ヨハネの福音書 12章20−36節
ピリポという弟子は、ペテロやヨハネ、マタイのように新約聖書を記すということはありませんでしたが、ヨハネの福音書では誰かをイエスのところに連れて行くという務めを果たした人だと紹介されています。
1章では、ナタナエルをイエスのところに連れて行きました。「ナザレから何の良いものが出るだろう」というナタナエルに、「来て、そして、見なさい」とピリポが答えたことで、ナタナエルはイエスの弟子の一人となりました。
そして、ここでもピリポはギリシヤ人の願いをイエスに取り次いだ人として紹介されています。ピリポとはギリシヤ語の名前で「馬を愛する者」という意味だとある人は説明しています。あるいは、ギリシヤ人はピリポの名前ゆえに親しみを覚えて、イエスに自分たちのことをとりついでほしいと願ったのかもしれません。
そして、ギリシヤ人の登場が、「時」が来たこと、「栄光を受ける時」が来たことをイエスはお語りになるのです。さらに、よく知られている「一粒の麦」のたとえによって、ご自分が十字架に架かってお亡くなりになることへの具体的な歩みが始まりました。イエスの十字架は、ユダヤ人のためだけではなく、訪ねて来たギリシヤ人のため、すなわちすべての人のためなのだということを確認させる出来事です。
ピリポのように、誰かをイエスのところに連れて行く、そのような務めをさせていただきたいと、思いを新たにする箇所です。