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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

思いは雲の流れのように…

2017-03-08 19:22:24 | 雑感
先日、仕事場でどうにも困り果てた事が有りました。
新人さん(といっても結構なトシなのですが)といっしょだったのですが、当然のことながらパッと見れば新人と分かります。
ところがこの見かけ大御所のような新人さん、態度、口調ともども大御所みたいなのでした。
断っておきますが、私がチト先輩だからと言ってエライ訳でもなく、新人だからと言ってしおらしくしてなきゃならない訳でもないですよ。フツーでいいんです。
だけどねえ…おっさん、図体も顔もデカ過ぎでんがな!
新人は仕事慣れしてないのは当たり前の話です。だがこの人、当たり前のような顔してズレたことをしまくっているのです!
そのままだと現場が混乱しかねないので、私は言いたくも、したくもない注意(されるといやな事、やたらしません。甘い!)をしたら、”俺は間違ってない、正しいことしてんだ”と、ツベコベ…もう口論になって収まり切れなくなるので、ホントに居てもらいたくないと思いました。
(こういう時は”私はいない、何もしない”ノンデュアリティ間が居て欲しいです。余計なことしないし、言わないし…いや、どこにおんねん、ってか!)
この人は、頭の中の”正しいやり方”を現場で押し通そうとしているのです。
私はてっきり今年入ったばかりだから、正しくオカシナことしてんのかと思ったら、もう半年になると言うから驚きました。ずっと自分のやり方が正しいと信じ込んでいて、反省して改める気が無いようです。
結局彼は先月一杯で辞めてしまったそうです。(フツーに話している時はいい人なんですが…)

こういう人と接しているとカルト宗教の信者を思い出します。自分の頭の中の信念に凝り固まっていて、人の話を聞こうとしません。
いくら自分がズレたことをしていても、その自覚が持てないのです。自分を省みる、自分に意識が向かう事がありません。
自覚を持てないという事は、いかに自分がオカシイということに気付けないという事です。
これは致命的な事と言えます。。病気がずっと癒されることが無い…通常病気とされる、オカシイことが症状として自覚されることは、かえって正常な機能と思えますが、自覚されない、という機能不全に陥っていることこそが病気だと思えてきます。
だからカルト思考の人は何年も何十年もし続けているのでしょう。
カルト思考に取り巻く愚かさや、恐ろしさを身に染みて思い知らされ、免疫となって歯止めがかからない限り…
このような人は長年の思いの習慣によって、どうしても思いがそっちに流され、捉われてしまうものです。
思いに捉われる事で、なかなか本心が開かれるということが有りません。
そうです。彼らが自ら信じ込み、お節介にも周りに流布していることは、自分の本心から発しているのではないでしょう。
心の底から、ハート全開になって信ずべきこととも、有るとも、無いとも分からないようなカルト、オカルトに魂をゆだねられる人間など、誰一人いやしないと思います。
私はこのように思い込みの強い人間に見る、表向きの自信ありげな、強がりの裏に隠れた自信の無さ、誰に対してか(おそらくは自分自身〉への後ろめたいような表情、落ち着きの無さ、不十全感の表れなどを見逃していないのです。
彼らの言葉にはどこかしらこのような迷いが見え隠れしているものです。
カルト的思考に陥っている時は、心に迷い、遮るものが無く、全身全霊なるものに導かれるという事がありません。(観念的なものでしかないから)
最近の日ごとに変化する天候、日増しに強くなる日差し…思いの浄化が激しくなってきているのを感じます。
雲の流れのように思いを自然なるものにゆだねて行きたいものです。





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