思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「ハレ」と「ケ」から思うこと

2019年01月25日 | 思考探究

 地方紙に織り込まれていた小雑誌に「新年に思うハレとケ」という記事が掲載されていました。
 ハレを漢字で書くと「晴れ」、ケは「褻」となります。「ハレ」とは、一般的に非日常をいい、「ケ」は、日常を意味します。「ハレとケ」が話題にされるのは民俗学者の柳田國男が取り上げたことから注目されるようになり、ウィキペディアには、

「ハレとケ」という概念関係の捉え方は、柳田國男が近代化による民俗の変容を指摘する一つの論拠として、ハレとケの区別の曖昧化が進行していること(例えば、ハレの儀礼時にのみ行っていた特別な飲食が日常的に行われる、など)を提示したのが始まりである。柳田は、何世代か前の人々の「ハレとケ」の区別の仕方と、柳田の同時代の人々の「ハレとケ」の区別の仕方を比較し、そこから未来への潮流を読みとろうとした。
当初「ハレとケ」という捉え方はそれほど注目を集めなかったようであるが、和歌森太郎が着目してから後、広く学界内で知られるようになった。ただ民俗学においては、柳田が目指した過去・現在の比較から未来を読みとくという通時的分析を志向せず、長らく「ハレとケ」の二項図式を公理のようにみなした民俗構造の共時的な分析に傾斜し、もっぱら“「ハレ」の非日常=儀礼や祭り”に対して関心が寄せられていた。

と解説されています。この記事を書くを思い立った上記の小雑誌記事はこの柳田先生の言う「ハレ」と「ケ」が曖昧になってきている話を現代に重ねるもので、「現代は豊かだ、身近な衣食住を見ても、昔に比べれば毎日が非日常な祭りのよう(だ)。」と語ります。

 そうですよね。幼少期の衣食住に比べれば天国と地獄のような差があります。衣類、食事、住まいそれぞれにかなりのレベルアップで彩られています。現代ではGパンなどは真っ新なものをワザと加工して古さを(使用感を)持たせて販売するの例外として、ツギハギの衣類を着ている人は見ることがなくなりました。食事などは現代の若者では洋食化が普通になり、漬物と少々のたんぱく質などという時代ははるか遠くの時代になってしまいました。記事の著者は持ち新聞記者だと思われ次のようにも語っています。

 過去に大手新聞社の先輩から投げられた「非日常が日常になったらダメだぞ」という言葉は、今に思うと「記者が日々追うニュースはまさに非日常だが、それに慣れてしまえば記者としての視点が失われる」という視点に解釈される。

 「そうだあなぁ」と思う。日常に慣れてしまうと、事態のは握も過去の同類の事態と同様的な取扱いに終始し目新しい発見は何一つありません。いわゆる面白みがありません。
 非日常が日常になる。慣れからくる落とし穴がそこに現れます。

 だから常に新鮮な気持ちで緊張感をもって事に当たることが重要という話になるのですが、緊張感ばかりでは疲れるばかりで心が逆に落ち着きません。このようなことを考えていると天秤の左右の端の揺れのように落ち着くべき位置がありません。

 喜怒哀楽を極力抑え物事に動じない平常心之道なりと、いったところの悟りの境地では味は出てきません。

 「味が出てきません」とは、「あじけない」という話で、なんとなく心にそぐわないがどうすることもできない不満が浮き出ます。

 教訓的な話も一片の理であってそれだけを押し通すことはできないように思います。場を踏み何事かを体得し、何事かの感を養う、直観とか直覚というものはそういうものかもしれません。それは自分自身が掴み得たもので現実的には応用力ともいえます。

  ハレとケ、非日常と日常の話からあらぬ方向へと話が進んでしまいましたが、晴れの場、祝儀の場、祭りの場という非日常、ある人は葬送の場もハレではないかと言います。確かに日常ではないのでそう言えるかもしれませんが、晴れ着のハレを想うと同意できない感じがします。

 そもそもハレとケという区分をする衝動はどこから来るのでしょう。徒然草が語るように「け晴れなく、ひきつくろはまほしき(ふだんも正式の場合も区別なくきちんと整えたいものだ)」、身なりも私生活もきちんとしていれば良いものを・・・人間というものは乱れる、汚れる性(さが)にあるもので「ケ」が枯れる・・・ケガレルわけです。

