忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

車窓の景色

2008-12-31 | 平和を
 「他所を走っている時は、外もよく見て観察をしないと(もったいないよ)」と後部座席でうつ向きCDプレーヤーのイアホンを両耳に当てている孫に言った。
 「言う自分も見てないじゃない」運転席から痛いところを突かれる。なるほど出かけても、走っている車の中で居眠りやケータイでのメールや作文などすることはよくある。
 言い訳になるけど、よそ見しながら景色や前方にも注意しているつもり。日帰りの行動範囲は繰り返し、でも物忘れのおかげで毎回が新鮮ではある。
 時の流れに関心を持ち続ける気持は大切と思う。過去がありの現在。それが将来につながる。日々に無関心の不安。
 今日は毎年何回も行き続けている屋根付き橋ある町の店まで、川沿いの道路を登る。疑問点の多いまま長年凍結されたダム工事の決行。まだ目立たぬが、大きく変化しつつある町。
 いつもの川魚料理と民宿の店、あまごの里。初めは一人で、次に二人で、子供が増えていき、孫が増えた。同じ変わらない店でにぎやか過ぎる食事。
 山の中にある集落のはずれ、この辺は狭い道路や渓流も雑木のトンネルも見た目はまだ残っている。
この社会、人の心はどうなるのだろうか。本当に新年が良い年なればと願う。

キャシャーン

2008-12-30 | 平和を
 何十年か前にはタツノコプロのテレビアニメ『新造人間キャシャーン』が好きで、よく見ていた。生まれ子供に登場人物の名前を付けたほど。理由を知らない親戚など、長く理解されなかった。
 公害処理用ロボットの開発中の偶発事故が、皮肉にも公害の元凶である人間を処理する戦闘ロボット軍団を発生させ世界征服を図る。
 その開発者はそれを阻止するため、息子を不死身の「新造人間キャシャーン」として生まれ変わらせた。ロボット犬フレンダー、恋人ルナの絡みも作品に親しみをくれた。
 最近パソコンテレビGyaOで毎週【キャシャーンSins】を見ている。新造人間キャシャーンとの再会の期待とはかなり異なる。
 死の無いはずのロボットたちにも滅びの進行する寂しい墓場のような世界。キャシャーンを倒せば滅びから逃れられる。
 毎回がロボットたちを破壊するキャシャーンを見なければならないのがつらい。記憶を失ったまま、フレンダーに出会いルナを探始めたキャシャーンの感情に変化が‥。
 日本国憲法を犯してまでアメリカに追随し、海外で戦争をと欲望を膨らます偉い人たちが国を動かす。戦争好きの人造人間にされないように用心、用心。

夜回りの節約

2008-12-29 | 平和を
 深夜に何回も消防自動車が、鐘を鳴らしながら移動している。地元消防団の分団の夜回りだ。その内二ヵ所の分団の車の鐘だろうか、寝床の中で聞いていた。
 車で回って、人家に来ると団員が拍子木をカッチカッチと叩きながら「こんばんはぁ、夜回りで~す」の言葉はあったりなかったり。
 その日の当番に因るのか、家まで来ない団員や車に乗ったまま拍子木を聞かせることもある。まあ夜回りの車が来るだけで注意する気にはなる。
 昔の私たちの時代は、全戸を歩いて回っていた。「火の用心」カッチ、カッチ。「夜回りでっせ~、火の元に気いつけて~」
 ほとんどの家の人から「ご苦労さま」の声をもらった。各家にかまどがあり、炊事や加工に風呂と炊き木や炭火の火力が大半だった。
 焚き火とか寝タバコからの火事もあり、地域消防団は頼りにされていた。。現在ではガスや電気にと変わり、防火や警戒意識も高くはなった。
 いつしか地域消防団から消防署本部の主動となる。人口の減少と経費削減のためか、団員と分団数が減り夜回りの日数も減った。
 年末の音が少なくなるのもさみしいが、経費削減名目のしわ寄せは国も地方も同様に末端住民の安心に来るとも感じる。

