人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

夜のノスタルジア

2015-07-31 14:19:43 | 映画・音楽など
このところめっきり日が暮れるのも早くなってきましたが、都会の夜はまだまだ暑いです。
そこで、生きた化石ミスター・レトロこと”すぎた”とレトロな喫茶店でしばし音楽談義です。
店内で懐かしいムーディーなメロディが流れてきたと思ったら彼が切り出しました。
「近頃”この感じ”が全く聴かれなくなってしまったのは、何とも寂しい限りだよ…」
―”この感じ”?
「これは、マルマン深夜劇場(60年代前半放映されていた洋画番組)のテーマ音楽で、ジョルジュ・ジューバンの”夜は恋人”だよ、何となくラテンっぽいアレンジだ。あとは…そうだなあ…ペペ・ハラミジョのラテン・ピアノ、トリオ・ロス・パンチョス…」
―ああ、もう分かった!…君の言わんとしていることが…あの頃はテレビでも巷を歩いていても、ごく普通にそんなものが流れていたな…夏だとハワイアン…これは一年中というのは、ちとシンドイ…マンボとかラテン系は一年中、真冬でもオーケーだ…でも君が言う”この感じ”というのは夜のしじまにシッポリと流れる抒情的な調べの事だろう…しかし、君はまさかその時分からそんなのを熱心に聴いていた訳じゃあるまい! いくらなんでも早熟過ぎていずれは仙人になるしかないだろう…
「ハハハ…ご他聞に漏れず、私が意識して自分でレコードを集め出した頃ロック・ポップスが怒涛のように押し寄せていて、当然その洗礼を受けたものだ。だけど…どうしたってあの頃のメロディーが細胞レベル?で染み込んでしまっているんだな…郷愁と共にね…」
―郷愁ねえ…単に古いからって事じゃなく、その旋律自体がノスタルジアという感じだ…タンゴとかボレロ(ラテン歌謡)とか、ああいうのは日本人の感性に会っているなんて言われているけど、そういう血が呼びさまされるのだろうか?
「ウーン…そう言う風に言われていたのは昔の話なんじゃないかな?でも根底にはそういう感性も眠っていると信じたいが… 60年代を通じて日本でもラテンリズムが浸透していた。ボレロなんかは歌謡曲に絶対影響与えている筈だよ。伊東ゆかりさんの”小指の想い出”とかね…」
―ザ・ピーナッツの”ウナセラディ東京”!
「そうそう…その頃は確かに日本人向きだった…しかし70年代になってからロック世代に浸透したのはレゲエであり、サルサだった」
―中村とうよう思想カブレだ!良くも悪くも…
「その通り!だからあの時代からのオールド・ラテン愛好家と、最近のクラブ系?ダンサブル愛好家とではかなりの温度差があるだろうね」
―今のクラブ系と”東京ナイトクラブ”の違いと言ったら分かり易いだろうか?
「余計なんのこっちゃサッパリ分かるまい! しかしこういう話は何時もながら誰にピントくるんだろ…我々はよっぽど異端な人種なんだろうな…」
―断るまでも無いが、こういう話で盛り上がるのは我々よりずっとオールド世代の筈だ。我々は考えてみればずっと日の当たることは無かったんだな…地下室の住人と言うか…ま、しかし異端だろうと、表通りの人間だろうと誰しも心の故郷に引き付けられるのさ!究極のノスタルジアは”生まれる先の自分”にあるんだしな…
「なるほど…もうお盆の季節だな…」
と、外はすっかり漆黒に包まれていました…夜は我々を踊るような表側から郷愁漂う裏側へと誘ってくれる…

