思考の部屋

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安曇の山麓の古墳

2018年08月12日 | 歴史

 私が住む安曇野市の常念連峰のすそ野には80基以上の古墳が今に残っています。今日はその中の国営アルプスあづみの公園内にある「穂高古墳群F9号墳」の遺跡発掘成果の説明会に出かけてきました。

 國學院大學考古学研究室が発掘を担当しているということでゼミの学生さんが説明者に加わりなかなか和やかな雰囲気の中で聞くことができました。


 ひとつだけ気になったのは、このような説明会には地元の方の他に考古学に長年携わってきた老人が必ず参加するもので、今回もそれらしき人がいました。

 この古墳からは馬具の一部と思われる金具や鉄拳が出土しており古代鉄に興味のある方には馬具等の鉄がどこからもたらされたものなのか、原材料の産出国を知りたいという興味があります。説明者に鉄の分析がなされていますか、安曇野からは砂鉄がさほど出ないのですがという興味深い質問者の脇から、この専門家風の老人は安曇野の川からは砂鉄が出ると強めの打ち消して話を挟んでいました。


 安曇野の流れる川としては穂高川、烏川がありますが砂鉄はないわけではなく千曲川のように数量は少なめで、出雲の鉄づくりのように大量にはでません。

 このな老人には関りをもたない方が無難で距離を置きましたが、質問する人がどのような意図で話されているのかも知ろうともせず反面教師として、老後は送りたくないと思いました。

 古墳内からは催事用の須恵器土器が出土したということで、説明会の後に遺物を見たのですが、これが見事に高温で焼いた須恵器土器で、一緒に低音で焼かれた土器もありましたがそちらの方は水漏れを防ぐように漆のようなものを塗ってありました。





 高温でつくる須恵器土器は、渡来系の技術であることは知られていることで、馬の飼育を含め渡来系の技術力が1400年前ごろにはこの山麓にもあったことは事実で、隣接する松本平の古墳からの出土遺物からも推測されるように多くの渡来人が一大勢力として信州信濃のこの地に来て分散して定住していたように思われます。

 安曇野では「安曇族」の研究が盛んで安曇族は、九州からの来たと言われていますが、個人的に思うのですがどう見ても騎馬民族の一大勢力を考えてしまいます。


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