思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

月影(つきかげ)

2007年11月24日 | 仏教

 初雪が降り、本格的な冬に入ったようだ。先週に引き続き庭の落ち葉の片づけをする。苔の上に積もった落ち葉を取り除くと、日に照らされ青々と輝く苔が、顔を出した。熊手を立て掛けると、苔の上に何本かの影が現れる。

 夜になると空気が澄んでいるので、月影は、昼間の太陽の陽とは異なる輝きを風景に添える。

 今なにげなく使った「月影(つきかげ)」という言葉は、「やまと言葉」である。
 古語辞典では、
    月の光、月明かり、月光に照らし出された姿
という意味と記載されている。

 「月影に色あひさだかならねど(徒然草44)」は、「月の光の下で色かげんははあきりしないが」という意味になる。

 ここでいう「影(かげ)」は、日の光に照らされてできた人影の「影」と異なり「暗い部分の意味はない」ことを表していない。

 辞典では、「影(かげ)」「光によって見える物の形や姿、また、水や鏡に映る物の姿をいうとともに、光の反対側にできる陰影、影法師など。」の意味になる(三省堂全訳古語辞典)。

 このように見ると「やまと言葉」の「かげ」は、この暗と明の二つの現象を同じ一つの言葉で表現している。
 このことから、古代人は二つの現象とは見ずに一つの現象と見ていたことになる。
 「やまと言葉」は、状態や動き、動的な言葉であるからこの「かげ」という言葉は、明滅する光、ぎらぎらと輝く(光度は低いが)状態で、照るという継続的な光の状態ではない。

 大法輪12月号の特集は「真理への道ブッダの名句・名言」である。特集の最初に南伝系の外国人僧侶の「ブッダの言葉とは」という文章であった。

 仏教が世に現れて以来二千五百五十一年にわたって、たくさんの人々が(大乗)経典を書いてみたり、論書をまとめたり、注釈書を作ったり、その時代の要求に応じて解説したりと試みてきました。この素晴らしい業績のおかげで仏教は、欲望と無知に陥っているこの地球から、消え去ることはなかったのです。いままでブッダの教えを解りやすく伝えてきた知識人や学僧たちの業績は偉大ですが、彼らにブッダの説かれた元の教えよりすぐれたことは語れなかったことも事実です。

 光に照らされるような文章である。

 生命の輝きは、活き活きと、刹那消滅の連続の中で輝きを得る。
 照らす光を見るが、輝きをもつ光を見つけ出すことは難しい。実は足下にあるのだが、合理的な物事の考え方で「もの」を個別的、固定的に特定することに安堵感を感じてしまのでどうしても見つけられない。
 


「もの」という「やまと言葉」(4)

2007年11月17日 | 仏教

 般若心経で唱ぜられる五蘊の最初にくる「色」は、物質的構成要素の意味で、われわれは物質的な姿<形>をもっていて、その物質的なものを離れては存在できない。  しかしその本性を尋ねると、じつは空にほかならないといわれる。

 「色」は、訓読みは「いろ」である。平安中期の日本語の音節を表す仮名のすべて四十七文字を網羅し、かつ重複させないで作られた手習い歌「伊呂波歌」の最初の二文字である。

 「色は匂へど 散りぬるを・・・・・」とうたわれ、涅槃経第十三聖行品の偈の「諸行無常・・・・・」を今様調に訳したものといわれる。
 国学の素養の深い万葉学者僧契沖の和字正濫鈔巻一では、「今色葉というふは、花紅葉を惣していへる歟。又もみぢに限りてもいへる歟。・・・・・」と解説がされ、「色は匂へど 散りぬるを」は、「花は美しく咲き匂うが、やがて散ってしまう。」という意味になる。

  「におう」というやまと言葉については、これまでブログ内で言及しているが、古代人は、色そのものを動的に捉えてた。したがって花の香りが漂うだけでなく、紅葉の山々から漂い、匂う美しさを得ることができていた。
 現代人は、古代人に比べると事物をあまりにも合理的に、固定的な感覚で捉えることに陥っているといえる。

