スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典帝王賞&ニーチェの比喩

2020-06-25 19:02:30 | 地方競馬
 昨晩の第43回帝王賞
 出方を窺い合うような形から,ワイドファラオが逃げ,ストライクイーグルが2番手に。3番手にモジアナフレイバーとクリソベリル。5番手にルヴァンスレーヴとチュウワウィザード。7番手にミツバとオメガパフューム。9番手にサブノクロヒョウとノンコノユメ。11番手以下はヒカリオーソ,フレアリングダイヤ,ケイティブレイブ,キャッスルクラウンの順で発馬後の正面を通過。前半の1000mは63秒9のスローペース。あまり隊列に変化はなく,向正面の中途から3コーナーにかけてオメガパフュームが位置を上げていったのが目立つくらいでした。
 3コーナーを回るところでワイドファラオとストライクイーグルは併走に。その後ろにクリソベリルとオメガパフューム。さらにケイティブレイブも上がってきて,直線の入口ではこの5頭が横にずらりと並ぶ形。ストライクイーグルは脱落。逃げたワイドファラオをまず差したのがクリソベリルで,先頭に出るとそのまま抜け出して快勝。外から2頭目のオメガパフュームは,ワイドファラオは楽に差したもののクリソベリルには追いつくことができず,2馬身差で2着。内目を捌いてきたチュウワウィザードもワイドファラオを差して1馬身4分の1差で3着。ワイドファラオはクビ差の4着。
                                   
 優勝したクリソベリルチャンピオンズカップ以来の勝利で大レース3勝目。サウジアラビアへの遠征で連勝はストップしましたが,国内での無敗は守りました。ルヴァンスレーヴを除けば能力上位は明白で,ルヴァンスレーヴもかつての能力を取り戻せているかが不明だった上に,距離適性でもクリソベリルに分があると思えましたので,順当な優勝だったといえるでしょう。それでも大井の2000mを最も得意とするオメガパフュームに対し,スローペースで2馬身の差をつけて勝ったというのは大きな評価に値すると思います。ダート競馬は年々レベルが上昇しているので,基本的に若い馬の方が綜合レベルは高いと考えられますから,4歳のこの馬の牙城を崩すのは,まだ3歳の馬の中にいるとみた方がよいかもしれません。父はゴールドアリュール。母の父はエルコンドルパサー。祖母がキャサリーンパーで6つ上の全兄に2013年にジャパンダートダービー,2014年に日本テレビ盃,2015年にダイオライト記念,2016年にダイオライト記念,2017年にダイオライト記念を勝ったクリソライト。5つ上の半姉に2016年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬のマリアライト。4つ上の半兄に2015年に神戸新聞杯を勝ったリアファル。Chrysoberylは金緑石という宝石の種類。
 騎乗した川田将雅騎手は川崎記念以来の大レース21勝目。第35回以来8年ぶりの帝王賞2勝目。管理している音無秀孝調教師は高松宮記念以来の大レース17勝目。帝王賞は初勝利。

 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは『アンチクリストDer Antichrist』において,スピノザに対して蜘蛛の比喩を用いました。このことが,僕が感じる『エチカ』の美しさといくらかの関係を有しますので,まずニーチェの意図を確認しておきます。
 ニーチェは初めてスピノザに触れたとき,スピノザは自身の先駆者であると感じました。それが1881年の夏のことで,その衝撃を友人に手紙で送っています。ただし,このときにニーチェが読んだのは,スピノザの著作ではなく,スピノザの哲学の解説書でした。この解説書の中で,スピノザの哲学におけるpotentiaの概念notioが強調されていたらしく,ニーチェはそこに感銘を受けたようです。
 おそらくニーチェはこれを機会にスピノザの著作を読むようになったのでしょう。そして実際にそれを読むようになると,自身とスピノザは一致点より相違点の方が大きいと感じるようになっていきました。もちろんスピノザとニーチェの間には一致する点があるのは事実なのであって,そのことについてニーチェがスピノザを肯定的に評価しているということは間違いないのですが,同時にいくつかの点ではスピノザを批判するようになっていったわけです。一例をあげれば,スピノザの哲学の重要な概念のひとつであるコナトゥスconatusは,ニーチェからみると自己保存的なものにしかみえませんでした。いい換えればそれは保守的なもの,あるいは反動的なものとしかみえなかったのです。このゆえにニーチェは力への意志Wille zur Machtという概念で,コナトゥスを否定するようになります。
 実際にはニーチェは,最初にスピノザの解説書を読んだときにも,相違点があるということには気付いていました。しかしそのときには,相違点の方を少なく見積もって,一致点の方を重視していたのです。それが徐々に,一致点よりも相違点の方が重要であるというようにニーチェには思えてきたのでしょう。たぶんそこにはニーチェの個人的な感情affectusというものが関係している筈で,これは正確性を欠くような説明であると思いますが,そのように理解しておけば分かりやすいのだろうと思います。したがってニーチェが『アンチクリスト』でスピノザを蜘蛛に喩えたとき,それは批判的な観点からです。
コメント
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