 古代精神史では祭りは、気が枯れる、正気が失われることからそれを取り戻すためにおこなわれる、という説があります。

 日常の「ケ(褻)」、古語の世界では「ケ」は他に「日」「気」「毛」「怪」「卦」「故」「食」「笥」という漢字で表すようです。
 「ケ(気)」の付く言葉としては、

 「ケウトシ(気疎し)」うとまし。なじめない。
 「ケオサル(気圧さる)」圧倒される。
 「ケオソロシ(気恐ろし)」そら恐ろしい。
 「ケオトル(気劣る)」何となく劣る。

などがあり「ケ」という気持ちとか気分という言葉でつかめそうです。

 そして出てくるのが「気分転換」、誰もそういう機会を持ちたくなる時があります。北島三郎の「まつり」のように「まつりだ!まつりだ!」と声出したくなる時もあります。
 要するにメリハリ(弓の弦の張からくる言葉)を持つことが大事ということでしょう。羽目を外せば締める衝動が根底から湧き出る、人間の持つ性(さが)それをしっかり「ある」を知悉する、そこが大切なことかと思います。

 「ハレ」と「ケ」は、確かにそう見える相対化の顕現かもしれませんが、常に生まれ他に移行し、そして戻るの連続性において刻々なのだと思います。

 マルクス・ガブリエルの「新実在論」は、相対化の連続において「存在」の固定はないと説いているように感じられる。西田幾多郎先生が説くように生命体であって刻々と時を刻み、動きの中に存在するもの。一歩前は一歩前進であるが自分を置き忘れているものではなく、彫刻の刻みのようです。はく離したものは再び元に戻すことはできませんが、新たなる刻みで新たなる彫像の己が創られるように思います。

 これといった結論はないのですが、とりとめのない今ある私の語りです。


裏返しの終末論、不可能性の時代に思う

2019年01月15日 | 哲学

 新年を迎え紙面を開くと何かと今後の日本あるいは世界の動向を語る記事を目にするようになります。

 占いにも似た未来予想ですが、毎年くり返されどの時点をとらえて結果と言えるかわかりませんが、大きく外れることのほうが多いような気がします。

 米朝の危機が問われ北の国家消滅をあるのかと思うと、まったく事態は急変し真逆の事態のように見えてしまいます。

 中国は、過去の歴史から統一国家の長く続かないものだと思えば、あっという間に世界一の大国になり崩壊することもなく存続しています。共産国家は幸福社会と思うと監視カメラは街頭にあふれ昼夜警察国家とも呼べそうな監視社会になり、国民の不満や反体制活動は表には出てきません。

 日中国交回復のころにこんな中国をだれが予想したでしょう。共産主義と言うよりも党員家族の安全を第一に考えればこれが一番いいのかもしれません。

 国外へあふれ出る旅行客の裕福層もあれば、時々報じられる山間地や荒れ野に住む人々の超貧困層もあり、中国は、底知れぬ不思議な国になっています。

 実現可能な未来はあるのか。建設中のオリンピック関連の施設のように時が来れば完成するものと違って、個的に関係してくる未来像を描くことは不可能であるように思えてきます。

 一般的に幸福像は描きにくく、不幸せな危機的事態は描きやすいものです。個々の今ある状態から幸せ像を描くとするとまさに自由選択と決断、努力という方しかなく、棚からぼた餅的な偶然性はまさに偶然で可能性は全くないに等しいものです。

 危機的事態はどうでしょう。自然災害から戦争・・・。彼女ができないという危機は宿命であって受忍する以外に方はありません。

 しかし、自然災害や戦争というものはどうでしょう。活断層の上に建造物を建てなければ大丈夫。大津波に対応できる防波堤があれば大丈夫。地震の起きる場所からは離れる。原発からは遠ざかる。軍事力を持たない。過去の歴史から学ばれることを実践することで避けられる。とそれぞれがその思いを語ります。

 現実はどうでしょうか。個人的に昨日から今日は大きな差はなく推移しています。5日ほど前の地方紙に記者が松本市出身の社会学者大澤真幸さんと対談した内容の「混迷を越えて1989からの社会」という記事が掲載されていました。

 そこで、大澤さんは戦後日本の時代を三つに区分し「理想の時代」「虚構の時代」を経て現在は「不可能性の時代」であると語っています。いつ頃からその「不可能性の時代」に入ったのは、その端緒は1989年に起こったオウム真理教信者による殺人事件だと言います。

