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路地裏の大人として生きる

2019年12月03日 | 読書
 著者の使う「路地裏」は「路地」とほぼ同義と見ていい。地方に生まれ育ち都会暮らしに縁のない者にとって、その雰囲気はわかっても日常の暮らし方が違うし、理解の及ばぬ箇所もあるだろう。しかし「人家の間の狭い道路」という意味を考えると、強者とは異なる視点で歩む同士のようなシンパシーを感じている。


2019読了105
『路地裏で考える』(平川克美  ちくま新書)



 言葉を紡ぐことに対しての誠実性がいつも感じられる。内田樹経由でこの著者に出会ったが、冷徹にしかも生活実感を伴って綴られる文章は心に沁みてくる。だから逆に、政界やマスコミ界に見られる「言葉の陳腐化」現象の薄っぺらさを見通せる。元経営者である著者はきっと、例えば「one team」などは使わない。


 その言葉をどれほどの熱意を持って語り、実践するかが問われているのであり、利用して何かを成し遂げようと思考する者たちに、言葉は汚されていく一方だ。嘘や欺瞞に満ちた言語状況を浄化したい。その重要さを語る一言はこの書ではこう記される。「長い時間を貫いて指南力を持ちうる言葉の中に、真実は宿っている。


 野口芳宏先生がよく口にする「利他」と「公益」。これは教育基本法の目的に照らし合わせた行動原理として示された語だ。それは「子どもが大人になる契機」と同一の方向を持っている。それは「自分以外の人間のために生きなくてはならないという自覚を持ったとき」である。その覚悟を備えさせるのが教育だろう。


 世相をとらえたエッセイの他に、映画、そして旅を取り上げている。紹介された『湯を沸かすほどの熱い愛』はすぐに観た。「国家の規制を踏み越えなければ実現しなかった」と書かれた意味に納得した。旅の温泉宿にあって「路地裏的視点」は、様々なこの国の現状を浮かび上がらせている。要は眼差しの鋭さなのだ。