思考の部屋

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時と永遠

2007年08月04日 | 哲学

 さて将来は現在の内容としてのみ存在し、過去が無に等しいならば、実在の意味において存在するのは、ただ現在のみである。しかるに、その現在は、単独唯一の存在となるとともに、無に帰するのである。もっとも主体が、したがって現在が存在している限り、他者もそれの対手としていつも存在している。主体は客体を他者としていつも前におかねばならず、いつも可能的自己へと向わねばならぬ。しかもその自己は、実現されることによって壊滅に入る、皮肉なる運命の下に立つのである。かくして「時」は、一の可能性より他のそれへ、一の形相より他のそれへと、いはばいつも自己の幻影を追いつつ、生と滅とが窮みなく交替する果てし無き帰無の旅路を、急ぐ旅人の姿を示すであろう。要するに、純粋の人間的文化的生の姿として、「時」は将来より過去への方向を取る。否そればかりでない、将来は実は現在である故、過去へと向う現在、無へ向う有、こそ時の本質的性格である。

以上は、「時と永遠」波多野精一全集第四巻P261から抜粋した。

 人間というものは時の上にあることだ。過去というものがあって私というものがあるのだ。過去が現存しているという事が又その人の未来を構成しているのだ。

 この文章は、昭和2年2月9日付けの西田幾多郎が友人山本良吉宛に出した手紙に書かれている。

 岩波新書藤田正勝「西田幾多郎」終章「知のネットワークとしての京都学派」に書かれているが、「京都学派」の呼称がはじめて用いられたのは1932年(昭和7年)の雑誌「経済往来」に掲載された戸坂潤の論文「京都学派の哲学」とのことである。

 京都大学文学部の日本哲学史研究室のサイトでは、

 京都学派における宗教哲学が、主に禅を中心とした仏教からの影響を強く受けている中で、キリスト教を信仰し、自身の宗教体験を掘り下げて思索した波多野の思想は、京都学派の中でも極めて独自なものである。

波多野全集月報3で内田芳明の回想文に「西田哲学をどうお考えですか、という質問に対しては(波多野は)《西田哲学がはたして世界の哲学に貢献しうるか否かははなはだ疑問に思う》、と言下に言われ、《西洋人には西田哲学は理解できないと思うが、西田君じしんにとっても自分の哲学がよくわからなかったのではないかと思う》、とも言われた。」と書かれている。

 今から50年以上も前の話しだ。波多野精一は弁証法的論理を嫌った学者である。

 西田哲学に対する批判は多いが、批判というよりも弁証的に哲学的思考を高める要素をもつ。「時と永遠」は波多野精一の論題ではあるが、現代に生き続いているのは「永遠の今」の西田のような気がする。
                     
 写真は、波多野精一全集(岩波書店)第六巻から拝借しました。


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4 コメント

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体に気を付けて (孤峰庵宗信)
2007-08-08 00:40:36
 すごい読書量ですね。感心しています。
 でも体に気を付けて下さいね。時代が時代ですから、お仕事が忙しくなるだけじゃなくて、複雑化してくるでしょうから。
 小生の腰はだいぶよくなりました。秋には信州への行けそうです。
コメントありがとうございます。 (信濃大門)
2007-08-08 03:36:28
 孤峰庵宗信殿コメントありがとうございます。小生古傷の腰痛が復活。歳とともに背筋が衰え背骨のバランスを失いひょんな事で痛みが出るようになってしまいました。針治療をすると嘘のように治るのでまだよいかなと思います。
 そちらの探究心のすごさにびっくりしています。小生の探求は、それに比べると軽薄な面が多く恥ずかしい限りです。最近は西田哲学に少々のめり込んでいます。京都学派の中に信州人がいてその方が波多野精一でした。西田哲学が「善の研究」を元に弁証法的に絶対無、絶対矛盾的自己同一、逆対応等探求が進むのに比べ、波多野精一は「時と時間」後その思索を停止したと理解しています。
 人間は「なまもの」、良きにも悪しきにも変化します。 その時は良き考えと思っても、歳とともに変更が加わります、転向もあります。そして「ボケ」もあります。
 そういう意味で、「本当の自分などは無い」ということに至るわけで、一刹那に魂の叫びを聞きながら、ただ知識欲を満たしているだけです。
 信州に来たら安曇野に立ち寄ってください。よろしく。
西田幾多郎と波多野精一 (宮寺良平)
2019-02-25 21:00:12
ケーベルから始まる系譜は、波多野精一、田中美知太郎、藤沢令夫と続き、一貫して西田幾多郎には批判的で、全くと言ってよいほど評価していない。
この系譜は、藤沢に至って、原典に即した哲学研究は、世界的なレベルに達して、例えばStanford Encyclopedia of Philosophyを調べると、Plato's Parmenides という項目は17100語で書かれており、90余りの文献の中に、藤沢のものが入っている。プラトンという西洋での古典中の古典において、日本人の文献が入っていることはすごいことである。
しかしながら、同じ、Encyclopedia of Philosophyで、Nishida Kitarō(西田幾多郎)の項目は12600語で、150あまりの文献が出ている。また、Kyoto School(京都学派)は22000語で、文献は250を超える。そして、京都学派では田辺元、西谷啓治などが紹介されている。西だから始まる京都学派は、それ自体が多くの人々の研究対象となっており、少なくとも今見る限りでは、世界レベルでの評価を得ている。
それに対して、波多野も、田中もEncyclopedia of Philosophyには全く紹介されていないから、評価としては、圧倒的な差ができている。
学者として優れていた波多野、田中、藤沢がなぜ全く西田を評価できなかったのかということは大きな疑問として残る。
個の時代の哲学 (主催者)
2019-02-27 12:05:45
宮寺良平 様
コメントありがとうございます。
 波多野精一先生は、信州松本の出身ですので、興味を持ちました。個人的に思考のスタイルに注目するのですがキリスト信仰者の根底には「今ある私は神の手によるもの」と揺らぎなきある種の存在論が確定されています。仏教は法灯明の世界で「教え」が主に在り、存在そのものについては無記、すなわち語るまでもなくと自明、おのずから明らかになるもの(体得)とします。
 現代人は、神亡き後の世界において存在をどのように解するかという話になります。そうなると考察に参考にならない部分が多々あります。個人的に「根底に在るもの」という、すぐに名が出てきませんが過去の宗教学者さん著書を読んだのですが、実存が出てこないのです。裸の実存はありえないのです。悩みがあるならば神に祈れでは、事済まない時代です。同じ祈りでも、拝まれる存在を教える、個の哲学的なものに引かれる、そんな気がします。
 波多野先生も他の先生から得る話は無いわけではありませんがそれほど知られていないのは、時代というよりも個の気づき時代だからと思うのです。

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