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甲子園と繋がる細い糸のような

2013年08月22日 | 雑記帳
 東北同士の決勝になれば痛快だなと思っていたが,残念な結果となった。そうは言ってもさぞかし山形も岩手も盛り上がったろう。本県代表はあえなく初戦で散ったが,本町中学出身者が初めて甲子園出場を果たしたことでローカルニュースに取り上げられ印象的な夏となった。甲子園はいつまでも夢舞台である。


 二週間前,NHKで『敗れざる君たちへ~作家重松清 阿久悠“甲子園の詩”を巡る旅~』という番組が放送された。期間中新聞に連載する阿久の執筆の様子が紹介されていた。テレビの前にかじりつき,全ての試合のスコアを記録する。夢舞台を題材にプロが紡ぎだす言葉は,かくも重層的なのだと驚いてしまった。


 久しぶりに『Number』を買い求めた。「甲子園熱風録」という特集だった。それほどの高校野球ファンではないが,気になった記事があった。「絶対エースを追いつめた夏」と題した特集で桑田,松坂,ダルビッシュ,田中の四投手が取り上げられている。そのトップ記事が84年夏「桑田真澄vs金足農業」だった。


 他県の方には難しいだろうが「金足(かなあし)」と読む。県立の農業高校が,初出場で準決勝まで進み,桑田・清原を擁するPL学園と対戦。しかも8回裏まで2対1でリードした。一死後4番清原を四球にしてしまった後,5番桑田が打席に立つ。そして本塁打。あのPLに勝てるかもしれないと夢見た時間が崩れた。


 実はあの年初めて県予選大会決勝を観に行った。金足の対戦相手は能代高校,最終回まで5対3で能代がリードし敗色濃厚だった。二死後だと思うが,そこから怒涛の攻撃で3点を奪い逆転した。この学校は何か違う。暑い陽射しのなか,レフト外野席からそんな言葉を繰り返したことを三十年経っても忘れていない。


 たぶんそんな記憶は,全国中の沢山の人が持っているのではないか。もちろんマスコミがつくり上げた部分もあるが,それにしてもドラマ性の強さは認めざるを得ない。阿久が惹かれ,十数年間ライフワークのように続けられた訳は,甲子園と繋がる無数の細い糸のような存在を感じたから…そんな想像をしてしまう。

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