人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

正直の風

2024-01-26 09:54:28 | 雑感
私はいつも寝る時間が早いので、リアルタイムでテレビドラマを観ることがほとんど無いのですが、今続編が放映中の、一寸前評判になった「正直不動産」の動画にハマっています。
ウソばかりついて、不動産会社のトップセールスマンになった主人公が、空き地に建てられていたヘンな祠のようなものを壊した祟り?で、正直にさせる風が吹くとウソをつけない人間になってしまうという物語です。
“ううう~っ“、っと、その変貌ぶりを観ている度に、私には何かプノイマ(霊的な風)みたいなのが吹いて、“あれ“が想起されてくるのです!
そう、頭のてっぺんからつま先まで何かが吹き抜ける感じです。
私は、知ってる人なら皆知ってるウソつき人間。でもあの風が吹くとウソがつけなくなる!...まずは自分自身に!
ああ、もうたまりません!...あの風にあって、もはや自分を誤魔化すことは出来ない!、自分のすべてを投げ出したい!、ぶっ放したい!...カイカ~ン(ワカル?)
例えば“正直国会議員“何ていうのは、一寸現実離れし過ぎの感がしますが、“正直牧師“だったらすぐストーリーを思い付きそうです。
“さあ、皆さん、聖書の神のみ言葉に従って、イエスを信じましょ...って(これが私のいつもの快感なノリなんだな!)、人間が言ってて、人間が書いた言葉じゃないか!、イエス何て会ったことも無い、数千年前の、異国の人なんか信じられるかってんだ!“...ってな調子で...
私は牧師は勿論、平信者でも、いや信者自体でも無いですが、昔東京の三田にある「キリスト友会」(フレンド、通称クエーカー)に通っていたことがあり、長いブランクがあり、それから数年前、又やって来て、それも短い間でヤメてしまいました。
その理由は、会全体を覆っている、その本来の自分に直接する神(“内なる光“と言われる)に意識を向けることなく、“私はこう考える“、という人間的な思念に聞こうとする傾向に生理的に受け付けないものを感じたためです。
昔の時も何回かありましたし、数年前はもっと堪えるのが困難な感じになっていましたが、私は自分の、いやあの思いを越えた“正直の風“にあって、あくまで未遂レベルですが、何かをぶっ放したことがあるのです。(唯一未遂でない、爆発レベルとなったのは、状況は違いますが、数十年前「大調和協会」でありました)
今度又、友会に行ったら、この調子だと未遂じゃ済まなくなりそうだからヤメときます。(あれは、そのリアクションで思わぬ後始末を背負い込んだりして、リスクを覚悟しないとならなかったりするのです)
こう言ったからといって、何も激高する必要は無いですよ。ただ人間堪えていたものが噴出するにあたっては、多少のそういう激しさ、“熱、圧“を伴うのは致し方ないでしょう。
いいや、というよりか!...(ほら又、“ヒュ~っ“)これは自分の思いとか感情がどうとかの問題じゃなく、あの“正直の風“次第なんですよ!
それに任せるっきゃない!...“そういうものは、自分でコントロールしないと“、って、それがウソつきの始まりなんだ!、一体誰に止められよう!、その風は、自分の思いも力も無であるということを知らせているのではないのか!
別に人に向けることはないけど、少なくとも私は私自身に対しては風任せとならざるを得ません!
私は人にはウソつきでも、自分にはウソをつけない人間なのですから!...
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢想と現実 | トップ | すべての私の自己実現 »

コメントを投稿

雑感」カテゴリの最新記事