忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

反抗期はいつ

2010-10-31 | 平和を
 ラジオ番組で反抗期が話題になっていた。聴いていて私自身の反抗期について振り返ってみる。私の家庭や学校とか職場での少年期から青年時代を考えるが反抗期などなかったようにも思う。
 誕生しひとりの大人へと成長する過程で、反抗期は必要な 期間であるとはよく聞いた。自分の反抗期を覚えていないだけなのかどうか、闇の中。特に少年期は反抗する環境よりは貧乏でも楽しかった。
 今日は雨に濡れながら、その地区だけの関係者が集まり共同作業を行った。終わればいつものように食べ物と飲み物で、憩いのひと時を過ごす。離れた席から最年長者の声が聞こえる。
 あの敗戦を中学2に体験した人だ。「戦時中の学校では、生徒から先生からよく殴られたぞ。それも『大和魂を叩き込んでやる』と言いながら‥。
 先生までがあんまりたびたび殴るんで腹が立ってきて、ある時また先生が手を振り下ろそうとしたので 『 天皇陛下…!! 』と言ってやった。その瞬間、先生は直立不動になっとった。」
 あの人の先生を含め大人社会の天皇崇拝などに対する危険な反抗期だったのかも。それだと私は中学生のころの「戦争は嫌」の気持ちも近い。おひとよしの頑固もんの血筋をひく私、反抗期は通り過ぎても犯行や抵抗はいつするかわからないでいる。
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私と共に生きている

2010-10-30 | 共に
 ケーブルテレビの再放送は『臨場』だったか推理ドラマ名も、はっきり記憶していない。番組も終わり近くを見たのだが、元刑事か警察官役のせりふに同感だと思った。
 妻を亡くした彼は言う。「私は○○○のことをいつも思っている。食事をしても部屋でくつろいでいても出かけた時も、いつも○○○は私といっしょ。」 「私が思い続けるかぎり、いつでも私のそばにいる。」
 とにかくそのような意味のせりふだった。言葉を口にするかどうかは別として、思う相手は親があり兄弟姉妹があり夫や妻があり恋人とか親友があり、わが子だったり‥ 人それぞれ。
 あの身近な人を想い続けるのは共に笑顔のころが好き。ずうっと過去をたどれば、いっしょの笑顔はたくさんあった。歳を取らなくなったと言われても、私と一緒にいればやはりいっしょに歳を取る。

 たまには現実を知るけど、そんな時にはむしょうに共通の想いでの場所や人に会いに行きたくなる。頼んでみるが断られてばかり、いつかこの気持ちをわかってほしいと待っている。
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秋水(しゅうすい

2010-10-29 | 平和を
 『オートバイで高知の中村まで行ってきたぞ』 『菅野スガゆかりの町に住んでいて 幸徳秋水のお墓や資料館も見ていないのは 恥ずかしいと思てな』 前中村市は幸徳秋水の生まれた土地だ。
 場所がわからず地元の人たちに尋ねるのだが、人物さえ知らず忘れられていた。ガソリンスタンドの店員がパソコンのインターネット検索で探してくれ、やっとたどり着いた。
 市の郷土資料館に幸徳秋水の看板があり、詳しい話も聞いていた。天皇暗殺を企てた極悪人と秘密裁判で汚名のもと処刑された人たちは、秋水のように墓があるのは例外とも。
 幸徳秋水の地元では、1961年の刑死50年記念行事から、毎年命日に墓前祭など行われている。『資料館でもらったから、○ちゃんは読むだろう』と 【 会報 秋水 】 発行/幸徳秋水を顕彰する会 四万十市立中央公民館 を手渡された。
 [「戦争放棄を宣言した日本国憲法を蹂躙(じゅうりん)し、憲法改正をもくろむ軍拡路線はやまない。自由・博愛・相互扶助の思想を全面に、さらなる活動を続けていこう」]との会長あいさつもある。

 国際大百科事典ブリタニカも【大逆事件】を‥無政府主義者の一部が明治天皇暗殺を謀議したことに口実を設け、無政府主義、社会主義の根絶をはかって全国にわたる大陰謀団の存在をでっちあげたというのが真相で、‥ と載せている(詳しくは事典を)
 わざわざ持って来てくれた好奇心旺盛な知人に、岩波新書の初版本[菅野スガ]とその一部を町の歴史好きが調べて書いた文書を貸す。
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それはダメだよ