見えない紐

2008-12-28 | 共に
 薄暗くなった夕方、地域にある役割分担の順番で、係の調べ物を持って行く。片道400~500mの散歩ついでによい距離だ。
 犬を連れて行こうとしたのだが、駄目だと気付いた。その家は大形犬を飼っている。わが家の犬の散歩は後回しに。
 自転車に変更する。自転車に乗るのは再開してからまだ数回目。その方向は初めてでも、上り勾配はゆるく大丈夫だろうときめていた。
 走ってみるととても無理で、度々降りて自転車を押し歩くことになる。体力の弱さを恥ずかく感じるほどだ。
 帰りは下りが多いから早く走れると思っていた。だがたいしたスピードでもないのに、ライトを外された暗さに道路幅も見えず、歩行者や帰宅中の自転車と出会ったらと不安になる。
 知人に「歩くよりは自転車の方が運動になるそうよ。気をつけて平地の短距離を乗れば‥」自宅到着手前で言ってもらった。
 こんなに心体疲れるのなら、歩くか自動車だったら良かったのにとは思う。家族に心配をかけ、近くにでも車に一人で走るのは数少ない。
 他はいつも乗せてもらってでありがたいことだが、行動範囲に限界ができる。たまには見えない紐を感じるが、自由には粘り強さも必要か。

里道で目を閉じる

2008-12-27 | 日々
 東北にかけて寒波襲来と、猛吹雪のニュースがあった日の夕方いつもの散歩に出た。もう暗くなり始めている。この地方でも昼間寒かった。寒さは苦手で、時々手を擦りながら仕事をする。夕方には風も強くなり、犬が一緒でなければ散歩は中止だ。
 他の人たちが通ることなど年に数回あるか無いかの草の山道だ。風でざわざわ音はするが、うるさいとも思わない。
 犬は前を歩いている。だがタヌキかイノシシなどの臭いが気になるのか、落ち着きがなくそわそわあちこち移動する。私たちには散歩道でも、獣道(けものみち)と言ってもよい場所。里道側の草薮にイノシシの遊んだあとも見られる。
 帰りの途中に一休み、雑草と枯葉の道に仰向けに寝そべり目を閉じる。まず最初に頭の中の、耳鳴りのような音に気づく。
 疲れているとはわかっている。ふとここで死んでいたら、探してくれるだろうかと考えた。何も怖くなく寒くもない。
 風に鳴る竹林からの響きが、谷川の流れの音に聞こえる。しばらく動かずそのままでいて、目を少しずつ開いていく。雲の動きや竹の揺れているのが見え前を向いた犬の姿で現実に戻り、さあて帰るかとゆっくり起き上がった。

三角のケーキ

2008-12-26 | 日々
 クリスマスイブにメールで、「クリスマスケーキは食べましたか」と入った。イブには食べていないが、あぁあれ前日の夜年賀状を書いていると「ケーキあるけど、今夜食べるそれとも明日にする?」と妻が聞きに来た。
 知れば欲しい「今夜」と返事。居間のテーブの上に、三角形のケーキが数種並んいた。美味しいけど可愛いく小さいあれがクリスマスケーキだったのか。
 届いたメールは友人家族が集まってのクリスマスパーティーの手作りケーキ。いいな~、食べたくなる。賀状は昨夜おわり、本日ポストに。

匿名のはずが

2008-12-25 | 日々
 白く薄いが大きめの紙袋。その左下角にある文字を見て、あわてて横の階段の片付けていないものの間に紛れ込ませた。
 その前にちょっとだけ中を覗くと感謝状だとわかり、記念品だろうか他にも何か入っている。以前領収書が届いたのさえ納得できないのに、その上にまたどうして。
 ある場所に出かけたさい用件が済んだ後、記念事業の寄付を受付けているのを全戸配布の用紙で知っていたので、少しのお金を手渡した。
 準備なしの財布からの裸金。気持なので名前は匿名でと、念入りにお願いし了承を得たはずなのだ。父が自作像の寄付の願望を、成就できずに終わった縁もある。
 今回に限らず、寄付は気持。寄付に私の名前を残してもらうとか、記念品や祝賀会など好みではない。変わり者かも知れないが、目的外使用は無駄だと思う。
 別のことではお礼とか領収書だけが届く。それらも匿名で不要と断っているのに、遠慮だと思うのか。逆をする理由がわからない。
 寄付する側にも都合がある。「そんなことに小遣いを使う余裕があるのなら、来月から値下げするよ」と言われ兼ねない。

