人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私の本心?

2024-04-04 09:47:23 | 雑感
長年、霊性の道を歩んでいて、中々思うような境地に導かれないという人も居られるでしょう。
そういう人に向かって、“長いこと一体何やってんだ!“、なんて酷いこと、アタシャ、言える訳ありません。
そういうことは、個人的に因縁のある、あの反面教師に対して“情け容赦なく“、浴びせているのでして、そうでない人には当てはまらないのです。
大体、私はいつもここで、“自分の思い、力を超えたものに拠らなけば何も開かれない“、と言っているのですよ。言ったことが自分に跳ね返るようなことは決して言いません。
だから、そのように導かれなければ、何も開かれなければ、それを受け入れなければしょうがないのです。このありのままの現実を受け入れるということもいつも言っていることです。
私がそういう人のことをどうこう出来る訳ではありませんが、ただ、これ又いつも言うように、あなた自身にとって神なら神というものが、霊性を開くということがどういうものなのか、ということを他人行儀でなく自分自身に問うてみる、というようなアドバイスは出来るかと思います。
そう自己の内心に省みるのです。それでダメなら諦めて、すべてを任せて受け入れるしかないでしょう。
しかし...いやもう、私は何度も経験しているのです。その時何かが変わるのを!
自分がというよりも、自分の場が変わるという感じになります。そうなると、自分をどうこうしようという思いから離れるようになります。
そう、思いから離れる!...思いを超えせしめる場がそこに現出されるのです。
言ったことはすべて私自身が経験していることなのです。
道を歩んでいて、思ったようなことに導かれないことも、思ってもいなかったことに導かれたことも...それはありのままの自分の本心?の発露なのです。
だのに、何だあのウマシカは!、何十年も祈りの道に精進してるらしいが、カルトに盲信したり、不食だとか自力作善の雑行に盲進したり...
そういう自分の現実を省みないで、どこまでも、より高い、進んだ、正しい自分であろうとする自我の思いなど私は手に取るように分かります。何でかと言うと...んなこた、分かりきってるじゃありませんか?
何で私は、鏡で自分を映し出すようなことを彼に突きつけなければならないのか?
これが因縁というものか?...
彼は自分の思い、力の限界にぶち当たるという挫折も知らないし、自分に内省し、反省することが出来ないらしい...だから、“さっさと地獄へ落ちてしまえ!“、と言うのです!(ここだけの話、彼の本当の本心というものも、何となく伝わるものがあるから!)
ああいう酷い言葉を浴びせていたら、私自身に何かがフリかかって来るのかもしれないが...
ヤツの守護霊さんか、○○先生が言わせているのかもしれない?
とにかく、その先生の残された祈りの道、全託の道をああして歪め、迷わせるような言動にはアタシャ、ガマン出来ないのです!
これ、私の本心?
何が私の本心かは読者の判断にお任せしよう...
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