スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

霧島酒造杯女流王将戦&人間の精神の現実的本性

2012-12-01 18:46:32 | 将棋
 第二局のすぐ後に指された第34期女流王将戦三番勝負第三局は,先月24日の放映でした。
 振駒で里見香奈女流王将の先手となり,直前の将棋をなぞるような相三間飛車の相金無双。中村真梨花女流二段が手を替え,先手が9筋の位を取りました。相振飛車では端の位は大きい筈で,たとえば先攻するといった代償が必要だと思うのですが,そうはならなかったので,後手の作戦負けだったのではないかと思います。
                        
 ここで後手は△8四歩と突きました。銀が8三に上がれれば問題ありませんが,瞬間的には大胆です。先手は天王山の歩を狙って▲7七角。△4三角の銀取りに構わず▲5五角と出ました。△6五角▲3三角成は駒損でも馬を作って先手が指せるということで,△4四銀と受けたのですが,▲8四飛と取られてしまいました。角を取れば飛車を抜かれますから△5三金直で銀を受けましたが,▲5六銀と引かれ,△8四歩も△4三角も空を切った格好となりました。
                        
 このままでは相変らず角を取れない後手はここから1筋で歩を入手して8三に打ち,角は取れたのですが銀と香車との二枚換え。その後も攻め立てましたが先手にきっちりと受け止められ,チャンスといえる局面を迎えることはありませんでした。
 2勝1敗で里見女流王将の防衛。第32期で奪取し,第33期に続く三連覇です。

 まず最初に,この場合に非常に大事なことを再確認しておきます。
 人間が持続のうちに存在する,すなわち現実的に存在するといわれる場合には,岩波文庫版117ページの第二部自然学②要請三により,その身体は外部の物体によって多種多様に刺激されます。
 このとき,第二部定理一七により,その人間の精神はそうした外部の物体を現前するものと知覚します。そして第二部定理二五により,この表象像は混乱した観念です。ほかの仕方でも説明できますが,これで少なくとも現実的に存在する人間の精神を組織する観念には,混乱した観念が必ずあるということは証明できます。
 一方,第二部定理三八によれば,すべてのものに共通であるものは十全に認識されます。そして岩波文庫版111ページ,第二部自然学①補助定理二によれば,すべての物体には共通する点があります。したがって第二部定理三八系にあるように,現実的に存在するすべての人間が有するある十全な観念があるということになります。このこともまた別の仕方で説明可能ですが,これで少なくとも現実的に存在する人間の精神の一部が,必ず十全な観念によって構成されているということは証明できています。
 このことから分かるように,もしも人間が現実的に存在するといわれる場合には,この人間の精神はいくつかの十全な観念とそれ以外の混乱した観念とから成立しているのです。したがってこれを現実的に存在する人間の精神の本性を構成するものであると考えるなら,そうした人間の精神の本性によって説明される限りでの神,いい換えれば現実的に存在する人間の精神の本性を構成する限りでの神とは,いくつかの十全な観念といくつかの混乱した観念の両方を含んでいるような神であると考えるのが妥当であるということになるでしょう。
 すでに触れたように,実際には松田克進の主張の中には,第二部定理一二でいわれている人間の精神というのが,現実的に存在するといわれる場合の人間の精神であるということは含まれていないのですが,その点を考慮に入れたならば,その主張の正当性はさらに強力なものとなるだろうと僕は考えます。
コメント
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