思考の部屋

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県民投票近づく

2019年02月21日 | 哲学

 哲学者の國分功一郎さんが「市民が行政権力に関わることができないという民主主義の欠陥~沖縄県民投票について考えるために~」という題のコメントを今月の初めにサイトアップされていました。

 2月4日が投票日、基地建設反対闘争の一環として行われると記載するとお叱りを受けそうですが現政権の政策に対する反対行動と捉えれば反対の拳(こぶし)をあげているように見え「闘争」という言葉の使用になると思います。

 軍事基地反対の意向を示す闘争
 アメリカ帝国主義の横暴に対する米軍反対闘争
 サンゴ礁等の保護を目的とする自然破壊阻止闘争
 沖縄民衆を抑圧する本土側からの政策に対する闘争

 以前にも書きましたがいろいろな意見を秘めた投票で、結果は現状の政策推進賛成票以外の得票数が多ければ建設反対の意向が多数県民の意思という結論になります。

 國分さんは、

 「直接民主制が本当は望ましいが、それはできないから間接民主制にしているのであって、間接民主制は必要悪である」という意見もよく聞くのだが(誰がこんなことを言い始めたのだろうか?)、これも全く問題を捉え損ねている。今述べた通り、問題は直接か間接かというところにあるのではなく、立法権ですべてを制御しようという発想そのものにある。仮に有権者の全員が参加する直接民主制の議会が作られたとしても、実際の政策決定を行政が行うという問題は少しも解決しない。」

と語られていましたが、立憲民主主義そのものに構造的な欠陥があるということになるのですが、確かに、法治国家は最大公約的な構成要件で規制しないと秩序は保たれないのですから保護される人もいれば規制される人もおり満足・不満は消えることはありません。

 こういう構造的な欠陥に対する悲憤が生まれる構造欠陥があるならば県民投票という型づくりも今後は立法・行政・司法を離れ第4の柱とし現れてくるのかもしれません。
 そういえは地方自治の時代は今も叫ばれているわけですが、ふるさと納税に対する立法府の介入に拳をあげる人というよりも自治体はないようにみえます。

 國分さんは、マルクス・ガブリエルの公演会のMCをされていましたね。

 世の中を変えることができる独創的な創造力がこれまで以上に求められているように思われます。今ある言葉のもつ意味や概念を超える超意味、超概念の発想力の声はどこかにあるように思えますし、思いたい。

 県民投票も闘争ではなく新しい機構改革の声と聴き取り、芯からの構造変革になって行くならばいいと思うのですが。しかし、マスコミは拳と捉えるでしょうね、野党も。


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