(つづき)
福岡県筑紫野市の「朝倉街道」バスセンター。
西鉄天神大牟田線と甘木、原鶴温泉、杷木方面への西鉄バスの乗り換え拠点であり、日田や高塚までの急行バスもわずかに走る。
ただ、秋月への「40番」、南バイパス経由の「急行」、JR大野城駅への「5番」、浦の下・上西山への「24番」(かつては飯塚まで)などはなくなり、
3つ設置されている乗り場のうち、使われているのは一つだけ。
それでも、イオンモール筑紫野へも歩いて行ける距離であることから、新たな人の流れもできているようで、そこそこの賑わいはある。
反対側のバス停から行けるのは、JR二日市方面のみ。
「街道」の本来の読みは「かいどう」で、前に「朝倉」が付くことにより濁って「がいどう」になると思うのだが、「朝倉」を省略して単に「街道」とだけ書いても、この付近では「がいどう」と読まれている気がする(私のPCはたまに「朝倉が移動」と変換する)。
ここで電車からバスに乗り換えて、杷木まで行って、杷木でさらに高速バスに乗り換えて日田に行く人というのはどれくらい居るのでしょうか。
(つづく)
福岡県筑紫野市の「朝倉街道」バスセンター。
西鉄天神大牟田線と甘木、原鶴温泉、杷木方面への西鉄バスの乗り換え拠点であり、日田や高塚までの急行バスもわずかに走る。
ただ、秋月への「40番」、南バイパス経由の「急行」、JR大野城駅への「5番」、浦の下・上西山への「24番」(かつては飯塚まで)などはなくなり、
3つ設置されている乗り場のうち、使われているのは一つだけ。
それでも、イオンモール筑紫野へも歩いて行ける距離であることから、新たな人の流れもできているようで、そこそこの賑わいはある。
反対側のバス停から行けるのは、JR二日市方面のみ。
「街道」の本来の読みは「かいどう」で、前に「朝倉」が付くことにより濁って「がいどう」になると思うのだが、「朝倉」を省略して単に「街道」とだけ書いても、この付近では「がいどう」と読まれている気がする(私のPCはたまに「朝倉が移動」と変換する)。
ここで電車からバスに乗り換えて、杷木まで行って、杷木でさらに高速バスに乗り換えて日田に行く人というのはどれくらい居るのでしょうか。
(つづく)
いますいます、ここに被害者が(笑)。
高校生時代の名残で、朝倉街道を略して「がいどう」と言っていたこともあり、いざ“街道”を入力しようと「がいどう」「がいどう」「ガイドー」と打っても表示されませんでした。そりゃそうです、読みは濁音ではないのですから(笑)。
このバスセンター付近も、20年前はバスセンター内には某旅行代理店あり、某ファストフード店あり、道路を隔てた向かい側には某コンビニあり、道路沿いで見ても一種の商店街の装いだったのですが、当時に比べると今はだいぶ廃れま…いやいや、人の集まるポイントが移動したように思います。ゆめタウンができ、イオンモールができれば、人の流れが移ってしまうので、ある意味仕方ないことなのかもしれません。
もともと、ここからは甘木・杷木・日田方面行きバスが頻発し、他にも吉井・千足行き、秋月行き、小石原・宝珠山行き、飯塚行き、特急別府行きまでもここに停車し、多くの乗客はここで電車との乗り換えをしていたのです。だから、電車の急行停車駅に格上げになったのです。
しかし道路の、5号線(県道福岡筑紫野線)ができ、クルマでの移動がスムーズとなり、縦貫道(九州自動車道)ができ、遠距離行きバスも高速経由で直通するようになり、南バイパス(現3号線)ができ、福岡市東郊とも直通できるようになり、とうとう400番バスの登場で篠隈・甘木方面も朝倉街道には寄らなくなりました。
街の盛衰もそれを如実に物語っています。もっとも急行電車で天神まで20分程度で行けるという道路と無関係の強みはいまだにありますが。
