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近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~(3)純粋経験~矛盾的自己同一

2013年01月26日 | 哲学

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 Eテレ「日本人は何を考えてきたかシリーズ第11回・近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」の再放送が今夜あります。何回となく見て聞いての6日間、素人には何回ですが性分でしょうか。文立てをしたくなり前半に語られた「純粋経験」から「自覚」そして「矛盾的自己同一」までの部分をメモとして書いてみました。

 番組開始25分頃からの約20分間です。自分が一番知りたい西田哲学の部分で今後の参考にしたいと思います。

<純粋経験から自覚>

【福岡伸一・ナレーション】 昨年の秋、哲学者上田閑照さんは、京都大学で西田哲学についての特別講義を行った。 西田が東洋と西洋の哲学をどのように自分のものとしていったかを説きました。

(京都大学の講義会場から)
【上田閑照】 西田は考えられないほど熱心に坐禅をしながら当時としては考えられないほど勉強して・・・ギリシャの哲学から当時のベルグソン、フッサールまで一生懸命読んでいる。西田が生きるというその自体の中に両方が要求されているということがあった。
 そこには一つの裂け目、ギャップがある。だから西田はそのギャップに身を置いて、これは西田自身の言葉にあるように、本当に身を引き裂かれるような形でそのギャップに身を置いてそこから逃れずに、そのギャップから新しい一つの統一のあり方が成立している。

【福岡伸一・ナレーション】 西田が目指したのはそれまでの主観と客観の対立する西洋哲学をのり越えることだった。
 例えば私がリンゴを見る場合、伝統的な西洋哲学では「私がこの世界の外からリンゴを客観的に観察しているように考える。私つまり主観と、リンゴつまり客観と分けて考える、主客二元論である。

 私=主観  リンゴ=客観

 二元論では対象と人間を分けて考えるためどうしても人間中心になり全てが人間の為になるというドグマに陥り易い。こうした認識で物事をとらえるのでは不十分であると西田は考えた。

 人間中心のドグマ

そして主観と客観が分かれる一歩手前から出発したのだ。

【三宅民夫アナウンサー】 それが「純粋経験」、『善の研究』は、主観へのこだわりを捨てよと訴える文章から始まります。

【福岡伸一・朗読】『善の研究』第一編第一章冒頭
 「純粋経験」経験するといふのは事実其の儘(まま)に知る意である。全く自己の細工を棄てて事実に従うて知るのである。純粋経験は直接経験と同一である。
 自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識と其の対象とがまったく合一して居る、これが経験の最醇(さいじゅん)なる者である。

【福岡伸一・ナレーション】
 純粋経験、例えばリンゴの赤い色を見た瞬間、「この赤はリンゴの赤とか、私が居て赤い色を見ているという思慮分別が加わる以前の意識状態がある」と言うのだ。

 私と赤が一体であるようなこの状態を、西田は「純粋経験」と呼び、それこそがあらゆるものの根源にあるとした。

【三宅民夫アナ・ナレーション】
 『善の研究』を発表した直後、時代は大正に変わります。普通選挙制度など政治の民主化を求める国民の運動が高まっていきます。いわゆる大正デモクラシーです。このころ西田は京都帝国大学哲学担当の教授となりました。大正2年(1913年)

 18年にわたって教鞭をとり三木清、西谷啓治など多くの哲学者を育て上げていきます。『善の研究』で説いた「純粋経験」の概念だけでは全てを説明しきれていないのではないか、そう考えた西田は、7年の年月をかけて新たな概念をつくり上げます。
 それが「自覚」です。

 47歳の時に著したのが『自覚に於ける直感と反省』大正6年(1917年)刊行、西田は、直感的な経験を直観、思慮分別を反省と呼び、

直感的な経験=直観 思慮分別=反省

直感と反省とが連続して起きる意識のあり方を「自覚」と名づけたのでした。

【福岡伸一ナレーション】
 自覚の概念のアウトラインを知って私は心理学でいう「図と地」を思い出した。一瞬紙には何が描いてあるか分らないその瞬間を西田は「純粋経験」と呼んでいたと私は思う。そこから先が「自覚」だ。


 
 (図の白い部分を示して)
 ここに意識を合わせて見ますとこれが壺になって見えてくる。そうすると二人の人物は背景に沈んでしまって、壺が実体となって浮かび上がってくるわけです。壺が見えるかと思うと向き合う顔が見えてくる。その認識の連続が自覚ではないかと思った。

 特別講義で上田先生は西田の概念、「自覚」を理解するのに重要な特性を教えてくれた。
 
(京都大学の講義会場から)
【上田閑照】
 純粋経験そのものの自己展開それが「自覚」をとると、例えばこの場所に私がいて、私が自覚するという時に普通だと「私が私を自覚すると言う」ということなんだけれど西田の場合は、その「自覚」というものを「私が私を自覚する」というところに止めるわけじゃない、止めないんですね。そこが画期的なところです。