”この感じ”と言うのはどんな感じ?
oGeorges Jouvin/ Mea Culpa
(前記フランス系のトランペッターによる懐かしのテーマ音楽。)
oVirginia Lopez/Por Equivocacion(あやまちゆえに)
(ビルヒニア・ロペス。60年代日本でも人気の高かったプエルトリコ出身のボレロ歌手。おそらくその歌唱スタイルは日本人歌手にもかなり影響を与えたと思われます。) 
oJaime Llano Gonzalez/Llamarada
(ハイメ・ジャノ・ゴンザレス。つ、ついに幻のお宝開顕!なんてこった! 知る人ぞ知る南米コロンビアのオルガン奏者。私の20年来の愛聴盤。)

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空から何かが降ってきた

2015-07-28 17:52:58 | 回想
昭和45年夏、中学二年の私はずっと灰色の世界の中に居たようでした。
そしてその時の東京の空はホントに灰色に霞んでいました。
その事は、あの…これまで見たことの無かった異様な、戦慄すべき光景、又見ていた私自身に起こった”目の開けられないような、息もつけないような事態”がよく物語っていました。
夏休み、校内プールに行った時です、うだるような暑い日でした。
ただでさえも意識朦朧になりそうでしたが、この日のそれはどうやら猛暑のためだけでは無いらしい…目がやたらとチカチカする…何かムッとむせかえるような、呼吸が困難になりそうなものが空気中に漂ってるらしい…
それが段々と強く感じてきて、どうにも気分が悪くなってきたので、保健室に行くことにしました。
そして校庭を見回してみたら、驚くべきことが目に飛び込んできました。
私だけが原因不明の体調不良に陥っている訳では無かったのです!
一人、又一人とバッタ、バッタと校庭に居た生徒たちが倒れて行くではありませんか!
フラフラになりながらも、何とか保健室にたどり着いたら…なんと満室だったのです!
”一体、こりゃあどうなっているんだあ!”先生たちに聞いても…”分からない”
生徒たちの間には次々と憶測に基づく怪説が生まれました。
”誰かが空から有毒ガスを撒いた”…”どっかの化学薬品工場が大爆発した”…”宇宙人の襲来”…”宇宙的規模の大異変”…
何にせよ、私には原因が何かという事は勿論、それが局地的なものなのか、東京的、国内的、世界的、宇宙的な規模のことなのかも見当もつかないことで、ものすごく不安に苛まれました。
全ては夕方のニュースで判明しました。その怪事の犯人は…”光化学スモッグ”
その日こそ、初めてその空よりの脅威が東京を襲った日だったのです。
今でこそ、光化学スモッグ注意報の発令自体少なくなってきたようですが、当時の私には、この日本中に知れ渡った東京の生活環境の危機の告知は、夏の間ずっと私が陥っていた別の問題とも重なって、人生も世界も何だか思いもよらぬ方向に向かっているようだ、と印象づけられることになりました。
もう一つの私の問題というのは…それはある意味、私には宇宙的生活環境の問題より深刻だったかもしれません。
ただ…他人には果たしてどう映るのか?…一寸言いにくいことではありますが…言います!
”いつも何かが頭に引っかかっている”ということです。
”ハアッ!一体何が?”って?…いや何がって事じゃないです。ただ何かが引っかかっているという、それだけのことなのです。
ま、理解出来ないでしょうけど…何かについて悩んでいるのでなく、いつも引っかかってる思い、というのが問題だったのです。
それがあの年の夏をスモッグともども灰色にしていたのです。
(こういう事はよっぽど出来損ないか、天才じゃないと起きまい!)
この全くどうかしてる夏に起きた、どうかしてるような頭の事態…今私には何となくその時の経験が別の様相で、淀んだ、沈んだ意識状態で無しに、生き生きとした意識状態で起きるのをしばしば身に覚えています。
それは意識があっちに向けられると、いつの間にか愛の波動に包まれてしまうという事です。
何に意識を集中するでなしに、そうなってしまうのです。
何を悩んでいるでなしに、ああなって?捉われてしまう事とは真逆です。
この怪事はその年の長い長い暑い日の終わりと共に消えました。
確か九月の終わりか十月初めだったと思います。ウソのようにカラッとした涼風が持って行ってしまったのです。
忘れもしない、その夜はテレビで久しぶりに怪奇映画の古典「魔人ドラキュラ」(1931)を観ました。
夏休みに観たクリストファー・リーのドラキュラをもってしても、頭の中の霧は晴れませんでしたが、古色蒼然とした霧に包まれた古城を観ているうちに晴れてしまったのです。
やはり私にとってはドラキュラといったらベラ・ルゴシなのです!…