 そして、「不可能性の時代、僕たちは自分が何者なのか分からなくなってしまった。30年間、それがどんどん深刻化してきているように見える」と言っています。
 記者は最後に大澤さんの語りとともに次のようにまとめています。

 <どうしたら理想を取り戻せるのか。私たちは主催者の一人としても「国際社会の中で日本がどういう世界観を持って臨むのか、その上で、自分はどういう選択肢に、どういう貢献をしようかと考えることはできないでしょうか」と大澤さんは提言する。「50年先、100年先の世界のために、最も重要な選択肢は何なのか、まず模索することです」>
 大澤さんが3.11が起こる直前に語っておられた「裏返しの終末論」を思い出します。フランスの政治哲学者ジャン=ピエール・ジュビュイの未来における人類の破局という視点にたっての現在という未来にとっての過去における自由選択という問題考察をする中に現在における”正義 ”論を構築する考え方です。

 どういう話かというと未来において、その破局は起きてしまっている、と仮定してみます。ということは、その未来の方を現在とする時点において、その破局までの過程が、必然であり不可避の宿命であったと感じられているということになります。「不可避の宿命」ということばにすごく納得します。

 そしてそこで重要な目覚めは、その破局までの過程、つまり未来にとっての過去に、私たちの実際の現在が含まれているということです。

 偶然の選択が必然性を生み出すという原理が効いてきます。つまり未来に想定された破局の位置からは、その破局にいたる宿命自体が未来にとっての過去、つまり私たちの実際の現在の自由の選択の産物である、と見えているということです。

 もっとも正しい選択肢は何か。それは破局を帰結するような宿命、とは別の選択肢で、私たちはその別の選択肢を取るべきだということです。つまりわざと破局的な終末が到来してしまった。と想定し逆にその終末を回避するような選択肢への想像力・イマジネーションを回復することが重要だといいます。大澤さんはそれを「裏返しの終末論」と呼び物語が困難な時代の”正義 ”の第一歩は、この裏返しの終末論にあるとそこでは語っていました。今回の「不可能性の時代」に関係した話、個々人の想像力・イマジネーションの回復、非常に難しく感じられます。いい話であるのに思考力がついていけません。

 このようなことを書いていると哲学者の梅原猛さん死去のニュースが報じられました。

 梅原さんで思い出すのは、3.11東日本大震災の原発事故後に強調され語られていた『勘定草木成仏私記』の「草木国土悉皆成仏」という言葉に意味するところです。元をたどればアイヌの人々にみる縄文文化、狩猟採集民族であったころの日本人の「こころ」の延長線上に仏教伝来後重なった言葉で、今後の社会の中で自然との共存、人と人との共存に欠かせないものだと話されていました。

 民主主義の国家で当然法治国家、良し悪しの判断ではなくある意味形式的な意味の正しさで未来への道筋がひかれていきます。

 妥協の選択、絶対確信の選択それが現在の各自の終末論で描かれる世界に見合う最良の選択となるのか。

 それは各自の「こころ」の延長線で描かれて行くのか。

改元とともに新しい時代が・・・とマンネリ化した発想(願掛け)をしてしまいます。


世の中は存在するのか、あるのか?

2019年01月09日 | ことば

万葉集793は大伴旅人の

余能奈可波  牟奈之伎母乃等  志流等伎子  伊与余麻須万須  加奈之可利家理
世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり
(よのなかは むなしきものと しるときし いよよますます かなしかりけり)

という歌で教科書にも掲載される有名なものです。

現代語に訳せば

 現世を実に空しいものだと悟った今だからこそなのか いよいよまことにつらく
悲しみが込み上げてくることだ 。

となります。「余能奈可波」は「世の中」で別の言葉にすると

浮き世 俗世間 娑婆(しゃば) 現世 生きて暮らしていく場。

と表すことができます。 

次に詠み人はわかりませんが古今和歌集に、

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

あるサイト現代語訳は、

この世の中では、一体何がつねに同じ状態であるのだろうか、いやない。(例えば)飛鳥川において、昨日は淵であったところが、今日は瀬にかわっているように。

とあり、「世の中はつねに動いていて、同じ状態が続くことはないのだという無常感を表現した歌です。 」と書かれていました。

 万葉集と古今集の唄の共通する部分に「よのなか(世の中)」があります。この世でもあり、現に今生きている(現生)ばで、上記の通り様々な言葉で表現することができ、日本語を使う方は共有概念を持ち「何それ」などという問いを持つことはありません。しからば共通概念として抱くものは何か。