【質問・福岡伸一】
 つまり「自覚」したときに、この世界の動きを止めてみたり、あるいは自分の視点を止めたり、いまおっしゃったように「止めない」その動きの中にまた自分も含まれつつ見ているようにして、その「純粋経験」というものを大切にしながらこの世界を見ていきなさいというその行為のあり方が「自覚」ということなんですね。

【上田閑照】
 そうなんですね。だから簡単に言えば「世界の動きになる」ということになりますよね。

【福岡伸一】
 世界の動きになる。

【福岡伸一・ナレーション】
 上田先生は、「止めない」そして「世界の動きになる」と言った。この話から「自覚」は無限のくり返しだと気づいた。
 
 「図と地」も止まったものではなく、それを認識する自分も含めて絶え間なく無限に続いていく。



 経験が反省を生み、反省が新たな経験となる。

【福岡伸一・朗読】『自覚に於ける直感と反省』から
 自覚に於ては自己が自己の作用を対象として之を反省すると共に、かく反省するということが直ちに自己発展の作用である。かくして無限に進むのである。

【福岡伸一・ナレーション】
 無限に続く絶え間のない動き、西田の哲学に私は生命のあり方との共通点を感じていた。

<スタジオから>
出席者 
福岡伸一(青山学院大学教授)
藤田正勝(京都大学教授)
植村和秀(京都産業大学教授)
三宅民夫アナウンサー

【三宅アナ】西田哲学が生まれる時代への旅、福岡さんはどんなことをお感じになられたでしょうか。

【福岡教授】 西田先生の問いは、いつも非常に切実なものだったなぁというふうに感じました。

【三宅アナ】 切実

【福岡教授】 私たちがこう生れて世界を見る。これは一体どういうことなのかというのを非常に根源的に考えぬかれたなぁと思うんですね。それは、私たちが生きているということは、どういうことなのかというある種、生命論的な、生物学的な問いにもつながってくるなぁというふうに感じました。

【三宅アナ】 西田幾多郎の育った状況、非常につらいことも沢山あったようですが、当時の時代状況、日本人が置かれた状況といったようなものも何か関係しているのでしょうか?

【植村教授】 このころは絶対的な価値が失われた状況にあります。生活の苦労も大変大きい、それでも人間として個性的に創造的に生きていくにはどうしたらいいのか、理想主義的に、倫理的に生きていくにはどうしたらどうしたらいいのか、多くの人がそういうふうなことを考える。「自分の人生って何だろうか」「人生の意味って何だろうか」ということを問うてしまって答えが見つからなければ、それは思い悩んで何かを求めることになると思います。

【三宅アナ】 西洋化していってどんどん文明というものが入ってきた時代ですよね?

【植村教授】 次々に入ってくるものに追いつけない、何かしかし自分の心の支えとなるものが欲しい。

【福岡教授】 当時、哲学者はそれをのり越えて何か自分たちのものを作ろうという気運があったんじゃないかなぁと思うんです。

【三宅アナ】 西洋の哲学ではどこが限界だと感じたんですかね?

【藤田教授】 主観と客観の対立という、そういう問題に関係してくるわけですけれども、西洋の文化とか、西洋の思想というのは、わたくしから切り離された対象ですね。それを厳密に把握していくというそういうことを目指したというところに特徴があると思います。
 それは科学技術とかそういうものにつながって行ったわけで、人間の文明にとって非常に大きな成果をもたらしたわけですけれども、主観と客観というところから出発するだけでは私たちのこの世界全体をとらえることはできないのではないか、その根源にまで立ち返る必要があるのではないか、そこから出発しているように思います。

【福岡教授】 西洋体的に見ると「我思う故に我あり」のようにその何かを認識する主体というものがあってそうして認識される客体というものがある。そこから物事が出発する、でも西田さんはそうではなく、それよりも以前の段階があるんじゃないか、つまり主と客がある種の相互作用していると言いますか、分かれる前の状態がある、でもそれは決して神秘的なものではないし、混沌でもない、やっぱりそこにある種の仕組みや構造があって、そこからものを考えようというふうに思われたんじゃないかなぁと思います。

【三宅アナ】 リンゴの例を出されましたよね。見てこれが赤でリンゴという認識をしたらそれはもう「純粋経験」ではない。

【福岡教授】 そうですよね。

【藤田教授】 そうですね。「これはバラの花である」とかそういうふうな判断が生じたときには、既に我々はそれを分ける働きをしているわけですよね。そういうことをする前の段階、色を見、音を聞く刹那には、「わたくしがこの前にあるリンゴを見ている」というそういうことはまだないわけですね。

【三宅アナ】 それは一番よく見ているかも知れない・・・。

【藤田教授】 そうです。だから本当に一番リアルなものが、リンゴの独特な赤の中に一番リアルなものがあるわけで、それを一般化するというか普遍化するという働きを言葉はしているわけですね。「赤い」ということで・・・。