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歴史の見直し

2015-07-27 16:21:18 | 哲学・思想
歴史の見直し? ああ、やってますねえ…あちこちで。…なにもこのクソ暑いのに、暑い議論など吹っかけるつもりなど毛頭ありませんよ。
過去に起こったある歴史的事実の見直し…今私にもたげてきているのはそういう事じゃありません。
歴史というもの、そのものの見直しです。近い将来歴史そのものが終焉するかもわかりませんので!…
何度も書いてるように、私は歴史的なものに惹かれて生きてきました。
しかし、学校で教わる歴史の授業ほど退屈極まりないものは有りませんでした。
何年何月あんなことが起きた…誰それが生まれた、死んだ…これの羅列、一体何処が面白いんでしょう?
それも記されていることといったら、日本史といい、世界史といい政権変遷史といったものに偏っているではありませんか?
歴史的人物と言ったら、ほとんどが時の権力者です。
社会の上層部だけに歴史が有るなんてとんでもないです。
私は歴史というのは、極端な事言うようですが、畢竟精神史か文化史のようなものだと思っています。
個人といい、その集合といい人間精神の反映されない歴史などあるでしょうか?
そして、そうした人間の日常の営み、文化的なものもそこに如実に反映される…それは私自身の歴史というのがまさにそうなっているのです。
これは権力の歴史などに全く興味の無い私の偏見なのでしょうか?

このブログを通じて、この私の歴史は何度か見直されました。
それは過去に起きた事実は変わらない、しかし解釈はどのようにも変わる、ということです。
この事はしかし、単に過去の事実の見直しなんてどころじゃない、禁断の扉をも開くことにもなりかねません!
それは人生の裏側の歴史が現実世界に切り込んだことによりそうなってしまうのです。
しかし、人生の裏側には表側の歴史のような時間に制約されたような歴史は存在してません。
”時を超えて”なんていいますけど、これを言い表すのは…神がからないと一寸ムリかも知れません。
そこには過去、現在、未来は分断されてないのです。
例えば過去に思いはせている時、そこにこの超歴史的なものが働くと、それはもはや過去の回顧でなくなり、この現在が変容されうることになるのです。
この生きた歴史的なものはこの現在と切り離されていないからです。
意識がそっちにつながるスイッチは、過去だろうと未来だろうとどこにも在りますが、過去のことというのはブレることがありません。
それはまさしく現実に起こった事実だからでしょう。それがこの現実に蘇ってくるのです。
そしてアリアリと呼びさまされるものというのは、ずっと冷たく、時に残酷な運命を否応なく我々に投げかける呪わしき歴史のはざまに現れる”愛の発露”です。
私はこれなくして人生にも、人類の歴史にも何一つ意味など見出すことは出来ません。
ただそこには永遠の無機質なものの羅列があるようにしか感じられません。
あたかもだだっ広いコンクリートの壁の間に見出された、わずかな草花の営みのような発露が、その呪わしき人生を歴史を一変させてしまうことがあるのです。
”人生も人類の歴史も思われたようなものでは無かった…”
歴史は変わる…いや歴史は終わってしまうだろう…少なくとも客観的歴史と思われていたものは…
歴史の始まりは神の封じ込めに有った…我々の現前に歴史以前のものが復活するだろう…
そして愛と共に無機質な歴史に命が吹き込まれる…

ああ、何だか何かが乗り移ってしまったようです。暑いので…
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逆説フランケンシュタイン