 思うに漢訳の「色」であるが当時の「色」は「物色」の「色」であり、「物色」に「物の色、動物の毛の色、ありさま、形貌、風物、景色、自然物の色・形・有様。万象」などの意味があることから、単に「物質的構成要素」では済まされない意味があるような気がする。森羅万象、人間も含め自然界に存在する物を言葉の世界で、個別的に捉えるのではなく、事物に共通して流れる関係性の中で捉え、表現する「やまと言葉」は、思考というものがどうしても固定的な概念で結論付けてしまう現代人にとっては一度足を踏み入れる必要があるような気がする。

 そもそも、自然全体をよぶ「やまとことば」がない、という説がある。そんなことはありえない。もちろん自然という漢語は、日本語の「おのずから」に当てられていて、自然を意味してこなかったが、自然という概念は、古代にも存在したはずである。それはやはり、「もの」と言ったのではないだろうか。一つ一つのものも「もの」であり、全体も「もの」であった。英語では、複数の概念をあらわすとき、単語の末尾にSをつける。しかし、日本語にはそのような表現はない。ではどうするのかというと、繰り返すのである。「ものもの」とか「みなみな」といった具合である。一つ一つの「もの」の集合体が全体であった。つまり、全体と部分を区別しないのが、日本語である。ちなみに必要なとき、それを「しなもの」といった。「しな」とは区別するということである。いまでも「しなもの」というのは、商品に対して使う。売買の場面では、もっとも明確に一つ一つを区別する必要があるから、そうしてわけられたものを「しなもの」というのである。万葉の大和路 中西進著 ウェッジP157・8から」

 この中西先生の主張は、20年程前にNHKラジオの「やまとことばのコスモロジー」という番組や、その後同局テレビ番組の人間大学「古代人の宇宙観」でも語られていて当時はそれほど感動しなかった。

 最近「色即是空 空即是色」で「色」を気にする主張があり、中西進先生の「やまと言葉」を思い出した。
 録音テープを探し出して再聴していみると「やまと言葉」に秘められた言葉の生成に係わる古代人の志向性の広がりに、現代人に失われている「もの」をみたような気がする。
 


「もの」という「やまと言葉」(3)

2007年11月11日 | 古代精神史
 「和の心」というと日本人の古代から培われた精神性とでもいうのであろうか。四季の花鳥風月にふと思う。

 和洋、和風、和式いずれの言葉も日本的という意味になります。それぞれ、形、様式、生活になっているものを表しますが、その元には、「和」という言葉に表現される日本人の精神性があります。すなわち、「心を大切にする」という伝統です。和風、和洋、和式のすべてにおいて、「和」という言葉に込められた深い意味合いを知り、それをバックボーンに、今日の生活を豊かなそれにしていきたいものです。

と、加藤ゑみ子さんは、「和のルール Discover」の冒頭で述べている。

 善し悪しを考えることなく、過去から今日に至る歴史の中で消え去り、また再生されていくもの、変化していくもの、それらを「今」に個人的に見つめることも必要に思う。
 その中でわたしは、「やまと言葉(ヤマトコトバ)の世界に志向性を向けている。

  哲学者梅原猛先生は、「[森の思想]が人類を救う 小学館P174」で次のように述べている。

 私は、大乗仏教のほうが釈迦仏教より優れていると思うのです。釈迦仏教はやはり紀元前五世紀という啓蒙の時代を反映して、人間中心的な宗教であることをまぬがれませんでした。しかし大乗仏教は、この人間中心的仏教をもう一度世界の方向で、あるいわ宇宙の方向で再構成しようとするものであります。この極限において、華厳仏教でいう毘盧遮那や、密教でいう魔訶毘盧遮那、大日如来が出現したわけです。もはやここでは仏はたんなる人間ではなく、太陽に象徴される宇宙の中心にあって、万物をそれによって生ぜしめるものになるわけです。日本の仏教の合言葉になった、「山川草木悉皆成仏」ということが、まさにこの自然中心の宗教となった仏教のあり方を示しているのです。人間だけが仏になるのではありません。生きとして生けるもの、動物も植物もあらゆるものが仏になれるのです。