古語辞典にその答えが列せられます。学研の完訳用例古語辞典には、

よ・の・なか【世の中】名詞
①人の一生
②現世。この世。
③(天皇の)治世。政治。
④世間。社会。世の中。
⑤世情。世間の情勢。世間の出来事。
⑥世評。世間の人気。
⑦身の上。境遇。
⑧男女の仲。夫婦の仲。
⑨周囲の状況。
⑩世間一般。世の常。

とあります。答えと書きましたが、問いに一様応(こた)えている、応(おう)じているだけで、抽象的表現の極みにみえます。意味するものはありませんが、表現することによって共有の場が開かれる、といったところでしょうか。

ひと昔前に「世間はあるのか?」という問いが流行った時がありました。世間体を気にして生きる日本人、心悩ます若者が多いことが原因しそのような問いが発せられたわけで、現代ではさほど世間体を気にする若者は少なくなっているように思います。

 テレビを見れば、男性の化粧姿、髪の色、タトゥー・・・が公開され都会を歩けば数多くの(わたしから見れば)奇抜な若者を見かけることができます。

 昨年NHKの番組でも取り上げられたドイツ哲学者マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」という著書、ご本人が来日しガブリエルが日常行動の中で垣間見た様子を語る著書もあり興味深く読むと実に奇抜で面白く興味をそそられます。

 日本人は電車に乗るときには必ず決められた運賃支払い方法で改札口を通ります。ドイツでは事態は真逆で、切符を出す必要がなく日本人の目からすれば無賃乗車が横行しているように見えるようです。

 しかしドイツではこれが普通の世間で定言命令が徹底されているというよりも肉的に刻まれた習慣だということです。すごい話だとびっくりしたわけですが、一般的常識などというものは、存在場所が異なれば、生きる世界が異なれば「ない」ということがわかります。

 だからといって表現による「世界」「世間」「世の中」が「ない」とは言えないわけで、人間が思考によって作りだす共有場に置きたい産物に思えます。

 世間を、世の中を想像できなければはみ出してしまう。しかしそれは(世間・世の中)は刻々と変容して場を作り上げて行きます。場に動じないことも大事ですし場に合うことも生きるすべですし、生きるということは想像化の現実化とでも(あくまでも虚構かもしれませんが)言ったところでしょうか。

 「世界」という漢字、日本漢字能力検定協会版の「漢検 漢字辞典」を見ていると

 「世界」の
 「世」は、過去・現在・未来を
 「界」は、東・西・南・北・上・下を

いうそうで、解説意味には、

①地球全体また、視野全体
②地球上のすべての地域
③人の世。世間。
④同類のものがつくる、一定の秩序の集まり。
⑤芸術家や芸術作品に感じられる特有の場や像。

とありました。

 実におもしろく思考を働かすとさらなる世界が現れそうで。


来たらざる未来からの足音の啓示

2019年01月07日 | 哲学

今年も残りわずかとなりましたという文頭で書き始め、結局年を越え新年あけましておめでとうございます、に改めようとしている間にすでに1週間も経過してしまいました。

昨年の暮れは身近に葬儀があり死ということを意識することになりました。死者の仰臥の姿、寝姿を見、もう語らぬ彼の人を見てそれが死だと思い何事かをそこから意識しているわけです。

意識していることそれは何なのか。自分にも必ずおとづれる事実、しかしそれは実感を伴うものではなくあくまでも想像するわが身の仰臥、寝姿であり私なる人格体はもうそこにはいません。

身体の衰え、人格は日々その様態を変え、他人から見れば死する数年前の私と同一人物とは見えないでしょう。

メメント・モリ(Memento mori)というラテン語の言葉があります。『詩編』の第90第12節の「我々におのが日を数えることを教えて、智慧の心を得さしたまえ」という言葉で、よく「死を忘れるな」という言葉で語られます。

年を重ねるごとに着実な死の足音が聞こえてくるような気がしてきました。詩編は何を語ろうとしているのか、何をわれわれに説いているのか。生への執着に翻弄し、魂なるものの永遠性に翻弄する者への啓示でしょうか。

