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「ポスト真実」に震えて

2017年08月20日 | 雑記帳
 ちょっと前までは「雑誌通」を自称していたはずだが、ここ二、三ヶ月は自宅へ送本されている出版社のものしか読んでいない。自分でもそれに気づいて、少し意外な感じがした。出不精になっていることもあるし、パターン化、類似化傾向の雑誌に飽きていることもあるのか。いや、もう少し外に目を向けねばと…。



 『日経おとなのOFF』9月号を買ってみた。「日本と世界の大問題 なるほど!講座」という特集である。北朝鮮、イスラム問題やフェイクニュースなどがとり上げられる。特に注目したのが「ポスト真実」。以前から目にしていたが、考えれば凄い言葉だ。「ポスト真実」さえ真実でないと言ってるに等しい俯瞰性もある。


 オックスフォード英語辞書2016年の「今年の言葉」として選定されたそうだ。説明は「客観的事実よりも人々の感情や信条のほうが影響力のあるような状況を表す形容詞」とある。つまり、事実より感情が優先される状況を指している。自分や周囲はどうかと胸に手を当てると、確かにナキニシモアラズと思えてくる。


 流行語となった「フェイクニュース」は意図的な情報配信なので、同じ意味ではないがその現象の一つであろう。情報洪水のなかで一部だけが切り取られたり、刺激的な見出しだけが取り上げられたりする。そしてユーザーは、事実かどうかより、自分が信じるかどうかを優先する傾向にある。情報の歪んだ個人化だ。


 特に怖いのは「間違ったニュースは拡がるが、訂正はあまり伝わらない」ことだ。例えば、7月の所沢市の小学校教諭の暴言問題も全くそんな状況にある。SNSなどを通じたつながりは、価値観の似ている人同士ゆえに、多数派と勘違いする危険も多い。価値観の多様性を見失わないためのリテラシー確立は、急務だ。