2015-07-25 14:38:34 | 雑感
本日の都心の最高気温、エッ…35度!もう何もする気ない…書くことも思い浮かばない…
非二元と言われる道は灼熱の国インドで生まれましたが、この理由は実によく分かる気がします。
何せ思考があまり働かない…体も思うように動かず、何かをやろうという意欲も失せて…
そうですね、ギラギラ太陽ばかり照っていて、自分も居るんだかどうか分かんなくなって、ただことが起きているって感じになりますかね。
そういうのは考えないからこそ生きてくるんであって、あれこれ考えだしたら多分生きるのが嫌になってきやしませんか?
欧米で注目されたという背景には、キリスト教会の押しつけがましく偏った、ドグマの垂れ流しに多くの人が飽き飽きしてしまった、という事があるのでしょう。
非二元の人たちはよく”私という幻想が無くなれば苦しみも消える”と言います。
とにかくあらゆる苦しみ、問題の元凶はこの私性にあると、まるで牧師先生が”主キリストを信じないのは罪だ!罪だ!”と触れ回っているように説き続けてます。
一体”私”が何をしたと言うんでしょうか!
それは自分の意志で造った訳でも無く、ただ物心ついた時にはここに君臨していただけです。
そうです。起こることが起きたようにそうなっていたのです。
いわば与えられたものなのであって、それ自体に一体何の問題が有るって言うのでしょうか?
確かにそれはまるでフランケンシュタインのモンスターのように、制御不能に陥ることも有ります。
私だって”コイツさえ居なけりゃよかったのに…”と思ったことも有ります。
しかし、それ以上に生きる喜びを感じた時、F博士が人造人間の手が動いた瞬間…

”Its、Alive!(生きているゾ!)”

と連呼したように、叫びたくなることしばしばです!
それはこの世に二つとない、代わりの利かない私性を通してくるものです。
私がこの世に生まれ出るにあたって、天才の脳でなく、出来損ないの脳を間違えて植えられてしまったのかもしれません。
でも私の命の御親は”厄介になって来たから始末しよう”何てとんでもないことで、何時も声なき声でささやきます”お前はそれでいい”

”私”にまつわるものから苦しみ、悩みを背負いこんじゃった人たちにとり、人生はそんなに悲しいものなのですか?
苦しみから解放されるかもわかりませんが、喜びもごっそり抜け落ちるんじゃないですか?
自由意志を持たない、ただのロボットでしたら苦しみとも喜びとも無縁で、ただことが起きてるように起きては消えて行くだけでしょう。
でも私は出来損ないの頭ながら分かっちゃた事が有ります。
”私”というのはどこから来るのか… この個的なものなのか?
いえ、それは見える個体だけが私なのではありません。それ自体が独立しては多分制御不能になるでしょう。
問題は非二元で言うように、それだけになってしまうからです。
でも、何にも無いのではありません。名前も形も無い、見えない私が居るのです。
この見えない博士ともどもが私なのです。
彼がちょいちょい顔を覗かす時、喜び、充実感といったものがもたげてくるのです。
彼は彼で形あるものを通して表に出たがっているらしいです。
いわば持ちつ持たれつの関係です。
名無しの博士が名前を持った怪物を借りて表れるのです。
こりゃあ、映画より面白い!