命をロウソクの灯りに例えることがあります。ロウソクの長さはその人の寿命、それを長いものと交換することは誰にもできないとこととなっています。ロウソクの炎の揺らぎを見ているとあくまでも感覚的なものですが鼓動に揺すられる身体の微動を感じます。

生死という言葉のように生があるから死があるのであって、どちらか一方が単独であるのではないことは確かなことです。「生」はこの世に誕生しわれに気づいたときに、はじめてその生なる言葉を知り、死は他者の死なるものの終焉の過程から「死」なる言葉を知りました。

生と死の大きな違いは、生は偶然で、死は必然であるという人もいます。生誕は直接私自身が原因で生じたものではなく、それに対して死は私自身の健康管理の不適が原因したり最悪自決的な決定打により起きる場合があり事故、自然災害もあります。

病死であろうと自死であろうと存在の自覚は「死」なる事実があってこそ感得されることで、来たらざる未来の「死」があるからこそ「生かされている今」が実感されるのではないかと思います。言葉を変えれば現実存在における生きているという表現そのものが終焉を前提に語られていることは確かではないかと思うということです。

詩篇における「我々におのが日を数えることを教えて」という言葉は何を言うのでしょうか。単純に累積的日を数えることのようには思えません。終焉のある時点から逆算的な数えのように思われ地下ずく足音は未来から聞こえてきます。

 哲学者の田辺元は晩年『メメント・モリ』という小論を書いています。彼はその中で、

 この言葉の深き意味は、旧約聖書の詩篇第90第12節の「われらにおのが日をかぞへることを教へて、智慧の心を得させたまへ」に由来するものと思われる。けだし人間がその短きこと、死の一瞬にして来ることを知れば、神の怒りを恐れてその行を慎み、ただしく神に仕へる賢さを身につけることができるであろう、それ故死を忘れないやうに人間を戒めたまへ、とモーゼが神に祈ったのである。その要旨はがメメント モリといふ短い死の戒告に結晶せられたのであろう。・・・・

 と語っていますが、絶対確信の超越的絶対者を啓信する者だけではなく足音に耳を傾ける年齢になればおのずと何かが問われ解すべき機会が与えられるように思われます。
 田辺先生は『西田先生の教を仰ぐ』(1930年)の中で

「唯私の疑う所は、哲学が宗教哲学(プロティノスの哲学を宗教哲学という意味に於いて)として、最後の不可得なる一般者を立て、その自己自身に由る限定として現実的存在を解釈することは、哲学それ自身の廃棄に導きはしないかということである。」

と西田哲学を批判していました。戦後は「死の哲学」が語られ、

 「大乗仏教の中心概念たる菩薩道というのはこれにほかならない。これこそ、『死の哲学』に近きキリスト教にさえ欠けるところの、絶対無の徹底であると思う。」

となり、

 「生死が自然現象の如く客観的事件として存在するものでなく、あくまでも個々の実存的主体に対して自覚せられる媒介事態であるのみならず、生と死とは、前者の終末限界として後者が前者から予想せられるところの事象であるに止まらず、自ら進んで生の執着を放ち棄てれば、かえって死が生に復活せしめられ、愛に依って結ばれる実存間において、それが実存協同として自覚せられ、死せる先進者の慈悲は生ける後者にはたらくことが実証せられると同時に、その感謝報恩のため、更に自己の後進者に自らの悟得せる真実を回施し、その後進者をして彼に固有なる真実を語らしめる結果は、疑いもなく死復活せる生を本質的に喜びあるものたらしめる筈である。もし果たして「死の哲学」の真実がかかるものであるとするならば、「生の哲学」の窮境を打開する路が、ここに見い出されることは否定できない。」(京都哲学撰書第8巻「田辺元」メメントモリp383-384から)

と語るに至りました。

 絶対矛盾的自己同一なる西田幾多郎先生の造語について「最後の不可得なる一般者を立て、その自己自身に由る限定として現実的存在を解釈することは、哲学それ自身の廃棄に導きはしないかということである。」とその懸念を語っているのですが、西田先生の死生観は悲哀の哲学から確実に足音が聞こえている現実存在の明示化に思えます。

 兎も角も来たらざる未来からの足音、それが今を限定し変容を促す。

 「智慧の心を得さしたまえ」という詩篇の意はそういうことではないでしょうか。