『切手市場』 慎之介ブログ

慎之介がお届けする切手市場とその他の耳よりな情報です

切手市場の出店状況など

2015年01月21日 | 慎之介
こんばんわ。慎之介です。
最近の切手市場のご入場人数は4~1月までを見る限り浅草時代と比較して平均的に上昇して12.1月が異常に多く8月が少なく11月が少し少ないといった昨年までの月ごとの波が殆どなく毎月250~280名様くらいのご来場をいただいています。この状況を作って下さっているのが毎月品物を供給して下さる出店メンバー様の努力が大きいと思います。案内広告を見て、現場で拝見していつも感心するのですが長年出店して下さる方の多くが毎月毎月商品のうち20~50%を新しく入れ替えて並べて下さっています。月替わりで100%入れ替えていつか再び登場するローテーション型の方もいらっしゃいますが、前回ご紹介した100円カバーの斉藤さんや紙付切手のアンティーク38さんは毎月ショップこど入れ替えて1度終わったら終わりのツワモノもいらっしゃいます。私も見習って最近は単価を安くして極力売り切る努力をしています。一方出店のお申込に関しては2月7月が既に満席で遠方から出店の掲示板ショップの方々には早めのご予約をお願いしているような状況です。上記月を除いては今後も月に1~2件のご新規や久々のご出店には対応できるようしていますが、検討中の方は早めのお申込をおすすめ致します。ご来場メンバー様にはSTAMPCLUB誌の効果もあって最近は家族連れや女性グループのご来場も多く狭隘なレイアウトも控えたいと考えています。このまま成長が続けばいつか手狭にはなると予想出来ますので2フロア開催や年に数回だけ月2回開催などイメージしています。
慎之介ショップからのお知らせです。2月は箱から溢れるジャパン・オールディーズ30円は文化人をメインに満月でも何でも均一価格の早い者勝ちで並べます。最新記念はがし9円は先月並みに追加しています。紙付9円は82円は相当量入荷して52円グリーティングが目立ってきました。新額面と意匠変更普通切手のオンピースは1ピース10円で全部新しくしました。
  

日本橋の葉書その3

2015年01月19日 | 慎之介
皆様こんばんわ。慎之介です。
切手市場では斉藤さんショップの100円カバーを楽しみにされているご来場メンバーさんはかなりの数だと思いますが、毎度皆さん何を選んでいるのか観察してみるのですが切手や官製葉書そのもののバラエティーとデータ取りを楽しむ方、郵便史観点で郵便法改正に絡む初期・終時期使用例、特殊取扱や鉄郵・付箋・支え・軍事・消毒などカバー上でしか表現されないバラエティを楽しむ方、出身地などご自身の思い入れのある地域に限定して全年代に幅を広げて収集される方等様々です。根底には100円なら多少状態が悪くても、探していたアレでなくても気軽に買えてしまいます。ヒットすれば時価数千円~1万円位のカバーに行き当たることもありますが、買い手のテーマや研究性に照合するとおおよそそんな事どうでも良く毎月膨大な量の戦前戦後のカバーをリリースして下さっている事、好きなものを選べる事がメインイベントなんだなと最近つくづく実感しています。切手市場始まって以来長年に渡って愛されるショップを続けて下さっている斉藤さんに感謝致します。さて年末年始から連載している綿商会館界隈の日本橋の消印が押されたカバーは斉藤さんショップからの収穫ではありませんが、1月の切手市場でも再確認しましたところ流石の商業都市・問屋町の日本橋、古いカバーを探してみるとかなりの確立で日本橋カバーには巡りあえることが出来ます。僕自身かつて副業で切手を売り歩いていた時代の在庫が膨大にありまして最近思いついてその中から集めたりしています。今回も3通ばかりご紹介します。

