白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野村先生の生誕の日。

2020-02-21 12:46:54 | 日記
二月十四日(金)曇り。

巷ではバレンタインデーとやらで浮かれているが、今日は私にとっては野村先生の生誕の日という思いの方が強い。先立つ六日に、大熊雄次氏らの野村一門の有志が厳粛なる「生誕祭」を行った。先生は昭和十年のお生まれだから、ご存命ならば八十五歳となる。当然ながら八十五歳の先生は想像もつかないが、先生は亡くなられた五十八歳のままで、門下生である我々の方が先生の晩年の歳をとうに過ぎて老いて行く。

野村先生が獄中で恩師、三上卓先生の訃報に接し、詠んだ句が、白菊の白が溢れてどまらぬ。昭和四十六年十月二十五日のことである。野村先生の遺影の前に白菊を飾って手を合わせた。

私が大切にしている野村先生関係の年中行事がある。まず上記、二月十四日の「生誕祭」、三月三日は、昭和五十二年に、先生が「財界の営利至上主義を撃つ」として同志と共に経団連会館を占拠した「経団連事件」の日、昭和三十八年七月十五日、政界の腐敗と堕落を糾弾するために、当時、建設大臣であった河野一郎の私邸焼き討ち事件を起こした「炎の警鐘」の日、そして平成五年十月二十日の「群青忌」である。早い話が、自身のハラワタの腐り止めでもある。



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「昭和の怪物」の中に銀座のママがいた。

2020-02-21 11:31:22 | 日記
二月十三日(木)雨後晴れ。

何気なく寄ったスーパーに、新物の「生ワカメ」を見つけた時には頬がゆるむ。この程度で喜ぶのは、長年の浪人生活ゆえか。朝は、その生ワカメを使ってわかめスープにした。ウエィパーを溶かした熱湯の中に生ワカメを入れると、みるみるきれいな深緑色に変わる。昔から「初ものを食えば七十五日生きのびる」と言われているのを信じつつ食す。後は、清風楼の焼売、もやしいため、白菜のおしんこ。昼は、冷食のペペロンチーノパスタに再びわかめスープ。

夜は、宝島編集部編の『昭和の怪物ー日本の闇を牛耳った120人の生きざま』(宝島社新書)をお供に、吉田町の「梅や」の「手羽餃子」、肉野菜炒めを「黒霧島」で楽しんだ。まあ「日本の闇を牛耳った」人の中に銀座のクラブ「順子」のママが出ていたのはご愛嬌か。そうそう「梅や」の「手羽餃子」は一度、蒸籠で蒸してからグリルで軽く焼いて食べると美味しい。冷凍ものなので、グリルだけだと、皮だけ焼けて中まで火が通っていないことがある。

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