2010-10-28 | 平和を
 【 民主党、企業・団体献金再開へ 】 党の財政難などをその理由にするとは、政権党としてあまりにも身勝手すぎる。昨年8月の衆院選のマニフェスト(政権公約)の目玉を投げ捨て、楽な金集め。
 企業・団体献金を全面禁止にする方針との国民への約束をいとも簡単に破るとは、政権を握る民主党だけにあまりにも嘆かわしい。企業・団体からの資金援助を当てにするなら、今後は国民税の政党助成金は拒否し仕組みそのものを無くさなければ筋が通らない。
 [これに関し、日本経団連の米倉弘昌会長は26日の記者会見で、民主党が企業・団体献金受け入れを再開することについて「政治献金は個人や企業にとって社会的責任のひとつ」と述べた。]の記事。
 金持ちが得をする政治をとも読め、屁理屈と聞こえる。政治に関心を持つこと対しては、国民として社会的責任がある。しかし政治献金をするしないは、あくまで個人の自由のはず。
 まず日本全体を考えて政治に励むのが各政党であり国会議員である。有権者はひとり1票の投票権を行使する権利があり義務がある。そうあくまでも個人に。
 企業・団体には当然投票権など無い。組織的にもいろいろな考えを持つ人々の集団である企業・団体が、特定政党などに政治献金の名を使い資金援助と投資するのは受け取る政党側双方に問題がある。
 増え続ける低所得者層に犠牲を強いることのない、国の事業仕分けを実行するか。「狼が来たぞ!」と軍事費増額、思いやり予算は米軍にではなく日本の庶民に使うべき。政党助成金は廃止し、政党自身が信頼され個人献金の集まる政治に努力する。そのさい多額個人献金者に減税措置などあってはならない。誰も同じ1人であり、金の額ではない。
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通過点だが尾道ちゃん

2010-10-27 | 共に
 前回のゲゲゲの女房に続いて、同じNHK連続テレビ小説【 てっぱん 】を毎日2人で見るようになった。それはドラマの初めの舞台が子供たちの暮らす広島県であり「尾道」は、私たちが孫たちに会いに行くさいの通過点となる町だからでもある。
 「尾道」と言っても自動車道を下り国道を走るいつものコースでの往復だけでは、その町をほとんど知らないままでいた。通る時間は行きは朝が多く、帰りは午後の明るい時間は少なく、暗くなった時刻に町の建物の明かりを見る。
 ときおりコンビニか食品系安売りの大型店に立ち寄るが、時間帯の関係か地元客も少ない。【 てっぱん 】を見始めて毎回ドラマの前と後に、次々と尾道の各地でたくさんの人たちが踊っている場面が出てくる。
 いつもその人たちを見ていると親しい気持ちになってきて、「尾道」をより身近に思いながらドラマを見るようになった。主人公村上あかりは故郷を離れ現在 は大阪で暮らしている。
 大阪も私たちの兄弟など身内の生活感がある場所だ。地名を身近に感じるだけでも、より親身にドラマを見ることができる。どうせ見るのなら暇つぶしに済ませないように、見方で変わる。
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とどいた とどいた

2010-10-26 | 共に
 筆不精の私が珍しく1枚のハガキに1時間もかけ描いた絵手紙に、孫からの返事を期待していた。数日後の夜くつろいでいると、思い出したように「これ 来てた」手渡されたのは孫から私宛ののハガキだった。

 これも絵手紙のつもりだろうか、じいちゃんには少々小さな絵と文字?がハガキいっぱいに書いてある。孫の絵のひとつ1つに母親はたくさんの説明文を付けている。
 説明がなけれは正直なところ意味不明だけど多色ではないボールペンの絵や文字を見れば、一生懸命に書いてあるのはよくわかる。まだはっきり読める文字は数文字だけ。
 文字で気持ちを表すのはしばらくかかるだろうが、私も孫への絵手紙をがんばって続けたいとは思っている。孫と絵手紙で文通をできるようになれば、他の人たちにも広げられる。
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じょうずに利用し

2010-10-25 | 日々
 どこか変ではと思うまでに数週間は経っている。害鳥除けに倉庫の屋根から木の枝に結んだ1本のナイロン糸。斜めの直線のはずなのに2カ所で角ができていた。
 コガネグモが大きい網を張る知恵なのか。ナイロン糸を上手く利用し軒下の駐車スペースに出入りする車に、クモの巣を切られないようにできている。 クモも交通事故に注意する現代 。
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話し相手にあいたくて

