人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

本心の三性

2024-04-12 09:00:48 | スピリチュアル
何が自分の本心なのかは、自分では分からないものです。
自分の本心?...それは、きっと本心というものは、自分のものではないからなのでしょう。
要するに、自分というものは、自分を超えたものによって在らしめられているということでしょう。
しかし、何が本心かは分からないけれど、迷っている時など、内心そうでないものに囚われていることは分かるものです。
そういう時は、頭では分かったつもりになっているけど、心からというか、身の方が頷いていないように感じるものです。
これを精神の内奥の意識から言えば、表層的思考はその関心ある方に動くが、その奥の方は動いていないということが分かるのです。
これは、心から、身が頷くという経験があれば、誰でも分かることでしょう?、そのことに照らせばいいのです。
だけど、表層的思考の方で、その知的な欲求を満たすことや、快楽を満たすこと、実利的なこと、又自分の意地を通すことなどに囚われていたら分からなくなります。
だから、人間は本心からでないものに囚われ、本心からズレ、ブレた生き方をしてしまうのです!(例えば、精神的な道を歩んでいて、カルトにハマることなど迷い以外の何ものてもないことくらい分からなきゃダメなんですよ!...内心では、あなたの神は泣いているぞ!)
いや、ホントにおツカレさんなことではないか?!
勿論、かく言う私だって、分かっちゃいるけど、やめられないことをし続けて、無駄な時間を費やすこともある、分かってるからかく書ける訳なんですよ!
そこで肝心なことは、その本心のおわす意識の中心に戻れるかどうか、ということにあるのは言うまでもありません。戻れるということは、そこに本来性があることを示しています。
心の奥、身の方はそこにどういうものがあるか、(これは感覚的なことを言っているのですが)知っています。本来あるものなのだから...
それは、愛、平安、リアリティ...私はこれを本心の三性とでも呼んでみたいです。
愛、平安というものは感性と、リアリティというものは、知性的なものと結び付くものですが、これが切り離されないで感じられるのです。
私は、寝て起きた時にこういう感じになっていることがとても多いのです。
誰しもそういうことない?...表層的思考がすべてであるように思い込んでいると、中々気が付かないものです。
考えてたって分かりゃしません。感じないと!、意識しないと!...思考を超えたものを!
あなたの神に聞かなければ!
それは、あなたの本心と一つのものでしょう?
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