忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

看護婦が見つめた

2009-05-31 | 平和を
 【 看護婦が見つめた人間が死ぬということ 】 著者/宮子あずさ 講談社文庫 発行所/講談社 (単行本は1994年1月 海竜社より刊行)
 [ 死を考えることは、生きることを学ぶこと。ひとつとして同じではない人の死。それを看取ることで学べた生きることの意味、愛することの尊さ―――。それは死にゆく人々から、生きる人たちへの贈りもの。内科病棟で働く看護婦が出会った様々な死。その死を通して、私たちに生きることの意味を問いかける問題作。]
 親戚や知人の遺体を見たり、家族の死を見送った数もこの歳になると多い。死には対面しても、死は当然いつか行き着く一点と認識していた。
 わが家の本の部屋には戦争という国家の大犯罪を記録した本も多い。人間の無駄死にを屁理屈で強制することさえ、美学だと再び暴走しかねない権力も根付きつつある現状。
 これは看護婦と書かれた本だが、古さは少しも感じさせない。だがそれだけ個人個人の死の数々を実感し、身近な死を体験したすぐ後では読むのが辛く苦痛でもあった。
 本を読むのに、こんなにも胃が痛くなる厳しさは初めてなのに途中で止めれなかった。権力のために戦争などで無駄死にはしたくないと死後献体の会員でもある私。先に逝った人たちを忘れず、幸せな平和を希求し続けたい。
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水面は鏡に

2009-05-30 | 平和を
 その県に入った頃から小雨が降り続く。私たちの県は雨らしい雨が降らない日が続いている。向こうも雨だったらいいのにと、見えないけど振り向いてみたくなる。
 田植えの終わった水田が多い。もう丈夫か濃い緑の苗に育っている田んぼもある。日本人なら、お米だろう。農業を見捨て食料自給率低下を他人事の情けない政治と風潮。
 国を護るなら憲法違反の海外派兵や軍事力増強ではなく、防衛省とか自衛隊の名に恥じない平和のために活動すべき。
 小雨の中でも稲の苗を手植えしている農家の老夫婦など見れば、支援のために田んぼで働く自衛隊の部隊などあれば適任だと思う。
 おそれおおくも天皇陛下さえ長靴履きだが、皇居内の水田に入り20束の田植えをされニュースに登場。だが自衛隊が動くとなれば、日本全国の水田をよみがえらせることも容易い。
 お国のためにとは自衛隊、本当はそういうことではないのか。隊員総出の人力で、田起こし代掻き籾撒きそして田植え。除草も害虫駆除も手でこなす。稲刈りをして天日干して脱穀から籾摺り精米で食べられる。
 雨が止んで木造家屋の点在する山里も通過するが、どこにも自動車がない。あちらで一人こちらで一人と腰を曲げ畑仕事している姿。この県でも一番大きな長い川に沿って上っているが流れは緩やか。水面に山々や空まで写り鏡のよう。平和がいいなとしみじみ思う。
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役所に電話して

2009-05-29 | 日々
 私用で県外の市役所に電話をかけた。社会貢献に関する担当部署だからなのか、電話の苦手な私には珍しく冷静に会話ができる。
 本当は用件を箇条書きにしたメモや、市のホームページからの資料もそばに置いていた。すぐ男性が出た。喋り方が早すぎ名前から聞き返す。
 「ただ今担当の者が出ていますので、また後でこちらから電話します」に待ち時間の予想を聞いておく。予定を過ぎてその電話。
 担当者とも会話がかみ合わない。専門部署なのに内容を把握できていない対応の言葉が並ぶ。役所の上下関係のせいだろうか。
 「良くわかる人に代わりますので、しばらくお待ちを‥‥」またしばらく待っていると今度は女性が電話口に。同じ話を繰り返すが、まだそれまでの人より問題に対する思いがわかる。
 それでも回答は出せない。待ち時間を含めると、午前中の長い時間を使い結果は「夕方までにはお知らせしますので」電話で問い合わせたのは私だが、役所って真面目な職員は大変だなと気になる。
 夕方4時半から5時を過ぎたが返事はない。公務員だから今日は終わりと諦めた。新しい車が来て、練習がてら町に行く。車の後部座席でケータイを受ける。「遅くなりまして‥‥」6時を過ぎてまさかの返事に驚き一先ず片付く、都合5人との電話になった。
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初ホタル

