
 
 

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恣意的捜査が狙い

2017-03-23 | 平和を

 【 地 軸 】 2017/3/20 地方紙1面下段コラムより

[ 安倍政権がごり押しする「共謀罪」法案。議論の中で、首相らが繰り返し言及するのがオウム真理教だ。多くの国民の記憶に鮮明に残る名を挙げ、反対しづらくする狙いが透ける。地下鉄サリン事件からきょうで22年。
 ▲「共謀罪」があれば一連のオウム事件は防げたか―。先週の本紙に、当時を知る弁護士らの見解が載っていた。役に立たず、現行法の適切な運用こそ重要との指摘がふに落ちる。有益とする元検事でさえ、恣意(しい)的捜査を危惧していた。潜む問題の深刻さを思う。
 ▲政府はあす閣議決定を目指す法案について、一般の団体でも活動目的が「一変」すれば処罰対象になるとする。オウム真理教を例示したのはこの点だが、そんな判断を下せる情報を都合よくキャッチできるなら苦労はなかろう。
 ▲変質の兆候をつかむには、ごく普通の団体にも日頃から網を張る必要があることぐらい素人だって見当がつく。通話やメールの「盗聴」などプライバシーに踏み込まれてはたまらない。国民の「ノー」で権力の暴走を止めなければ。
 ▲強引に事を運ぶごり押しの語源は、ハゼの仲間を指す「ゴリ」を捕獲する漁法だといわれる。網で川底の小石もろともかき取ったり、わら束や木の棒で驚かせて網に追い込んだりと、かなりの力業。
 ▲政権のごり押しは、思想や表現の自由をはじめ、市井の人々の平穏な暮らしを脅かしかねない。網を広げて目を光らせるのは、伝統の漁だけでいい。]

 ( 忘却への扉 ) 3月21日、「共謀罪」法案を、強引に自民・公明の安倍政権は閣議決定した。今国会会期中での強行採決が、欺瞞の議席数の力で可能となる。
 政府は2020年の東京五輪を見据えたテロ対策を根拠にするが、だとすれば時限立法で、東京五輪が終われば「共謀罪」を廃止すると明記する必要がある。
 適用範囲も思いのまま拡大される。恣意的捜査の懸念は大きい。権力側が勝手に「共謀罪」だと決めれば、一般市民の誰でも「共謀罪」で逮捕されかねない危険をはらむ。
 [2人以上で犯罪を計画し、このうち少なくとも1人が資金・物品の手配や関係場所の下見などの「準備行為」をしたときに処罰される。] 犯罪が実行されずとも、全員を処罰できる。国のいう犯罪範囲自体が曖昧すぎる。

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意図的風化の疑念が募る

2017-03-22 | 共に

 【 地 軸 】 2017/3/1 地方紙1面下段コラムより

[ 福島県知事が苦言を呈したのも無理はない。矛先は、東日本大震災の発生から6年を迎えた追悼式での首相式辞。昨年まであった「原発事故」の文言がなかったのだ。
 ▲福島のくだりを振り返る。「順次避難指示の解除が行われるなど復興は新たな段階に入りつつある」。あえて東京電力福島第1原発事故を外す理由が分からない。ほぼ同じ内容を述べられた秋篠宮さまは、避難の前提として言及したのだが。
 ▲そういえばと、首相の年頭所感が浮かんだ。こちらは一足早く、一昨年には事故の記述がなくなっていた。政権が原発再稼働を次々進めたのがこの年から。関連を勘繰られても仕方あるまい。
 ▲官房長官は、式辞で「福島の復興」には触れたと反論する。が、知事の言うように「欠かすことができない重い言葉」はある。意図的との疑念が募るのは、首相が特定の言葉に後ろ向きと映るため。
 ▲象徴的だったのが、戦後70年談話。首相は焦点の「おわび」と「侵略」の明記を渋ったとされる。最後は公明党などに配慮して盛り込んだものの、「おわび」は歴代内閣の謝罪を紹介する形。「侵略」に至っては、日本の行為と明示せず一般論として否定しただけ。
 ▲知事は原発事故を「現在進行形」と強調する。首相も昨年の式辞では「災害は続いている」としていたはず。今年はこの一文も消えた。まさか、なかったことにするつもりではないだろうけど。]

 ( 忘却への扉 ) 確かに東京電力福島第1原発大事故は「現在進行形」である。いまだ究明も未知数であるにもかかわらず、避難経費削減と原発再稼働を優先し、安全性に疑問が残る避難指示解除地域拡大を急ぐ。
 70年安倍晋三首相談話から「おわび」と「侵略」の言葉を一般論と曖昧にして誤魔化したのは、首相らにとってあの戦争は、あくまでも謝罪する必要のない「聖戦」。
 大日本帝国の天皇陛下の軍隊が「侵略」や「大虐殺」に「従軍慰安婦」問題における人権無視の性的虐待事件など、どれも犯すはずはありえないことと、消したいだけ。
 沖縄米軍基地問題も含め、福島と同じく「現在進行形」の問題を数多く抱えるこの国、故意に増加させているようで不安がつのる。

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