2010-10-24 | 共に
 まず病院に電話して友人との面会が、できるかどうかを尋ねてみた。しばらく待たされたのは病院の都合上かそれとも家族への確認かは不明だが、来院を了承された。
 『本人と今すぐ話もできますが どうされます?』会えれば直接話せるのだから「今日行けるどうかは別にして 伺いますので‥ 」 私はこれから車に乗せてもらう身。
 家の買い物と自分のために病院の診察を済ませてのことなので、運転者の都合も聞く必要もある。心良い返事を得て家を出た。他の用事も終わり国道を走って脇道に入り、橋と踏切を渡って坂道を登ると目当ての病院に着く。
 仕事関係の出会いからの友人で、病気になってからは電話での会話が多かった。入退院の繰り返しは、本人の早く乗り越え元気になろうとする焦りすぎにも無理がある。
 前回と同じ2階の場所をもう忘れているので、病院の人に案内され友人に会え面会室へ。待ちかねたように入院への経過より説明を詳しく話す。やはり他の家族が特別な用で長く家を離れていた頃のことだった。
 1人のさみしさが病を再発させたのか、体格のわりには気が弱い。私も救急車の音を聞くたびに心配していながら電話できず、家に行ったのは入院した後だったのを悔やむ。
 友人は病院の仲間との会話やレクレーションなどを楽しんでいると話す。でもそれはやせ我慢だと思う。私も見舞いに来る前に病院の医師に「先生の前だと気分がすっきりする」と言った。『午後だったら話の時間もできますから いつでもどうぞ』のことばがうれしい。お互いに話し聞く相手が大切なのは同様だ。
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気をつけなければ

2010-10-23 | 共に
 1つ年上の従姉から届いた宅配便のお礼の電話を かけた。留守のようだと諦め受話器を置こうとした時、声が聞こえてくる。久しぶりだがいつもの元気で大きい声に安心し会話を交わしていた。
 『皆さん お元気ですか』の問いかけに、私は微妙なとこだが話も長くなるので詳しく説明はせず「元気ですよ」と答えて済ます。伯母たちも亡くなり、それからは長年声を聞くだけの関係が続いている。
 『私ね 少し前に1ヵ月ほど入院していたの』 『人間ドックで診察うけたら 大腸に ポリーブが見つかって 他の病院での詳しい検査で 癌だからすぐ手術しますって言われたのよ』
 開腹手術で切り取った癌は牛乳ビンの口の大きさだったと聞いて驚く。それまでポリーブの言葉からもっと小さい癌を想像し、「早く見つかって良かったなぁ 不幸中の幸いで‥」と話していた。
 従姉も『そうなんよ 今まで病気1つせず元気だったから 大腸がんは 痛みを感じないので 検査し見つかって良かった』取り除いた癌の状態がどうかなどは、私も知らない。
 『○○ちゃんは検査受けてる? 手術をしてから 会う人みんなに 言ってるの。 必ず 定期的に検査を受けないと たいへんなことになるよって』 まだ手術の傷跡が痛く毎日病院に通っている状態。なのにもう夕方からだが仕事にも出ているとも人の心配している場合ではない、わが家に肉まんまで送る気を使かい過ぎ。
 思えば前回電話したとき、いつも従姉なのに他の家族が出た。あの頃入院していたのかも知れない。お互いに気をつけなければならない年齢にもなった。
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やっとつかって

2010-10-22 | 日々
 昨夜はブログを書いていて急に思いついた孫へのハガキを実行する。未使用のまま眠っている年賀ハガキがいくらでもあるので、こんなときに利用しなければもったいない。
 これから書けば明日病院に行く途中ポストに投函できる。幼稚園児は絵手紙にすれば読む気になってもくれるだろう。数年前に「スケッチでも描く気分になったら‥‥」と長女にもらった水彩画用色鉛筆を出す。
 何を描こうかマンガアニメのキャラクターだと喜んでくれそうとはわかっているが、もう長年落書きさえ描くことを忘れて来た。あれをと居間に置いてある柿の実を取りに行く。
 後ろで『こんな時間に柿、食べる気!』の声を聞く。大人に宛ての絵手紙みたいだけど、考えると描けずに終わることになる。実物より小さな柿の絵手紙風でないできあがり。
 孫に、この かき たべて との内容をサインペンで平仮名だけの短い便りを付け加えた。自分で見てもあまりに下手、絵よりもっと下手で絵と文字の釣り合いもとれてない。
 今日ハガキをポストに入れながら孫に笑われかもと恥ずかしくなった。 字が多少でも上手に書ければ、こんな思いをせずに済んだのに ‥‥ 。
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