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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

ハーバード白熱教室・Lecture7「土地略奪に正義はあるか」(2)

2010年04月27日 | 哲学

 リバタリアンVSコミュニタリアンの構図の中でリバタリアニズムがもつ公共哲学はロックの私的所有権の思想をその根拠としています。

 その思想はまたアメリカという国の国の建国に深くかかわる思想でありコミュニタリアンのマイケル・サンデル教授はリバタリアンの考え方にメスを入れていきます。
 
 政府や法が存在しない状態でも、私有財産権が生ずるというロックの考え方はどうだろうか。
 
 成功しているだろうか、説得力があると思う人は・・・・・

 ハーバード白熱教室第4回目「この土地は誰のもの?」の前半Lecture7「土地略奪に正義はあるか」のサンデル教授の講義が行われ、続いて学生の事前学習での理解を確認する論争へと入ります。

同意なし私有財産権が生じるというロックの説明には、どこに問題があるのか。

 サンデル先生は、それぞれの論点を提起しながら学生の意見を聞いていきます。はじめにロシェルという女学生が意見を述べます。の

ロシェル 彼はヨーロッパ人の文化規範をを正当化しようとしていると思います。ネイティブアメリカンは、アメリカの土地を文明化できなかったけれど
ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着したことで、そのままであれば起きなかったかもしれない、アメリカの発展が実現したからです。

サンデル教授 つまり土地の所有権を守るための弁護件だと思うんだね。

ロシェル はい。到着したというだけでは、その土地を手に入れたとは言いにくいからだと思います。

サンデル教授 なるほどロシェルは、ヨーロッパ人が入植したころ北米で何が起きていたかを考えると所有権に関するロックの説明はそれに適合しているという。ロシェルつまりそれは土地の占有を正当化するための弁護だということだね。

ロシェル はい。ロックは名誉革命も正当化しています。だから植民地化を正当化することがあっても不思議ではないと思います。

サンデル教授 なるほど確かにそれは面白い説だね。賛成意見も多いだろう。
でも彼の議論の有効性についてはどうだろうか。これは君がいうように、土地を囲っていなかったネイティブアメリカンから北米の土地を取り上げることを正当化するのかもしれない。

 だがそもそもロックの議論は正しいのだろうか、それとも彼は、単に道徳的に正しくない行いを正当化しようとしているだけだなんだろうか。
 
ロシェル 後者だと思います。個人的な意見ですが。

サンデル教授 それじゃ次は、ロックの私有財産の考え方を支持する人の意見を聞こう。ロシェルはアメリカの入植者がネイティブアメリカンから土地を取り上げたことを正当化するための手段にすぎないと言ったが、これに対する反論が聞けたら面白いねえ~。ロックを弁護できる人は、

ダン ロックが、ヨーロッパ人の植民地化を正当化しようとしたという証拠はありません。多分、植民地化は正しくないでしょう。それは彼が統治理論の中で言っていた戦争状態です。

サンデル教授 つまりネイティブアメリカンとヨーロッパ人の入植者の間で起きたことは、戦争状態であった。お互いの合意があってはじめて起こるものであり、それがなければ、始まり得ないものであった。

ダン そうです。双方で同意がなければならなかったはずです。

サンデル教授 ダン、さっきロシェルにも聞いたが土地の所有権についてのロックの議論はどうだろう。これが妥当なものなら、入植者が土地を占有してそこからほかの者を排除したことは正当化されるのだろうか。ロックの議論をどう評価する。

ダン ネイティブアメリカンは、まだ占有していなかったということですよね。

サンデル教授 ネイティブアメリカンは、狩猟や採取を行っていたから、土地を囲ってはいなかった。ロシェルはその点は承知していると思う。

ダン ロックはある特定の土地でドングリを拾ったり、りんごを摘んだりバッファローを殺したりすれば、労働によってその土地自体も自分のものになると言っています。だからその定義によればネイティブアメリカンも周りをフェンスで囲っていなかっただけです。

サンデル教授 土地を使っていた。

ダン そうです。

サンデル教授 ロックの定義によれば、ネイティブアメリカンも土地の所有権を主張できただろう。

ダン でも、それを主張する人がいなかった。

サンデル教授 他にロックを弁護する人は。

フェン ロックを擁護するために言いますが、彼は他の人の土地を取ることができない場合もあるといっています。例えば人々の共有財産である土地を獲得することはできません。ネイティブアメリカンの場合は、既に自分たちの文明を持っていて土地を共同で使っていたと思います。
 ですからそのような共同財産を取り上げることはできません。また、他の人のために土地が残されていることを確かめない限り、土地を取得することはできません。自分が取得したのと同じぐらい良い土地が、他の人たちにために十分に残されているかどうか確かめる必要があります。

サンデル教授 そのとおりだ。ロックは土地の私有財産権には、他の人のために同じくらい同じように良いものが残されているという但し書きがある、言っている。
 フェンもある意味、ダンと同じで、ロックの主張にはネイティブアメリカンも有利に展開できる部分もあると言っている。

では次の質問だ。

 私有財産権が、自然に生じるものであり、政府が誕生する前から私たちが持っているものであるなら、それによって政府ができることは、どの程度制約されるだろうか。

 ロックは、政府をどう捉えていたのか、その点いついてはリバタリアンに同調的なのか、それとも批判的なのか。それを見極めるために自然権が社会に入ったならどうなるのかについて考えていきたい。

 私たちは自然状態を離れ、多数派や人間の法のシステムの世界に支配されることに同意して、社会に入っている。

 しかし人間の法律というものは、それが私達の自然権を尊重し生命、自由、財産に対する不可譲の権利を尊重する場合のみ正当化なものだ。

 どんな議会も、どんな立法者も、それがいかに民主的なものであっても、合法的に私達の自然権を侵害することはできない。

 いかなる法律も私達の生命、自由、財産に対する権利を侵害できない。というこの考え方は、制限された政府という考え方を主張することになるので、結局リバタリアンを喜ばせることになるように見えるかもしれない、しかしリバタリアンは直ぐに喜ぶべきではない。
 
 確かにロックは、政府が作られた後も自然法は存続するといっている。さらに彼は政府を作る目的は、主に財産権を守ることであり、政府はそれに制約されていることを強く主張した。

 しかし、一方で何をもって所有権とするか、どうすれば生命や自由を尊重していることになるのか、そういったことを定義するのは、政府だ。

 私達の財産や生命、自由が尊重されている以上、政府にできることは限られているように思える。しかしその一方で何をもって、私達の生命や財産が尊重されているとみなすかと決めるのは政府なのだ。

 そんなことが可能なのか、矛盾しているのではないか、それとも重要な区別があるのだろうか、ロックの見方がリバタリアンと一致するのかどうか詳しく確かめるために、次回はロックの考える正統な政府とはどんなものか詳しく見ていこう。・・・以上でLecture7の講義は終了しました。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が第4回目Lecture7「土地に略奪の正義はあるのか」のサンデル先生と学生の議論の様子です。

 リバタリアンが私的所有権を絶対化して考えるその根底に、アメリカの建国に深く係わるロックの思想があるのですが、それがその思想に則しているのか、それが原点になのかということを今回サンデル教授はロックの思想をわかり易く解説しました。

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