みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

レンズ豆か長子の権利か

2018年02月15日 | 創世記

創世記 25章19−34節

 晴天の地を発ち、降りた所は雲につつまれた雨模様の地でした。来年持たれる夏の大きな集まりの準備のために、ルーマニアを訪ねています。土曜日までに歩いたり訪ねたりして、一つ一つを確認します。

 イシュマエルの歴史に続いて、この箇所にはイサクの歴史が綴られています。イサクは40歳でリベカを妻に迎え、60歳で双子の男の子を生みました。エサウとヤコブについての描写を読むと、創世記4章のカインとアベルの兄弟のことを思い出します。それぞれに兄弟が対照的だということに共通のものがあります。

 長子の権利を巡ってのエサウとヤコブのやりとりには、二人の生き方の違いが見えてきます。猟から疲れて帰って来たエサウは、レンズ豆を煮ていたヤコブに、食べさせてほしいと願います。これを機に、ヤコブは長子の権利を売ってほしいと兄に頼みます。

 すると、何ということでしょう。空腹にがまんできないエサウは、長子の権利など何になろうと言ってしまうのです。長子の権利とレンズ豆とのどちらが大切かと問われ、空腹の前にはもちろんレンズ豆だ! とエサウは答えたのです。エサウのことばを聞いて、ヤコブは自分の言ったことを誓うようにと、兄に迫るのです。なんと巧妙な、というよりも冷徹な弟でしょう。

 「ちょっと待て! やはりそれはできない」と、エサウは答えるべきだったのでしょう。けれども、エサウがそのようにしたいと思っても、もう時は過ぎてしまったのです。ほかの何をさておいても持ち続けていきたいと思っているのは何かと、問われているような箇所です。


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