 「大乗仏教のほうが釈迦仏教より優れている」という主張は梅原先生の主張であり、この点については「無記」としたい。

 西暦552、548、538年の諸説があるが500年代前半に日本へ仏教が伝来し、途次の廃仏毀釈を乗り越え今日あるのは前回のブログでも述べたが日本の古代精神の流れを大幅に修正するものでなかったからであると思う。

 前書きが長くなったがここから本論に入るとして、さて「やまと言葉」の「もの」という発音は、「も」と「の」を組み合わされた言葉である。「の」については音韻に関する問題はないが、「も」については甲類乙類の区別がある。それも古事記には、はっきりとした区別が認められる。
「日本語の世界1大野晋著 中央公論P223」に次のように書かれている。

 つまり、ヲ・ホ・モの甲類乙類の区別について古事記の表記を分析すれば、唇の合わせ方の最も弱いヲには、区別はすでに失われ、次に唇の合わせ方の少し弱いホにおいては、過去に区別があったらしい名残が見られ、はっきり唇を合わせるモには古事記に明確な使い分けが存在する。

 したがって「もの」という「やまと言葉」といった場合、そこには古代人の明確な区分けが存在することになる。

 古代に「森羅万象」を表現する「自然」という言葉がない、それは「もの」である言葉であろう。
 という考えを元に古代精神を探ろうとしてもかなり奥深く探求すべき事柄であることが解る。

 いったい「もの」とは何であろうか。
「ことばと文化 鈴木孝夫著 岩波新著」では、次のように述べられている。

 世界には、はたして何種類のもの(事物や対象)や、こと(動き、性質、関係など)が存在するのであろうか・・・・

 言語を単に「もの」「こと」という表見的な区分けで見ると、この二方向に思えてしまうが、言語のもつ深層に迫ろうとするとき、異なる志向性をもたないと納得いく見解は得られない。その点、荒木博之先生の主張は、今の私には合う。
 荒木先生は、「やまとことばの人類学 朝日新聞社」P86で「さだめ」という言葉を語りながら次のように述べている。

 日本人はそれに加えて、「共同体の(集団)の論理」や「宿命」だけでなく、さらに広義の不動の原理をも指示するきわめて重要な表現をもっていた。それは「もの」という言葉である。「もの」は、神の論理としての共同体(集団)の論理だけでなく、人間存在を貫いてある恒常不変のものとしてとらえることのできる具象物、までを広く指示することばである。
 従来、この「もの」の原義とでもいうべきものを探る試みは、その多様性にさまたげられてほとんど見るべき成果をあげてこなかった。しかしながら、一見多義的に見える「もの」という語も、それを日本文化の中核としてあるパーソナリティと重ね合わせることによって、その意味素とでもいうべきものをおぼろのなかに次第に明らかにしてくれるはずである。

 同書P108では、

 日本人はみずからをとり巻く世界のひとつの側面を「もの」としてとらえ、もうひとつの側面を「こと」としてとらえてきた。

と述べられ、同書では文例が示され興味深い。

 われわれは「人生は空しいもの」といって、「人生は空しいこと」とはいわない。「何と馬鹿げたことをしでかしたものだ」とはいうが、「何と馬鹿げたものをしでかしたことだ」とはいい得ない。われわれの言語中枢はそれを見事に選択して誤ったことはないのだが、いったい「もの」と「こと」はその意味の深層においてどのような本質的差異を秘めているのか、どうして日本人は「もの」と「こと」とをかく厳密に区別しようとするのか、こういったことについてこれまで説得力ある議論がなされたことはなかったといっていい。 こうした形式名詞としての「もの」と「こと」だけでなく、終助詞といわれる「もの」と「こと」についてもわれわれは同様の選択をする。「だって教えてくれないんですもの」、「まあ、きれいなチューリップだこと」を「だって教えてくれないんですこと」「まあ、きれいなチューリップだもの」などとは絶対にいうことはできない。