画像左から田沢1.5銭貼櫛・日本橋3.2.27は日本橋坂本町の泉屋株式店差出の私製葉書です。電話番号欄は局名が浪花になっていることから富沢町に近いことが察せられるでしょう。そして証券屋が差出ならピンとくるでしょう。現在の日本橋兜町域の昭和8年まで存在した町名です。細かく言うと昭和8年~住居表示実施までは兜町2・3丁目、旧兜町が兜町1丁目、三代町が兜町3丁目に整理されました。元禄年間(1688〜1704)に向井将監の屋敷地が町場となり坂本町1・2丁目が成立というのが始まりらしく、兜町の名称は明示4年が発祥とされています。兜町の名称の由来は兜神社の兜塚・甲山によると伝えています。丹波綾部の水軍大名九鬼式部少輔の屋敷が長らくこの地で栄えて町屋が発達したことも大きな要因のようです。明治元年以降金融街として発展していきます。話を元に戻しまして江戸時代からの坂本町は日枝山王社(茅場町稲荷)の社前に出た植木職人が多く住み、植木店と呼ばれていました。幕府の御用学者であった荻生徂徠が住んでいたので知られています。画像中も田沢1.5銭貼で書状には標準封筒を使用せられたし/日本橋14.7.27のL型標語印が押されています。差出人住所は日本橋区亀井町・澤村商店です。亀井町は昭和7年に小伝馬町3丁目に改編されるのですが、亀井町域の多くは昭和6年に神田区に編入され現在の岩本町1丁目にあたります。中央区北部と千代田区の境界部は神田掘とも呼ばれる竜閑川が流れていた部分です。旧小伝馬町3丁目域は元禄時代までの寺地が町に発展して籠職人や寺小屋が栄えたそうです。右端の葉書は田沢1.5銭ペーン貼・標準封筒を使用せられたし/日本橋14.12.30のL型標語印です。差出人住所は日本橋区青物町で昭和3年から江戸橋1丁目、住居表示実施以降日本橋1丁目にあたります。青物市場でもあったのでしょうか。京橋大根河岸や秋葉原にあった神田市場の前身の多町神田市場などは有名ですが、江戸期には日本橋界隈で30以上の野菜市場があったそうです。神社の境内で露天を広げる原始的なものらしいですが水運の町・日本橋なだけに納得できます。築地の魚河岸の前身である魚市場が日本橋にあって東京の台所と呼ばれた話もよく聞きます。

2月は静岡3ショップが出店です

2015年01月14日 | 慎之介
 
皆様こんばんわ。慎之介です。1月の切手市場では皆様の宣伝広告のご協力もあって盛況だったのですが最近の注目品などをご紹介します。静岡の郵楽人さんは毎月一定量の中古郵趣用品を並べてくれるのですが特に人気はJPSストックリーフとボストークバインダーあたりで大概朝一番での完売となっているようです。実は以前より継続して主力商品としてこれらを扱うショップ様がもう一軒、コレクションケースさんです。人気のストックリーフは5段6段は朝一番でなくなりますが、1.2.3段等は午後でも残っていることが多いので是非覗いてみて下さいとの事。画像では柚子堂ブランドのミニコレクション用黒台紙も販売中でお店でも買えますが切手市場でも良い売れ行きだったようです。画像右はついにタカシマ屋さんも外国切手1枚売りを開始!さっそく女性客の皆様に好評だったようです。渋谷さんのように国別・テーマ別に袋に納められているので効率良く探していた切手に出会えるかも!来月の切手市場では静岡のSUMI&ダミーさんが出店、毎月出店の郵楽人さんと併せて3ショップとなります。どうぞご期待下さい。偶数月出店の渋谷さん、池フーさんと併せて外国切手ショップが多数集まりますので外国切手コレクターの皆様は朝から夕方まで1日楽しめるはずです。どうぞご期待下さい!

1月切手市場は大盛況でした

2015年01月12日 | 慎之介
  
皆様こんばんわ。慎之介です。1月の切手市場へのご来場有り難うございます。1月は毎年ご来場が多い月なのですが綿商会館に移って初めての今年は例年よりご来場が多く300名様に達していました。有り難うございます。昨年4月に富沢町に移転してから毎月の出店・ご来場ともに押し並べて35名様出店・250名様以上ご来場が続いています。一昨年から広告記事掲載をさせていただいているスタンプクラブ事業の効果も現れています。今月のビックセールは郵趣にも広告を出して顧客への宣伝を欠かさないエージェントスタンプ・度会ショップさん。その効果もあって新入荷の日本切手未・済・カバーを求めて各地から訪ねてきた方もいらっしゃいました。度会さん監修の切手入門本の売れ行きも好評のようでチャリティーオークションにも寄贈下さいました。有り難うございます。今月よりすずき商店に併設の小さな切手屋さんNOTA POSTARICAはチェコやブルガリアなど女性に人気の東欧切手の3枚売りや内外高級カバーをご用意いただき、早速好評だったようです。委託販売主はすでにブログを立ち上げていらっしゃり2月以降も商品の案内など行う予定です。今後ともご期待下さい。私がこのブログではお伝えしきれない会場の全体画像や日頃HP内に飛び飛びに散らばっている開催予定も非常に簡潔に判りやすくお伝えしてくれています。何よりも嬉しいのは切手市場をセール場所としてひっそり開業する小さな切手屋さんとして猛アピーるして下さっていること。感謝致します。他にも毎回記事掲載させていただいているThePhilatelistMagazine様、郵趣イベントカレンダーも含めて皆様のご協力により開催情報は各地に行き渡っているんだなと改めて実感しました。重ねて感謝致します。