【三宅アナ】 リンゴと思った瞬間にみんな同じ・・・。

【藤田教授】 同じリンゴになってしまうのです。目の前にある独特な色をした、この艶ややかなリンゴというものが消え去ってしまうわけですね。そういう意味で最もリアルなものは「赤い」とか「これはリンゴである」という言い表わす前のところに一番物事のリアルな姿があるというそういう考え方を「純粋経験」という言葉で表現しようとしたといえると思います。

【三宅アナ】 言葉で切り取ろうとしますよね。言葉で切り取る前に、何か本当はすごい世界があるかもしれないということなんでしょうね。

<円相図>

 その西田哲学を象徴するのがこちらの図です。円相図です。

 筆で描かれた円、その横には西田の文字で、

 心月孤円光呑万象(しんげつこえんひかりばんぞうをのむ)

どういう意味なんでしょうこれは?

【藤田教授】 これは心を一つの月に例えているわけですね。円に例えているんですけれども、しかし、その中に無限のものを孕んでいる、内包している、無限なものの根源というそういう意味が円の中にあるわけですね。そういう万象、すべての事柄を呑み込んだ円というそういうものを、禅では悟りの境地をあらわすものとして非常に重視してきたわけですけれども、そういう西田幾多郎が考えた「無」というものと、非常に通じるものが禅でいう円相の中にはあるということですね。

【福岡教授】 円相というものを見て、やはり非常に西田の哲学が私たちに喚起してくれるイメージというものには深いものがあると思いますね。
 だから生物というものはどんな場合にもまず円の中の空間、それが段々形を成して行くというふうに生命というものは現れてきているんですね。だから丸に空間がある、そこに何も決定されない何もまだ関係が行なわれない、そういうところから世界が始まるんだというヴィジョンは非常に生命的であるし、それを哲学の言葉が先取りしているなぁと私は感じたました。

【三宅アナ】 さて時代は昭和に入り戦争の時代を向えていきます。この後、西田幾多郎そしてその弟子・京都学派の人々は同時代と向き合っていくのでしょうか。

<『日本文化の問題』・矛盾的自己同一>

【三宅アナ・ナレーション】 昭和12(1937)年 日中戦争が勃発します。その翌年京都大学で西田は連続講演をしました。この講演を西田自身がまとめ直したのが『日本文化の問題』(昭和15年)新書として刊行され広く読まれることになります。
 
【福岡教授・ナレーション】 京都大学文化研究科図書館に『日本文化の問題』の直筆の原稿があるということを聞き赴いた。(藤田教授案内)

【三宅アナ・ナレーション】 西田は東西の文化の違いを幅広く検討、その上で日本文化の進むべき道を問い直そうとしていました。

【福岡教授】 (直筆の原稿を前にして)非常に推敲の跡がたくさんあって付け加える言葉が入ってきたり、何度も何度も吟味しながら書いていったんだなぁということがわかる原稿になっています。

【三宅アナ・ナレーション】 何度も書かれているのが「矛盾的自己同一」、後期の西田にとって重要なキーワードです。物事を根源からとらえる西田の姿勢は変わりません。ただ後期の西田は、自己の意識からだけではなく現実の世界の構造からも考えようとしていました。

 「矛盾的自己同一」とは、矛盾は矛盾のまま、対立は対立のままで、しかも全体として同一を保っている、というあり方のことです。

【福岡教授・ナレーション】 この言葉によって、西田は生命についても語っていることが分った。

 「生命は多と一(いつ)との矛盾的自己同一」

 生命とは、多くの細胞と一つの身体(からだ)が同時に存在する物と西田は説く。

 沢山の物によって一つの物が作られている機械的な物ではなく、一つの物のために沢山の物が奉仕しているのでもない。沢山の物と全体とが同時にあるような状態、その動的な状態が生命というもので、それはある意味で、矛盾した関係それが同時に存在している、まぁ矛盾的同一というのはそういうことなんじゃないかぁということです。

 生命についてわたしが考えついた時よりも、ずっとずっと前に既にもう西田哲学の中でそれがこのように具現化しているということは、非常にうれしい驚きですよね。

【三宅アナ・ナレーション】
 日本文化の問題で西田の関心は、歴史哲学へと向かっていきます。
 
【ナレーション】
 歴史的世界は、矛盾的自己同一としてどこまでも種と種とが相対立して、相争う闘争の世界である。

【福岡教授・ナレーション】 生命のあり方を的確に現わした西田の哲学、それが戦争の時代に突入した実際の世界をも論じていることに、少なからず驚きを覚えていた。

<この後は、下近衛内閣以後の内容となります>

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1 コメント

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西田幾多郎先生 (ドウモリトモヒロ)
2019-11-13 21:43:04
西田幾多郎先生と上田閑照先生の発言を追って、貴ブログに辿り着きました。貴重な記録を有難うございます。先日、石川県かほく市の西田幾多郎記念館へようやくお伺いすることができました。私はまだまだ不勉強で西田幾多郎先生のことを何一つ理解できていませんが、貴ブログにて少し理解が深まりました。有難うございます。

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