エゼキエル書 25章
土日はぽかぽかと暖かな、小春日和でした。青空に紅葉がくっきりと冴え渡っています。土曜日の散歩の帰り、どこかで嗅いだ匂いが…。歩道にたくさんの銀杏の実が落ちていました。さっそく、ビニール袋に入れて収穫。夕食に茶碗蒸しが加わりました。
「みことばの光」はきょうからエゼキエル書に戻りました。「エゼキエル書25−32章を読む前に」にあるように、ここでは、イスラエル・ユダの周りの国々や町々に対して神がさばきを宣告しています。25章は、そのうちのイスラエル・ユダに近くにある、アモン、モアブ、エドム、そしてペリシテの名が挙がっています。
アモンはロトの妹娘とロトとの間に生まれた子どもの子孫、モアブはロトの姉娘とロトとの間に生まれた子どもの子孫、エドムは双子の兄弟ヤコブの兄の子孫です。ですから、これら三つの民族はイスラエルとは血縁関係に当たります。また、ペシリテはイスラエルの西側の海岸地方にあって、イスラエルの民がカナンに定住してから長い間イスラエルの脅威となっていた国です。
そのどれもが、神によってさばかれるのです。そのわけは、ユダがバビロンに滅ぼされるのに乗じて、ユダを笑いものにし、積年の恨みを晴らし、敵意を持ち続けていたことにあります。人の弱みにつけ込むのは卑劣なことだとされていますが、隣り合った国同士であれば、自国拡張のチャンスにもなります。「喜ぶ者とともに喜び、泣く者といっしょに亡く」という姿勢の正反対の態度です。
この章には、「復讐」ということばが目につきます。やられたのでやり返すということです。これらの国々は隣同士としてやったらやり返すを繰り返していました。この時もそうです。しかし、神は復讐を企てる彼らに復讐するとおっしゃいます。
イエス・キリストは「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と教えました。パウロは「敵が飢えたら、彼に食べさせなさい」と書きました。「言うは易し行うは難し」のように響きますが、それは、神が必ず正しいさばきを行われるという前提があるからなのです。