この「バスセンター」の位置は、その昔は西鉄ストアの1号店が開店した場所(現在のストアは道を挟んで反対側のやや奥)、そのさらに前は西鉄社宅で、多くの西鉄社員が同じ形の平屋住宅に住んでいました。
何故か「朝倉街道」を略す時は、「街道(がいどう)」と略しますね。「がいどう」と濁音で。でも私の父(故人)を含め、何人かの年配者は、東京の「甲州街道」や「青梅街道」のことも「がいどう」と濁音で読んでいましたから、地域性のある読み方ではないかとも思っています。そもそも「街」の読みは、「がい」ですから。「かいどう」という読みの方が後からできた特殊な読みなのかもしれません。「東海道(かいどう)」につられて。
このBCからも色々行けたんですねぇ・・・秋月や飯塚や大野城など・・・。バス停の表示器に歴史を感じてしまいます。
毎回ではありませんが、のんびり日田から福岡まで行くときは杷木で乗り換えて朝倉街道までバスで出て、電車に乗り換えてます・・・最初から高速を使わずにのんびり行く事もありますが。
今夜はこの辺で。
>高校生時代の名残で、朝倉街道を略して「がいどう」と言っていたこともあり、
たしかに、長い言葉を略すのは、若者が先駆者になるという面があるのかもしれませんね。
私も昔、「博多ラーメン」を「ハカラー」とか、「マジックワールド(カラオケ屋)」を「マジワ」などと言っていた気がします。
>このバスセンター付近も、20年前はバスセンター内には某旅行代理店あり、某ファストフード店あり、道路を隔てた向かい側には某コンビニあり、道路沿いで見ても一種の商店街の装いだったのですが、当時に比べると今はだいぶ廃れま…いやいや、人の集まるポイントが移動したように思います。ゆめタウンができ、イオンモールができれば、人の流れが移ってしまうので、ある意味仕方ないことなのかもしれません。
ここの特徴としては、道路、商業施設ともに、ここを挟んで両側にできていることでしょうか(5号線と3号線、イオンモールとゆめタウン)。
どちらか一方にだけに人や車の流れが移ってしまうと衰退も著しいのでしょうけど、両側にできることによって完全には衰退してしまわないというか、絶妙なバランスの上に成り立っているような感じもします。
>もともと、ここからは甘木・杷木・日田方面行きバスが頻発し、他にも吉井・千足行き、秋月行き、小石原・宝珠山行き、飯塚行き、特急別府行きまでもここに停車し、多くの乗客はここで電車との乗り換えをしていたのです。だから、電車の急行停車駅に格上げになったのです。
なるほど。
まさにバスセンターと呼ぶのにふさわしい場所だった訳ですね。
>この「バスセンター」の位置は、その昔は西鉄ストアの1号店が開店した場所(現在のストアは道を挟んで反対側のやや奥)、そのさらに前は西鉄社宅で、多くの西鉄社員が同じ形の平屋住宅に住んでいました。
西鉄にとってはとてもゆかりのある場所なのですね。
福岡都市圏の駅ではあるのですが、集まってくる人たちの特性から、「福岡」以外の雰囲気を感じる場所であり(私の先入観もあるでしょうが)、そのあたりも個人的には気に入っています。
折尾駅に「北九州っぽさではないもの」を多分に感じるのにも似ている気がします。
>「かいどう」という読みの方が後からできた特殊な読みなのかもしれません。「東海道(かいどう)」につられて。
なるほど。納得です。
「がいどう」よりも「かいどう」のほうが、ベタベタしてない乾いた感じというか、どこか「粋」な感じもして、広まっていったのかもしれませんね。
ここから出る日田、高塚行きの「急行」は、高速道路網がまだ発展していなかった頃の人々の往来に思いを馳せることができますね。
少しでも長く生き延びてほしいものです。