2009-05-28 | 日々
 先日の夜も犬の散歩に付き合う。出無精の私は用事があるか他から誘われなければ、現実には少ないが家でのんびりするか寝ているのが好き。
 今日のように菖蒲園行きを誘われて、誤解もあったが断り叱られることも久しぶり。犬の散歩はお互いの日課で楽しみでもあり、時間も距離も短いが体と心の健康のためにも必要な時間。
 ただ深夜の誘いは勘弁してよと言いたい日もあるが、家を出れば気分も変わる。このところ夜は特に寒いくらいでその温度差も心地よい。
 外灯の明かりが届く辺りは転げ落ちる心配はない。余裕で周囲を見渡すと違う光を見つけた。もしかしてホタル?と目を凝らす。
 木々の隙間の向こうで動いて見える光の色は確かにホタル。外灯が近く照明を当てているため今一つだが、今年初めてのホタルの明かりだ。
 一匹だけでなく他にもいるはずと、居そう場所を明かりだけだが探してみる。あちこち見るが、やっぱりホタルはお墓近くのあの一匹だけ。
 ホタルの明かりと飛び方に寂しさを感じる。翌日の夜も少し離れて一匹だけホタルが飛んでいた。前日夜に見た方向に行くので、付いて行ったが途中で見失う。同じホタルだろうか、やはり一匹では寂しすぎる。たくさんのホタルが群れるのを今年も見れるのか気になる。
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暖かな涙が

2009-05-27 | 共に
 【 99のなみだ・空 】涙が心を癒す短編小説集 編著/リンダブックス編集部 企画・編集/リンダパブリッシャーズ 発行所/泰文堂
 [俺は恋人と彼女のの祖母と三人、奇妙な旅に出た。向かった先は広島。どうやらこの旅は観光旅行じゃないみたいで…。深い悲しみと愛情にあふれた「遠い夏の」(原案・小説/名取佐和子]
 数ヵ月前に3冊目を購入し、その1作だけを読んでいた。ばあちゃんの家の墓石に、没年月日が全員同じだと気付く昭和20年8月6日。
 わが家を離れるのも長期になる可能性があり、本は持参したいが「涙」は隠したいと諦めた。ところが行った先で、死や苦悩の深刻な本をたくさん読んだ。これだったら「涙」を持って来れば良かった思うほど。童話や子供のも本はたくさん読めた。
 [ 泣きたいとき いつも 思い出すのは母さんだった ] [母に幸せになってほしいと 願った息子が選んだのは…。 娘のいない卒業式で母親が 泣き崩れた理由とは…。 ][ あたかな涙が止まらない珠玉の物語 ][ やさしい涙がこころにしみる12篇の短篇小説集 ]
 帰って一作品毎に1晩から2晩かけてゆっくり読んだ。最後の家族の死についての話には涙した。現実には過去を振り返り、あたたかく心に残る涙は多くはない。
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潮風と段々畑

2009-05-26 | 追憶
 2年ほど前に1度行ってとても印象に残っている海沿いの見事な段々畑。そこにまた行きたいと思っていた場所だった。近くまで来て前回同様、少し行き過ぎた。おかげであの時よりも面積の広くなった段々畑の全体を見ることができた。木や草に覆われて荒れた段畑を、近隣の人々が昔の地形に戻している。じゃがいもの時期が終わり、土の色が新しい。
 港の傍に車を駐車し急な坂を歩いて1番上まで登る。疲れるが見下ろす景色に満足する。石積と土面の連続の人力による組み合わせ。
 段々畑の麓に家々、その前に道路そして海。手を振っているので近道を下りると、遊覧船兼遊漁船に乗り海からの段畑も見れた。風のため揺れる船は灯台までは行けなかったが、相乗り6名で陸に上がれば楽しかった。
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早乙女姿で

