人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

本当の神秘主義?

2023-08-16 09:53:37 | 雑感
私はね、高尚な神秘主義者(いや、“神秘思想家“と言った方がいいかな?)を自認しているのであるからして、低級なオカルト話なんぞ問題にしてないのですよ!
...って、そんなこたあない!...普段そういうことにはあまり触れないけれど、昔からそういう話大好きですよ。
しかし、そういうことを一寸話題(現臨だとかのことは話題にならんやろ?)にしただけで、オカルト.フリークのように見られてしまうのはどうしたものか?...“神秘...“と呼ばれるのはマンザラでもないのだけど...
何度か触れているように、オカルト的なことに批判的に書いたりするのは、それにハマる人らの固定観念で決めつけた言動に対するものであって、そうでなく“ほお、そういう面白い話もあるのか!“というノリで、テレビ「やりすぎ、都市伝説」もなるべく観るようにしてるし、怪談、奇談、オカルトを面白おかしく語る、作家の「加門七海」さんのエッセイとかも大好きです。
要するに、それを信じるか信じないかは私の自由なんです!
しかし、近年さすがにその固定観念を植え付ける(洗脳させる?)意図を感じさせるような本などは生理的に受け付けなくなりました。
又、ホラー、怪談的なことは、加門さんもそうであるように、関わるとマジでコワイ、ヤバイものには近づきません。あの人はセミプロのレベル?で、そういうことに関わっているから、そういう風なことを言っているのです。
そのように、私は、オカルチックなことを一種の娯楽のように楽しんでいる(今、今更の感もありますが、この盆の季節にぴったりのドラマ「陰陽師(ゴロちゃん版)」にハマってます!)のでして、絶対に一線を越えるようなバカな真似はしません!
どこにその線があるかと言うと、言うまでもなく、例えば真偽の分からない陰謀論を真実と固く思い込んで、“皆さん、大変ですよ~“、と外に向けて発信してしまうか、自分の心象に留めておくかどうかということでしょう。
このように、短絡的に信じちゃう人というのは、分からないことを分かったことにしたがる欲求が強いのでしょう。とにかく、それはごく限られた、浅い理解、見識に留まっているということなんです。
で、こういう人は絶対に神秘主義者にはなれないのです!...神秘主義というのは、実に曖昧な、怪しい言葉なのですが、ここで私が自認したくなるほど言いたいことは、単純に神秘なるものを愛好するということ...神秘とは、人智、つまりは自分の人智、思いを超えたものが心象に常に“空地“として広がっているものに他なりません。
分からないことを分かったことにしたら神秘でなくなる!
私は自分の思いの限界を弁えているから、そういうものを受け入れられるのです。自分の思いに取り込んて、決めてかかることとは丸っきり違います。
この意味で私は神を信じています。それは、思いを超えたものを信じ、受け入れることであり、神を分かったかのように思い込み、その思念から抜けることの出来ない、所謂信仰者にはなりたくないのです。
人生は、分からない世界のベールを開こうと追求するのも楽しいけど、分からない故に楽しいのです。
そして本当の幸福というのは、思いを超えたところに求められることも、誰しも感じることではないでしょうか?...
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