人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

上は空いている

2024-03-07 10:05:52 | 求道、探究
私が時折、例の反面教師に対してこっぴどい言葉を投げかけているのを読んで、“この人はなんて冷酷非情な人間なんだ“、と思う人もおられることでしょう。その当人はきっとそう思っているはずですよ!...だけど、私の本当の気持ちというのは...
“こいつ、さっさと地獄に堕ちて、消えない火で焼かれてしまえばいいんだ!“、と思ってますよ!
ええ、そうなんです。私は地獄の使者なのです!...フハハハッ!
だけどいつも言うように、私とこの御仁にはある因縁がある訳でして、誰彼無しにあんなこと言える訳は無いのです。特に今、悩み苦しみを抱えている人なんかには!...

私は、今苦難を抱えているとして、例えばいつか路頭に迷うことになるかもしれない、という不安に苛まれたことはありますが、現実に路頭に迷ったことは無く、引きこもりのようなことになったことはあるけど、現実に何年もそういう状態になったということも無いので、本当のそういう苦しみは分からないのかもしれません。
でも、その苦しい現実を自分の思いで、力でどうすることも出来ないという苦しみというものは分かっているつもりです。
自分の努力で、その現実は切り開かれるなんていうのは、絵空事の世界にしか思えないのです。
自分自身も、この現実世界も自分の思いでどうにもならない!...
お気づきかもしれませんが、これはいつも言っている、思いを超える、超えたものがある、ということの裏返しなのです。
そこには思いが閉じられているか、開かれているかで、天と地ほどの大きな感じ方の違いがあります。
でも、大きいようでその実トタン板一枚のような壁、自分の思いで超えられない現実は、直ちに思いを超えた現実へと転出出来るのです!...勿論、思いを超えたもの、超えせしめるものによって!
これは、何ごとも自分の力で何とかなる、努力精進で自分を高め、進んだ境地に到ろうと思っている御仁には絶対に分からないでしょう?
ずっと、今の現実にない、高い自分、進んだ自分の幻像を追い続けなくてはならないとは!...何ともお気の毒なことではないか!
だから、現実に苦難を抱えていて、それがどうともならないのなら、その現実を受け入れるしかないのです。そうなっているまんまを!
あなたに出来るほんの僅かな努力というのは、閉めっぱなしの窓を、カーテンを開くようなことでしょう?
そこから光が差し込む、風が吹き抜ける...それに照らされるまま、当てられるままが現実を受け入れるということ...つまりは自分の思い、力を超えたものを受け入れることに他なりません。
そうして始めてありのままの自分を投げ出すことが出来る...その時あなたの思いは超えられているはずです。
こんな訳で、私は自分を変えよう、思い方を変えようとして、状況が変わったということはほとんど無いのです。
ただ、これはものの喩えでなく、本当に灰色一色の空に日が差した、厳しい北風が暖かい南風に変わった、ということからいつの間にか精神的苦境から抜け出られた、ということが何度もあるのです。勿論、それらを通して思いを超えたものが呼び起こされたのでしょう。
苦しい自分の思いだけがすべてでは無いのです。不眠で悩んでいる人もいつかは眠りに落ちるものです。そして起きたら苦しい思いが消えていたということも!...

“天空“とかいう、ある御仁は、“見てる現実はすべて閉じられていて、自分は追い込まれているが、天、上は空いている“、とかいう五井先生の言葉からその名を借りているようですが、それは貴方には全く相応しくないから、今悩み苦しんでいるすべての人に差し向けたらどうなんだ、と思うのですが!...

コメント
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