裏面打法は単板で

10mmの単板に両面ラバーを貼っている男が,卓球についてまとめます。

ハマの鉄壁ブロック

2019-06-28 23:29:42 | 選手
仕事が忙しくて,新しいラバーはおろかグッズそのものに狙いを定められずにいる今日この頃

そんな状況にあって,何とかコロンとひねり出て来たように思い出した選手をご紹介

今回紹介するのは坂本憲一

1957年生まれの御年62歳,今となっては珍しいペン表ソフト速攻型である。


2017東京卓球選手権,男子フィフティ決勝より。

対戦相手は山田昭仁選手。

坂本選手の最大の特徴と言えば,バックショートの堅実さである。

ブロックからプッシュに至るまでとにかく正確無比で,抜群のコントロールを誇る。

ショートもさることながら,チャンスボールに対しては一撃必殺のカウンタースマッシュで打ち抜いたりもする。

そのテクニカルな速攻スタイルで,全日本選手権では混合ダブルスでチャンピオンに輝き,男子シングルスにおいては後の日本代表のコーチとなる前原正浩と戦っている。

個人的にはマスターズにおける長期政権と言うイメージが強く,卓球王国や卓レポでマスターズの記事に出ているのを見るたびに,「ああ,今年も……。」と思ったものである。

現在でも日産追浜と言うチームで活動中だそうだ。

では,また

哀しき光 The light of isolation

2019-06-24 23:57:16 | 選手
新しいラバーを何にするか悩んでいる所で,気休めにまた選手紹介

今回紹介するのは李景光

1947年11月に河北省唐山に生まれ,主に70年代前半を中心に活躍した最強中国の一員の1人である。

身長は181センチと恵まれており,当時の中国には珍しいサウスポーから繰り出される速攻を身上としていた。

卓球は1953年,6歳の時に始め,63年には河北省の省チームに参加していたという。

翌年の1964年冬には,晴れてナショナルチームの強化選手の1人として選ばれた。

1965年9月の北京卓球国際招待大会では,当時の日本代表であった長谷川信彦や河野満を破る活躍を見せている。

その後国内の大会でも着実に実績を重ね,1971年世界選手権を迎えることとなる。


現役時代の貴重な映像がこちら。

途中から出てくる左利きのペンホルダー選手が李景光。

当時23歳と言う若さで代表に起用され,団体決勝では長谷川,河野,伊藤という当時の日本代表三羽烏を打ち破り,団体優勝に貢献した。

特に最後の伊藤繁雄戦は,当時のスコアで21対3・21対6で抑えるという,凄まじい活躍ぶりであった。

この他にも73年サラエボ大会の決勝・スウェーデン戦でも2点を取る活躍を見せた。

で,この李景光がその後どうなったのかネットで調べて見たのだが……。

ちょっとブルーな後半生が分かって来たので,以下に記しておく

翻訳して分かりやすく意訳すると,71年当時のいわゆる「ピンポン外交」を境に何らかの病気に感染し,ひどく苦しめられたという。

また,生涯独身で当然子供もなく,20年近く統合失調症だったのだそう

そして2000年6月16日に,北京市内の自宅アパートと思われる建物から階下で路駐していた車に転落し,20分後には発見されるも残念ながら帰らぬ人となったのだとか

如何せん中国語のサイトなので,どこまでが事実なのか分からないが,ざっと整理するとこんな感じ。

確かに71年・73年の世界選手権以外に,これと言って国際大会における実績を聞いたことはない。

もしかしたら病気が関係しているのだろうか……。

ソースはこちらこちら

では,また

Stand and deliver

2019-06-12 23:57:28 | 選手
昨日の流れと言う感じで,今日もまた選手紹介

今回紹介するのは張立


1951年5月3日に,河南省は新郷市の出身で,70年代中盤を中心に活躍した。

戦型は左ペン表ソフト速攻型で,安定感のある連打を得意とする。


ちょっと長いが,現役当時の者と思われる教則の動画。

前陣速攻型でありながら,フォアサイドに対しては女子にしては珍しくダイナミックな飛びつきを時々見せてくれる。

台上技術においては,今でいうところの横回転ツッツキに似たテクニックも併せ持っていた。

選手としてのキャリアのハイライトは1975年世界選手権の決勝,北朝鮮から唯一エントリーした朴英順とのサウスポー対決だった。

この試合は敗れはしたものの,団体では優勝に貢献するなど,当時のナショナルチームの中心人物の1人として君臨した。

同時代に活躍した李振恃と後に結婚し,現役引退後は渡米して後進の指導にあたった。


夫のかつての抗争相手の1人だった元世界チャンピオン・ヨニエルと。

かつてお互いにギスギスしていた仲の3人が,ここでは何とも和気あいあいとフリー練習を楽しんでいる。

ただ最近知った事なのだが,残念なことに今年の2月13日に亡くなったのだという

一体何があったのだろうか……。

何にせよ,卓球界で活躍された故人のご冥福をお祈りします

ソースはこちら

では,また

力恃みし者

2019-06-11 22:04:23 | 選手
本格的な梅雨入りで,ちょっと暑さの中にも湿っぽさを帯びているのを感じる

今回はそんな入梅後初の選手紹介

今回紹介するのは李振恃

1949年10月29日,中国は遼寧省の出身で,70年台の中国ナショナルチームを支えた中心人物の1人である。

戦型はもちろん,当時主流だったペン表ソフト速攻型である


1979年の世界卓球より,クランパとの一戦。

投げ上げロングサービスからすぐに自分から攻めていくという展開は,当時の中国式速攻のお手本とも言えるパターンである。

バックショートも堅実で,ドロップショットで短く落としたり厳しいコースを突いたりと精度が高い。

その巧みな攻守を武器に70年台から80年代にかけて活躍し,77年と81年の世界卓球ではそれぞれ梁戈亮と蔡振華(後の中国NT監督)と組んだダブルスでチャンピオンになってもいる。

引退して以降の現在の姿については,またの機会に触れようと思う。

では,また