2009-05-25 | 共に
 朝食後のコーヒーの一時も終わり、居間を出ようとする私にストップがかかる。一瞬のドキッは条件反射ではない。「ビデオを見ないの」私だけ留守番になった孫娘たちの通う小学校で7年ほど前に復活した恒例行事「花田植え」行われたのだ。
 昨年の運動会で私も踊りだけは見ている。4・5・6年生の参加なので、今回で孫娘は最後。私も見物するつもりでいたが、急な出来事で中止になった。
 孫たちを撮るために新しくビデオカメラも買った。行けて会える間の想い出作りを大切にと考える歳にもなった。田んぼには入らないが、親子の牛も登場する。
 小学校のすぐ裏に舞台の水田がある。鐘や太鼓を響かせて畦道に早乙女姿の孫娘たちが整列する。その上の段に田植え歌の児童たち。田んぼの中には父兄に先生と児童が入る。
 花田植えの始まりだ。カメラマンは孫娘の伯父、初心者にしては上手に撮していて、行事の雰囲気を感じることができる。昔ながらの音と歌と踊りが延々と続く。
 田植えをしている子供たちもこのような催しでもなければ、泥田に素足を入れて仕事などすることない人生がほとんどのはず。小学校3年間の貴重な体験、もちろん1年生から3年生までは見学で先輩を応援する。
 今年3年生の孫も、来年の本番が気になるのか意外と真面目に眺めている。腰を屈めっぱなしの共同作業に、鐘や大太鼓と励ましの田植え歌で豊作を願う。
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めに残す

2009-05-24 | 追憶
 地区の人が亡くなり、お墓の掃除に行った。歳上の人に相棒とは失礼だろうか、でもそんな気分で一緒に作業をさせてもらった。二人だけという機会が今までほとんど無かったので、お互いを知っているようであまり知らない関係とも言えると思う。
 いろいろな話のできた時間だった。土のない墓地なのに墓石の周りに緑のコケが生えていた。除けるのがもったいないと二人とも思う。
 墓石の下の納骨所には私が入る。内部は二人でも入れる広さで、周囲の壁はきれいだが足元には水が溜まり上の段には、どう積もったのか土がある。
 ビニールや布に包まれた骨壷の傾いて置かれた形は水のためか。怖くはないが詳しく相棒に伝えながら手渡しする。私も葬儀の手伝いをした夫婦の骨だ。
 墓地の遺骨も骨は骨。霊も神や仏も信じない二人だが、故人の話などしながら墓穴と骨壷の水を捨て洗って拭いて時間をかけてきれいにする。
 日向ぼっこのできるよう、蓋を開けたまま骨壷はしばらく外に。傍に在っても骨に掃除の手伝いは頼めないが、一緒に過去を想うのがほんとの供養。
 献体会員の私は、死後も火葬になるのは1~2年後。よく知っている人は両方の眼球を提供した。一部分でも生きて役立つ臓器移植に関心を持つのが遅すぎたとの気持はずっとある。
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母さんのケータイで

2009-05-23 | 共に
 最近になって孫娘はこちらのおばあちゃんとの、ケータイでの会話やメールのやり取りが多くなった。まだ自分のケータイを持ってはいない。
 母さんのを共用する形なので、家に居るか家族で一緒に出かけた時だけ使用している。家族間無料通話だからの方法だ。
 たかがケータイだが離れていても簡単にお互いの声を聞け、相談事や気持を確認できる心強さがある。祖父の私のケータイ番号は知っているけど、おばあちゃんのにだけ掛かる。
 元気な大きい声なので、内容は私も会話に参加しているようなもの。時には私の伝言が勝手に孫に送られもする。先日はケータイが私に手渡され「おじいちゃん!‥」との呼びかけから会話ができた。
 子供のケータイ所持禁止などの発言もあるが、学校が児童生徒の登校時から下校時までケータイを預かれば済むことではないか。
 共稼ぎとか塾や習い事その他家庭の事情も多々、学校を出てからの安心安全のためにもケータイ所持を無視できない社会だとは言える。
 ケータイを持つ子供たちが悪いとも取れる大人側の禁止論は、どこか説得力に欠けているように思う。自分でケータイを購入し月々の使用料を払っている子供はどれだけいるか。どう使うかも含め家庭と社会の問題ではある。
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今日は無理

2009-05-22 | 日々
 今日のブログを書き終わり、さあ送ろうと間違えて削除をおした。1日中眠かったのがぼーとしたまま最後に失敗とは、やり直す時間も足りない。
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