もうすぐ切手市場です

2015年01月07日 | 慎之介
皆様こんばんわ。慎之介です。
1月10日(土)の切手市場が近付いてきました。今月は1月恒例のエージェントスタンプ・渡会さんの新春セールがあるほか久し振りに出店の荘野さんと今野喜信さんも外国切手を中心に多数ご用意いただける見通しです。皆様どうぞお楽しみに。さて11月にゲストで出店して下さった若手コレクターの新団体・ユースフィラテリストの木戸さんは今月は飯塚&前田さんSHOPに併設で出店いただけます。この秋・冬でJAPEXや国際展を経験され更に心技体充実しての皆さんとの交流の予定です。韓国・北朝鮮と半島地域の戦前の郵趣は色々吸収して今年も素晴らしい作品をリリースの予定のようです。琉球切手や沖縄の郵便史もやっているようですのでこちらに興味の方もお立ち寄りになってはいかがでしょうか。そしてすずき商店併設のSTAMPEDIAショップでは今月も「いないいないばぁっ!」のお嬢さんが店番をしてくれます。今回から併設ショップがもうひとつ増え「小さな切手屋さんNOTA POSTALICA」を加えて3ショップ1テーブルとなりますのでお楽しみにどうぞ。
   
慎之介ショップからのお知らせです。最近人気の和欧文満月20円もはがしで2000枚位揃いました。局別収集・テータ取りにお役立て下さい。かねてから宣伝の最新記念はがし9円は2ℓ位、昭和30~平成までの記念はがし5円は20ℓ位全て新入荷でご用意します。記念満月10円も1ℓ箱を2ケご用意しました。

謹賀新年

2015年01月01日 | 慎之介
慎之介です。本年もどうぞ宜しくお願いします。1月の切手市場は10日(土)日本橋富沢町・綿商会館です。前回こちらで書かせていただいた日本橋の消印が押された葉書類の中で旧町名が記されたものをいくつか取り上げていきます。切手・葉書そのものと郵便法上の取扱の変遷を主体とした一般的に郵便史とされる分野とは少し外れて郷土史的な収集になりますが深く調べて探し求めているコレクターさんの中ではこうした少しの遊びも貴重なマテリアルになったりもします。綿商会館のある日本橋富沢町をはじめ日本橋北地区は私自身ビジネスでも毎日のようにパトロールしている地域ですので愛着があります。

画像左から消印は「書状には標準封筒を使用せられたし日本橋15.1.11后10-12」で差出人住所は日本橋区鉄砲町となっています。年号は大正15年で后の字の右半分が不鮮明になっているにも関わらず10-12の字は鮮明です。この頃のD型機械印へ取り付けられたL波又はL型標語印時代の日付部の時刻欄は前后の字と英数字の部分が別活字だったことが推定できる特徴です。この鉄砲町は江戸時代に興り、昭和7年に廃止されました。震災復興後の区画整理で本町3・4丁目となり、現在の日本橋本町3・4丁目にあたります。画像左から2番目の官製・分銅葉書は「書状には標準封筒を使用せられたし日本橋14.12.31前11-12」が黒々と押され標語部と日付部の周囲に黒く彫刻土台の形まで押印されています。また日付部の丸型がやや左にずれているととからこの当時は印影向かって左側から日付部を差し込むような構造だったことがわかります。標語入機械印の最初の時代のL型は大正14年からとされていますので、ギリギリ初年の消印です。差出人は日本橋弥生町の風呂敷問屋。名前は同じですが現在の西川グループとは違うようです。この弥生町は昭和7年に富沢町に編入されます。3番目の画像の消印は「千里も一飛航空郵便日本橋7.6.18后0-4」で大賀式機械印の登場に併せて作られたM型標語印です。先のD型機械印のL型消印も暫時このタイプに切り替えていかれます。差出人住所は日本橋区小網仲町5番地となっています。この町名は少し遅く昭和8年までの存続で、この消印は町名の末期の日付となります。その年に小網町2丁目に整理され、戦後の住居表示の改編では日本橋小網町・日本橋人形町1丁目に統合されます。東京都中央区の住居表示実施の際は既存の旧町名+丁目(2丁目以降)が別の新町名に組み込まれ旧町名は別の街を吸収して日本橋を冠した新町名に生まれ変わっている場合が多く見られます。この複雑な整理の仕方は大きな通りに跨って小さな町だったのを通を区画として町名を与えていく方式に変更したためです。今年は問屋町日本橋の歴史を少しずつ辿っていこうと思います。