このように日本語の「もの」と「こと」という言葉は実に面白い言葉である。
荒木先生は同書で、「もの」という「やまと言葉」について

 原理をさす「もの」
 「ものいう」「ものおもう」
 「もののあはれ」について
 「もの」の属性
 超自然的な「もの」
 接頭語としての「もの」

その論を展開している。
 この中で「和の心」である「もののあわれ」については、
 「人間存在を貫いてある恒常不変の原理、さだめにふれて起こる情感」
と規定する。
 超自然的な「もの」については、源氏物語から例を引いて、

 使「京にも、この雨風、いとあやしき物のさとしなりとて、仁王会など行はるべしとなむ聞えはべりし・・・・・・」。(京でもこの雨風は何とも不思議な神仏のお告げだというので、仁王会などが行われるだろうということでございました)

 ここでの「物さとし」の「物」は一方において「集団の論理」「世間一般の条理」の意をその意味のambiguity(両義性)において指示しているとともに、「集団の論理」が「神」そのものであるという日本的共同体の構造的あり方からするならば、こういった文脈における「物さとし」は、同時に「神の論理に基づく教え」をも意味しているのである。

と述べている。
 荒木先生は、源氏物語から「神の論理」を導き出すが、これはあまりにも時代が新しい「やまと言葉」ではないだろうか。

 ここで思うに、「もの」と「こと」という言葉で、古典で思い当たる古い用例は「大物主」「事代主」の神である。記紀においては「物」「事」は、大和政権へ地神の帰順で相当に重量感のある言葉なのである。そしてまた「物」は「物部」氏という部族の存在理由とともに重みのある言葉だ。この点について津田左右吉先生は「日本上代の研究 岩波書店 『大物主・事代主』については第一篇上代の部研究第二章子代名代研究P71、『物部』については同第一篇第四章伴造の勢力の変遷P141~P142」で論及している。

「もの」という「やまと言葉」(2)

2007年11月04日 | 古代精神史
 「自然」という言葉が、そもそも日本にはない言葉で、古代「やまと言葉」では、「もの」という言葉がその「自然」を表す言葉ではなかったかという国文学者の中西進先生の説で論を進めたが、人それぞれの志向性の違いから、多角的に「もの」という言葉を知悉したいという衝動に駆られる。

 国文学といえば大野晋学習院名誉教授がおられ最近岩波新書から「日本語の源流を求めて」という本を出されている。タミル語と「やまと言葉(ヤマトコトバ)」の関係、したがって南インドとのかかわりで日本語の源流を論じているが、その中に「もの(モノ)」という言葉について次のように述べている。

 ① 世の中はむなしきものと知るときしいよよますます悲しかりけり(万葉)
   (人の死に際会して、ああ人の世は空しい。これが運命というものだと自 覚するとき、いよいよますます悲しみの感を新たにする)
 ② かくばかり恋ひむものぞと思はねば(万葉)
   (別れるとこんなに恋に苦しむののがきまりだと思わなかったので・・・・・)
 ③ 紅はうつろふものぞ(万葉)
   (美しい紅色もあせるのがきまりだ)
 このようにモノは「自分の力では変えられないさだめ、きまり」という意味が最も古かったと見られる。しかし、右(上記)に挙げた「紅はうつろふものぞ」のモノは「色が変わってしまう物だ」ともとれなくはない。こうした使い方からモノが「物」へと発展した。

と語っている(同書P68)。

 京都女子大学名誉教授であった芝烝(しばすすむ)先生に今では絶版になっているが、「古代日本人の意識」という日本語のルーツ論の書籍がある。
 芝先生は、日本人の土着的思考の二方向として「生命性」と「人格性」を論じている。その中で生命性の方向として「モノ」という言葉について次のように語る。

