(つづき)
福岡県粕屋町の「大川農協前」バス停。
「農協」が“地域の中心”であった時代の面影が感じ取れる場所である。
都心方面の乗り場と、
郊外方面の乗り場。
この場所を通る「74番」には「大川線」という路線名が付いているものの、その大半がここより手前の「青洲会病院」(今年春までは「坪見」)までの運行であり、ここにやってくるのは現在一日5往復のみである。
「大川」と「74番」で思うところについては、「丸山」の記事で既に書いてしまったので、一応再掲しておく。
“「74番」には「大川線」という路線名が付いており、粕屋町のサイトによれば、「大川線」の運行開始は昭和32年か33年らしい。
この路線の誕生から現在に至るまで、おそらくほとんどルートは変わっていないのではないだろうか(末端部分の猪野や東鉄工団地などに変化はあるものの、天神~妙見~坪見~脇田間の「幹」の部分は、少なくとも私が物心ついて以降変わっていないと思う)。
大川とは、当然、家具やのだめで有名な大川市ではなく、粕屋町の中の地区名である。
現在、町名としての「大川」は存在しないが、大川農協前バス停、大川小学校、大川橋などに「大川」の名が使われている。
ちなみに、RKBの前身である「ラジオ九州」の開局当時の送信所も大川付近(JR香椎線「伊賀」駅の近く)にあったらしい。
粕屋町はもともと大川村と仲原村が合併してできた町であり、発足当時の役場は大川にあったとのことなので、大川地区は、「福岡市のベッドタウン化の波とは関係なく、以前から人が集まっていた場所」だったのだろう”
都心方面に出てすぐの、香椎線の踏切手前のこのカーブもなかなか味がある。
(つづく)
福岡県粕屋町の「大川農協前」バス停。
「農協」が“地域の中心”であった時代の面影が感じ取れる場所である。
都心方面の乗り場と、
郊外方面の乗り場。
この場所を通る「74番」には「大川線」という路線名が付いているものの、その大半がここより手前の「青洲会病院」(今年春までは「坪見」)までの運行であり、ここにやってくるのは現在一日5往復のみである。
「大川」と「74番」で思うところについては、「丸山」の記事で既に書いてしまったので、一応再掲しておく。
“「74番」には「大川線」という路線名が付いており、粕屋町のサイトによれば、「大川線」の運行開始は昭和32年か33年らしい。
この路線の誕生から現在に至るまで、おそらくほとんどルートは変わっていないのではないだろうか(末端部分の猪野や東鉄工団地などに変化はあるものの、天神~妙見~坪見~脇田間の「幹」の部分は、少なくとも私が物心ついて以降変わっていないと思う)。
大川とは、当然、家具やのだめで有名な大川市ではなく、粕屋町の中の地区名である。
現在、町名としての「大川」は存在しないが、大川農協前バス停、大川小学校、大川橋などに「大川」の名が使われている。
ちなみに、RKBの前身である「ラジオ九州」の開局当時の送信所も大川付近(JR香椎線「伊賀」駅の近く)にあったらしい。
粕屋町はもともと大川村と仲原村が合併してできた町であり、発足当時の役場は大川にあったとのことなので、大川地区は、「福岡市のベッドタウン化の波とは関係なく、以前から人が集まっていた場所」だったのだろう”
都心方面に出てすぐの、香椎線の踏切手前のこのカーブもなかなか味がある。
(つづく)