裏面打法は単板で

10mmの単板に両面ラバーを貼っている男が,卓球についてまとめます。

讃岐の速攻戦士

2020-02-29 17:45:31 | 選手
前回の流れと勢いのまま,今日も選手紹介

今日もまた大物,参ります

今回紹介するのは松崎キミ代

1938年に香川県に生まれ,1960年代前半を中心に,日本卓球界の黄金時代を支えた選手の1人である。

戦型はペン表ソフト速攻型で,バックハンドも振りながら,打撃戦を得意としていた。



1959年と63年にそれぞれ世界チャンピオンになっているが,そこに至るまでの最大の要因は,前回紹介した江口冨士枝にも似た,負けず嫌いな性格にあった。

両親からの反対を押しのけ,名門・専修大学に進んでからは,男に勝るとも劣らないほどに,日々鍛錬に励んだという。

現役を引退してもなお,努力の大切さを守る考えは変わらず,今もなおその心構えを後進の人々に伝え続けている。

実は自分自身も中学時代,単身赴任中の父親に誘われて東京に遊びに来た際,恵比寿駅前で卓球店を営んでいた当時の松崎さんに会ったことがある。

もう16年近く前の事だが,ご本人とちょっとだけ喋ったのはいい思い出だった。

では,また

肥前の切り込み隊長

2020-02-27 14:43:51 | 選手
今月もいよいよ終わりに近づいているので,忘れないうちにパソコンに向かい合う

今日もまた選手の紹介と言うことで

今回紹介するのは江口冨士枝

1932年11月18日,長崎県に生まれ,1950年代半ばを中心に活躍した。

当時は今みたいなラバーの多様性はなく,一枚ラバーを使用したペンホルダー攻撃型であった。


ほんの一瞬ではあるが,現役時代の様子。

主に前陣速攻型というように見受けられるが,彼女が何よりもこだわったのは,とにかく足を使って動き切る事だった。

明るくてムードメーカーだった半面,普段の練習では自分自身に厳しく,妥協を許さなかった。

そのあまりにストイックな姿勢に,世界からの評価を集める一方で,とにかくフットワークに対する強いこだわりは,当時の日本の卓球関係者をも心配させたほどだったという。

日頃のたゆまぬ努力の甲斐あってか,1957年にはついに世界チャンピオンに輝く

同時に,当時のスターだった荻村伊智朗との混合ダブルスと合わせて個人戦2冠を達成してもいる

現役引退後は日本卓球協会のレディース強化委員長を務め,大阪府内のある卓球教室で指導者として今もなお活動しておられる。

ソースはこちらこちら

では,また

周防の若鮎

2020-02-26 14:35:12 | 選手
前回はレジェンド・ロゼアヌを紹介したので,今日もまた同じ時代の選手をピックアップ

今回紹介するのは田中良子

典型的なペンホルダーの攻撃型で,1950年台を中心に活躍した選手の一人である。


1954年世界卓球の決勝より,ロゼアヌとの一戦。

女王ロゼアヌの安定したカットに対し,ループドライブで慎重に粘り,時折ストップを入れて緩急をつけているのが分かる。

チャンスボールに対しては,今でいうシュートドライブに近いような流し打ちも披露

結果的には敗れはしたものの,途中で1セットを奪う善戦ぶりを見せた

ちなみに彼女自身,選手としては早くに頭角を現しており,まだ高校生だった1949年には全日本チャンピオンにまでなっている

しかもシングルスのみならず,混合ダブルスではあのバタフライの創業者でもある田舛彦介氏とも組んで2冠を達成している

ただ,現役時代以降,今に至るまでの消息については,まだまだ分かっていないことが多い。

全日本チャンピオンになった時点で高校生2年と言うことだから,1930年台前半生まれで,生きていればもう80代後半と言うことになる。

今もお元気でらっしゃるのだろうか……。

では,また

東欧の揚羽蝶

2020-02-23 17:51:00 | 選手
多忙の合間を縫って,忘れないうちに更新を

