人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

不可分、不可同、不可逆

2024-04-18 09:47:19 | 哲学・思想
現代日本を代表する神学者、宗教哲学者に故滝沢克己先生という方がおられました。
私は、センテンスの長い文章というのが苦手でして、どうも取っつきにくさを感じてか、あまり先生の著書を読んでなく、詳しいことは分かりませんが、神と人間は「不可分、不可同、不可逆」の関係でなっている、というその思想の基調には実に頷けるものを感じています(長いな!)。
それらは、さらにつづめて、「インマヌエル(神と共にある)」の原事実の関係に結びつくのであると。なるほど!...(滝沢先生と言ったら、インマヌエルの先生なんだ!)
このインマヌエルの関係というのは、私的には神との現臨にある関係のように読めるのです。
いや、そうだ、そうだ、そのとおりではないか!...
不可分...ここ最近ずっと言っていることです。神と自己は切り離すことが出来ない!
しかし、それは“不可同“である。先と矛盾するみたいですが、人間は手放しで、“私は神と一つ、同じである“などと言える訳がありません。
そういう信仰命題みたいなものを信じるのは自由なのでしょうが、現実離れして、観念に浮いてしまうだけでしょう。
マイスター.エックハルトなどの神秘思想家が、“私は神と一つ“などと言い表せるのは、己を無化せしめる、神的なハタラキを受け、通っているからなのですよ。
神の前では人間は無とならざるを得ない。
現実離れとは、現臨離れ、インマヌエルの関係から外れていることを意味しているに他ならないでしょう。
そして、神の方からそのように我々にハタラキかけ、気付き、啓示と言われるようなものを表すこともあるが、思い、為そうとする我々が自らそれを超えて、神と共なる関係を開くことは出来ないのです。これは滝沢先生も説いている、神の道における根本的秩序と言えるでしょう。
神との「分かれない、同じでない、こちらからは超えられない」関係とは、もうとにかく、このように神的な現臨にある、インマヌエルの意識状態にあれば自明に分かることなのです。

滝沢先生と言えば、同じ神学者、宗教哲学者八木誠一先生との長い論争が有名なのですが、八木先生の“創造的空の世界“というのも、又神と人間の原態を言い表しているものでしょう。
その論争というのは、かいつまんで言うとどういうことなのか?...それを知ろうとネットを調べてたら、“ああメンドクサ!“...頭が痛くなりそうで!
神と人間の原事実、原態にあれば、そんなに熱く知性的な方に走らんでも、どうでもよくならないか、と思うのですが...

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