でも明るい声を

2008-12-24 | 平和を
 遠くに暮らしている伯母と電話で話す。声を聞くだけがほとんどになっている。91歳の叔父が先日大腿骨骨折をした。
 手術は無事済みほっとしたのたが、2週間で早くも転院となる。やっと慣れたのに、すぐ違う病院で本人も不安そうだと聞く。
 病院の規則とは言うものの、元は国の変更した医療制度の問題点から‥。後期高齢者を越えれば、末期高齢者扱いかとも思う。
 軍国主義日本の兵隊の一員として、天皇陛下のために命を捧げる気概で敗戦後の数年間も外地でなんとか生き延びた。
 平和憲法の9条を切り捨て、海外で戦争ができる国に。不況でも軍需産業では安心経営が保障される。あの戦前の軍閥政治や靖国を蘇(よみがえ)らせるためにも、国は侵略戦争や国内外での空襲などを体験した高齢者を大切にする必要があるのでは。
 伯母も毎日病院で付き添い。休まるのは交替人のいる日に家で眠る時だけ。「おじいさんは仕方ないけど、無理してあんたが倒れないかが一番の心配だとみんなに言われるんよ」
 「私が無理しないわけには行かない。おじいさんも私の世話でないと、難しいところがあって‥」たいへんだがちょっと嬉しそうでもある。だがいまの世の中、何かとあまりに異状すぎる。

短い夜の前に

2008-12-23 | 日々
 夜が長い時季のはずなのに、短い夜が続いている。仕事柄残業も増え眠いはずなのに、昼寝をする季節よりも遅く寝ている。
 明るさ暗さではなく眠りの時間。布団に入って眠れないより、寝なければと思いだすまで起きている。日によって何時になるかわからない。
 そのゆとりとも言える時間を、またかと有効に使わないまま年の瀬も押し詰まる。考えずにいるのが楽だが。焦りを無視できない。
 何かちょっとした目的が、幾つかあれば日替わりで楽しめるのに。いや、やらなけばならないことやりたいことは幾らでもある。
 問題はやる気と集中力のなさ。やっと始めた年賀状作りの準備など、もってこいの目的だ。期間限定にせず他にも用途は多い。
 この数日間に「良い年をお迎え下さい」の言葉を何回も聞いた。新しい年が来たら、年賀状の整理を済ませハガキや手紙をせめてパソコンからでも作って出したい。
 インターネットだけではもったいない。忘れてしまって、再度一からの学習の必要なことばかり。まずその意識を来年こそ覚えていたい。さてできるかなともう弱腰‥しっぷ薬でも貼り気をつけよう。

私がある

2008-12-22 | 共に
 特技や趣味は無いけど私がある。自分らしさを言い訳がましく表現してみた。「へぇ~、お前のどこに個性が‥‥」と問われると、考え込むしかないか。
 趣味も実態がなくなれば無趣味と同じ。技術や能力も特に持ち合わせず、人見知りがあり人付き合いが苦手。
 それでも人生今までやって来れた。周囲やいろいろな人のおかげと思っている。感謝のお返しを、直接ではなくてもできたらいいなと考える。
 今朝はある場所で順番待ちになった。前の受付けには人が、その横にずうっと後ろの方まで車が並んでいる。車は県道を左右から来てそこに入る。
 後続車の都合で私は列に割り込む形になった。降りて後ろの人に謝りと事情を話すと、短い世間話など続いたのも嬉しい。
 見知らぬ人との会話に知人との挨拶、小さなことだが気持の中では笑顔になれる。やっと車を動かせ今度は目的別の順番待ちで降りた。
 走るようにこっちに来た知人が、すれ違いざま「○ちゃんか!」と急に立ち止まる。以前間違えて別の人に声をかけたので確認のため。互いに健康も確かめ合う、私の青春時代の先輩だ。
 髪は白く皺もあるが、あの頃の先輩のまま出会う。私自身の変わりようもその短時間は忘れていた。生かされ生きているのを改めて感じた。