白雲去来

蜷川正大の日々是口実

紀元節。

2020-02-17 18:20:10 | 日記
二月十一日(火)晴れ。紀元節(建国記念日)

皇紀二六八〇年の紀元節、おめでとうございます。神武天皇肇国の昔を偲び、日の丸を掲げ、橿原神宮を遥拝。ご皇室の弥栄と天皇、皇后両陛下のご健勝を心からご祈念申し上げます。この日を何の根拠もない、という人がいる。約三千年前の出来事に根拠がある、ない、などと言うのは不毛である。長い歴史のある国は、どこの国も「神話」に基づいた麗しい文化がある。私は、それを誇らしいと思う者の一人である。

全国各地で、民族派の人たちが奉祝の式典を開催している。一日も早く、政府主催の紀元節奉祝の式典を、両陛下ご臨席の下で開催して頂きたいと思っている。

若い頃は、大磯にある大日本殉皇会の小早川貞夫先生が昭和四十七年から主催していた「紀元節奉祝神奈川県大会」に参加した。この大会は、現在も神奈川県維新協議会の同志の人たちによって続けられている。私が初めて参加したのは昭和四十八年の第二回大会だった。当時神奈川には民族派団体の数も少なく、街宣車も殉皇会の所有するものが一台だけという時代だった。大磯の駅前から、約三キロぐらいの距離を徒歩行進し、その後は車両によるパレードを行ったが、参加人数は十五人程度で、街宣車は一台、その後ろには各自の乗用車に日の丸を貼って走った。のどかな時代でもあった。

昼間に、愚妻と弘明寺商店街方面を一時間歩いた。残念ながら国旗を掲げている家がほとんどなかった。野村克也氏の訃報あり。

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ネツトの普及も良し悪しである。

2020-02-17 17:20:17 | 日記
二月十日(月)晴れ。

六時に起床。サバの竜田揚げ、筋子、おでん。体調が良い時は朝食が美味しい。昼は無し。夜は、友人と京急、井土ヶ谷駅近くの焼き鳥屋「らいぶ屋」にて一献。このお店に来るのは三年ぶりくらいか。ここも焼き鳥の名店である。雑誌などに出ると、予約が取りにくくなるので要注意。

横浜には「やまと」のように好きな焼き鳥屋が何軒かある。という割にはどのお店も最近は行っていない。まず前述の「らいぶ屋」、曙町の「千屋」に前里町の「だんらん亭」。以前「千屋」のオヤジが、「最近は二か月前の予約を入れてくるアホがいる」と言っていた。ネツトの普及で、好きなお店が見知らぬ他人に占領されてしまう。まっお店にとっては忙しくて、嬉しい悲鳴かも。


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霧笛のこと。

2020-02-17 14:57:47 | 日記
二月九日(日)晴れ。

今日は酒をなるべく控えようと思っていても、嫌いなものではないので、つい先刻の自制を忘れて飲み過ぎてしまう。これでは元T展社のF本君を笑えない。当然ながら二日酔いで朝が起きられなかった。気がつけば十一時近く、のんびりしている家族と昼食を兼ねて、近くのラーメン屋「たつ屋」にて「中華丼と小ラーメン」のセット。

たまにユーチューブの動画にハマって夜更かしをしてしまうことがある。著作権のことは良く分からないが、まあ、「見たい」と思うものは、ほとんどアップされている。作家の山平重樹さんの歌の十八番は赤木圭一郎の主演映画で昭和三十五年に公開された「霧笛が俺を呼んでいる」の同名の主題歌。

物語の場所は横浜、まだ氷川丸が係留される前の山下公園が出てくる。貴重な映像である。ラストシーンは、赤木圭一郎と芦川いずみが霧の波止場で別れるシーン。芦川いずみが、「さようなら」と言うと、赤木圭一郎が「ごきげんよう」。今、別れる時に「ごきげんよう」などと言う人がいるのだろうか。ある意味で死語となったかもしれない。芦川いずみが天使のように美しい。当時の日活映画では彼女が一番好きだった。

ちなみに「霧笛」とは、船舶が霧、もや、雪などで視界が悪いときに他船との衝突を回避するために鳴らす汽笛のことで、別名「霧信号」ともいう。昭和の時代まで横浜の関内辺りにも時折霧がかかることもあった。その時に、汽笛が聞こえると、横浜らしいなあー。と思ったものだ。

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