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怪物は死なない

2015-07-22 18:49:10 | 映画・音楽など
先日、約51年ぶりにある映画を観ました。最初観た時は途中で突然恐ろしくなって、顔をひきつらせて寝込んだのでちゃんと観てませんでした。
そして今度しっかり観てるうち、何でそんなことになったのかハッキリ思い出しました。
その映画名は「大鴉」(1935)。その場面というのは、邪悪な医師(ベラ・ルゴシ)によって、顔を醜く変形させられてしまった逃亡中の犯罪者(ボリス・カーロフ)が、”ンガー”という咆哮と共にケッタイな動きを突如やり始めたのです。あの動きこそ正しく…フランケンシュタインの怪物!(この演技は多分ファン・サービスでしょう)
私はその当時、怪物恐怖症に陥っていたのでした。その少し前に映画史に残るであろうホラー「フランケンシュタイン」(1931)を観て以来…
昭和39年テレビで「ショック!」というシリーズで、古いユニバーサル映画の怪奇映画を放映していたのを前記の作品ともども観ていたのです。
”ドタッ、ドタッ”とつんのめるような歩きと共にクローズアップされた怪物の戦慄を呼ぶ容姿!これは本当に幼い私にはショックでした。「なあに一日か二日すりゃ、忘れちゃうだろ」とタカをくくっていましたが、何と三か月近くも恐怖におびえる日々が続いたのです。(これはもう、ノイローゼか?八歳にして!…こうならないためには、一心不乱にマントラを唱えるとか、なんとか思いを転換する必要があります。)
ハナ肇とクレージー・キャッツの”そのうち何とかなるだろう…”という歌をもってしてもダメです。
そして日に日に恐怖が膨らんできて、町をノソノソうろつく人、テレビに映ったパントマイム芸…あらゆるものに怪物の影が投影されました。
ある日、私はたまりかねて親父にこんなことを訴えました。「僕の頭を手術して脳ミソからあの怪物の記憶を消してほしい」と…これにはきっとF博士も魂消ることでしょう!
この恐怖との戦いの他に私にはもう一つ悩んでいたことが有ります。
それはフランケンシュタインとは博士のことなのに、何で怪物がそう呼ばれているのか?という事です。
これはしかし私のその時の悪夢のエピソードが全てを物語っています。
それを観たら誰しもその不気味な存在感に圧倒されてしまう…かくして造ったものは、造られたものによって脅かされるという、現代文明の縮図のような現象が生まれた、ということです。
そして又映画の舞台裏が又その事と不気味に重なっているのです。怪物役は当初、すでに「魔人ドラキュラ」で伯爵役でブレイクした、前記ルゴシが演る予定でしたが”セリフが無い、メーキャップがきつい”という理由でルゴシが断ったので、無名のカーロフに回ってきたのです。カーロフはその時「こういう役をやってたら役者生命も終わりかな」と周囲にもらしたそうですが、人生分からないものでこの怪物役が大当たりして、その後ずっと怪奇映画スターの名をほしいままにしました。(割を食ったのは博士を演じたニヒルな二枚目コリン・クライブで、続編「Fの花嫁」では主役は怪物カーロフに譲ることになってしまい、その後もアル中などがたたり早死にしてしまいました)
それにしても、その奇怪なおなじみとなったメーキャップもさることながら、カーロフの怪(快)演無くしてそのような神話めいた話も(私自身の人生における神話でもある)も生まれなかったでしょう。
他の俳優がやると、どうしてもロボットになってしまうのに対し、あれは人間のようで人間でない…祝福されずに生まれてきた異形人間の悲哀がにじみ出ています。数年後には私は恐怖症から一変して同情の思いを寄せるようになりました。
現代ではクローン人間のことが取り沙汰されるなど、空想では済ませられないほど現実味を帯びてきた感が有りますが、映画化される前の舞台劇では、怪物は博士の分身のような設定として描かれていたらしいです。何だか創世記の”神は人間をその形に似せて造った”という話を彷彿させて興味深いものが有ります。
ひょっとして今創造主は”人間なんて面倒な怪物造らなきゃよかった!”と思っているのでしょうか?
でも怪物は死なない、のです。風車小屋に追いやられて焼き討ちにあっても…城と共に吹っ飛んでも(Fの花嫁)…煮えたぎる硫黄の沼に落とされても(Fの復活…カーロフは三作でちょっとずつキャラ、メーキャップを変えて怪物を演じています)…何故ならばドル箱だから!
いや、そうじゃない…見えるもの無くして、見えないものは表に顕れることが出来ないから…滅んじゃったら元も子もないですから…。
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