今回もまた,選手紹介と言うことでお付き合い願いたいm(_ _)m

今回紹介するのはアンジェリカ・ロゼアヌ

オールドファンなら多分一度は聞いたことのある名前かと思う。

1950年台を中心に女子卓球界を席巻したルーマニアの卓球選手で,安定感に満ち溢れたカットマンだ。


1957年頃の貴重なプレー姿,カットしている人物がロゼアヌ。

プレー領域は今のカットマンほど下がらない状態でありながら,相手の攻撃を確実に受け止め,チャンスボールには迷わず攻撃もしている

彼女は主戦武器のカットを磨くために,基本的にはパワーのある男と練習することで磨きをかけたのだと言う。

その持ち前の安定感と攻守のバランスで,1950年から55年までの6年間の間(この当時は毎年開催だった)に達成したシングルス6連覇と言う偉業をはじめ,多くの大会で優勝並びにメダル獲得を成し得ている。

ちなみにキャリアにおいてはじめての入賞は1937年の世界卓球の混合ダブルス3位と,意外と早い段階だったのだが,彼女の人生は常に故郷の動乱と共にあった。

第2次世界大戦の混乱の中,故郷ルーマニアではクーデターが発生し,ロゼアヌの家族はユダヤ系の血を弾いていると言う理由で全財産を差し押さえられ,競技活動も一旦休止を余儀なくされる。

また,終戦の前年に結婚し,ここで姓がロゼアヌとなり(旧姓はアデルステイン),翌年には娘が生まれている。

終戦を待って競技生活を再開させたのもつかの間,夫が収入の低さを理由に国外逃亡を試みて逮捕されたのをきっかけに,ロゼアヌは当時のルーマニア共産党当局から1949年の世界卓球の参戦をボイコットさせられてしまう。

そこで彼女は職探しを余儀なくされ,国内のあるスポーツ誌の編集局で働き始めるが,当時の職場の同僚の嘆願により,1950年の世界卓球に出場することとなる。

そこからの全盛期はもはや深く掘り下げるまでもないが,1957年に連覇が途切れたあたりから,また彼女の人生で波乱が巻き起こる。

当時のルーマニアの卓球連盟に反ユダヤ主義の上層部たちが就いたのを皮切りに,ユダヤ系の選手たちは国を追われ,夫もイスラエルに引っ越してしまう。

当時の政府関係者やスポーツ関係者に窮状を訴え,混乱の収束に奔走したものの,事態はなかなか変わらなかったという。

結果,1960年にイスラエルへ亡命することとなり,そこで新たに選手として活動を続けることになった。

故郷ルーマニアで市民権をはく奪されるなどして散々に叩かれ,国内ではその存在を語る事さえもタブーとされてもなお,決してめげることなく,彼女は卓球界を支え続けた。

亡命から30年近い月日を経て,ルーマニア革命で一党独裁が終わったのをきっかけに,ロゼアヌは度々里帰りをするようになる。

その後,2006年2月21日に,84歳という長寿を全うするまで,余生を過ごした。

1人のレジェンドについて書くために,つらつらと語ってしまったが,その波乱に満ちた生涯は,今後も語り継がれるべきかと思う

ソースはこちら

では,また

下野の速攻戦士

2020-02-21 23:17:48 | 選手
仕事で忙しくしてしまったため,またもや更新を空けてしまった

そんなわけで,今回は久々に選手紹介に行きたいと思う。

今回紹介するのは廣澤雄輔

また誰やねんと思われるかも知れないが,今や数少ないペンホルダー選手の一人




最初表ソフト速攻型かと思っていたが,どうやら裏ソフトでミート打ちをするという変わったスタイルのよう。

スラリとした体格からはミート打ちのみならず,ちょっとしたドライブも繰り出される。

そして何よりの特徴はバックショートの安定感

基本に忠実なフォームで,気持ちよさそうに打ち分け,相手を振り回している

ペンと言えばどちらかと言うとパワーを求められそうな戦型だが,力がない人でも攻撃的に行きたいと言う人は,彼みたいにテクニックやコース取りの厳しさで翻弄するやり方もあるので,参考にしてもらいたい。

では,また