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遊撃という魅力

2010年05月18日 | 雑記帳
 「遊撃」という言葉が野球以外でも使われるのだなあと知ったのは、小学校高学年だったろうか、それとも中学校に入った頃だったろうか。

 たしか中国(満州地方だったと思うが)を舞台にした戦争物のテレビドラマを観た時だった。戦時中の「遊撃隊」が活躍する内容であり、縦社会の典型である軍隊で自由奔放に振る舞う主人公たちが魅力的でずいぶんと見入った記憶がある。
 
 「遊」という漢字の意味をその時は気にも留めなかったが、「遊ぶ」という意味の発展で、「遊休地」「遊軍」というように「現在必要がない」「待機している」といった使われ方もしていることは時を経てなんとなく理解していた。

 さて、先週参加したある研修会の資料に、「遊」という字を取り上げたものがあった。
 そこでは、「新明解」からという注釈があり、「遊」には「必要に応じて行動する」という意味が載っているという。自然な解釈といえそうだ。

 「遊」という字は、旗が風になびいている様子、または旗竿を持つ人の形から出来たという説があるが、いずれにしても「自由」と置き換えてもいいほど、憧れを感ずる言葉だ。

 仕事上手と言われる方は遊ぶことにも長けていて、たくさんの趣味を持つ人が多いように思う。
 それは、仕事にも遊びにも没頭できるという集中力のような一面とともにいつでも仕事に戻れるという切替のよさ、さらにある時は仕事そのものを遊びでとらえられる感覚も身につけているような気がする。

 二塁にも三塁にもいけますよ、どこでも中継しますよ、というような「守備範囲の広さ」を「遊撃」と表したことは、なかなか考えられているなあとつくづく思う。

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