 古代以来、日本人が、人と世界とについてもってきた表象(観念)のなかで、最も根本的なものの一つ、モノまたはナ(n+α)である。モノは今日のわれわれにとって、自然の事物はもとより、人も、さらにはそれらを超えた存在をも包むような、文字どうり、「あらゆるモノ」として、ほとんどそれを自覚していないほど、根本的包括的な表象である。
モノmono--たとえばオホモノヌシ(大物主)のモノは霊の意味である。モノモノシは威力を示し、モノシラセは凶兆であり、モノイミ(物忌)は禁忌である。「モノンケになやみ給ひ」(『源氏物語』)のモノノケは「物の怪」とも書き、生霊とか死霊を意味し、今日の南西諸島でのモノオイは死霊を追い出すことである。人間の魂や心を示すものは、モノオモイ(心悲し)、モノサビシ(心淋し)など、みなこれである。いちおう、ここではモノをココロにおきかえてみたが、情をココロと訓むときとしてはならないようであろう。「なんとはなしに」といった方がふさわしいから、むしろ今日の南島語の代名詞manaのような意味である。日本人にとって、自然の事物をいうモノゴトが、このような深いところに由来するということは注意されるべきである。

  芝先生のこの「モノ」という言葉の解釈から、中西進先生が参考にされた解釈であることが解る。
 「モノ」・「コト」となると和辻哲郎先生のモノ・コト論があるが、これは「モノ」が動的なものであり、「コト」が固定的なものというというにとどまり、志向は「自然」との関係性に発展していない。

 先の「安曇野の秋」で引用した書籍だが、「続古代日本人の精神構造 平野仁啓著 未来社」の「古代日本人の人間意識P118」に次の記述がある。

 古代日本人は自然におけるさまざまな生成と変化とを、そのまま法則と考えようとしたのである。古代ギリシャ人が見えないものを不変性と合理性とに法則化することを考えるに反して、古代日本人は見えないものを変化と非合理とによって法則化することを考えるのであった。見えないものを計る基準として、古代日本人は変化する自然を尺度として使用するのである。

 このような言語学を離れた自然観は、「森林の思考・砂漠の思考 鈴木秀夫著 NHKブック」や「『自然』概念の形成史 寺尾五郎著 農文協」のような主張に発展していく。
 NHK教育の「こころの時代」で板橋興宗禅師が「自然」という日本語と西洋的な「自然」との意味・概念の相違について語られたがこの論の一群にある。
 その他に人類学の立場から論ずるものもある。「やまとことばの人類学 日本語から日本人を考える 荒木博之著 朝日選書P84~107『もの』の世界」

市場的性格

2007年11月03日 | 哲学

 今では話題にされることが少なくなったが、エーリッヒ・フロムの言葉に「市場的性格」という言葉がある。
 現代社会ではある面、自分を商品として市場に出している。自分を価値(商品価値)あるものとしてパーソナリティー市場という場所に並べ「私にはこんな交換価値がある」と示しながら、そのとき自分は、売り手であると同時に売られるものでもある。

 年間努力目標の達成、数値的結果だけが企業での評価の基準であるとき、個人はその企業の期待される価値ある商品(働き手)でなければならない。
 「市場的性格」とは、そのような社会に順応している人間をいっている。

 フロムの言葉を借りると、

 市場的性格は愛することもなく、憎むこともない。ほとんど完全に頭脳の水準で機能し、感情はよきにつけ悪しきにつけ、市場的性格の主たる目的を妨げるからすべて避けるという性格構造にとって、これらの<古風な>情緒はふさわしくないのである。

 市場的性格は自分にも他人にもなんら深い愛着を持っていないので、彼らは言葉の深い意味での思いやりというものを持たないのだが、それは彼らがそこまで利己的であるからではなく、他人および自分とのつながりがそこまで弱いからなのである。

 市場的性格は愛着心を欠いているので、物に対してもまた無関心になるのである。

 市場的性格は与えられた環境のもとでの<正しい機能>を目的とするので、彼らは世界に対して主として頭脳で反応する。

等々の性格をいう。 「生きるということ エーリッヒ・フロム 紀伊国屋書店P198~P206」
 立元幸治さんは、「『こころ』の出家 筑摩新書」で、フロムの現代人の「市場的性格」でユングの言葉を借り次のように述べている。

 (パーソナリティー市場)では、人々は、巨大なメガマシーンの論理のなかに組み込まれ、市場における商品としての存在にしか過ぎないものとなる。したがって、人間が、アイデンティティを確立し「十全にあること」に到達することを求め、《自己実現》を達成しようとするとき、「持つ」存在様式を脱し、自己の束縛からも抜け出す必要があると言う(フロム)。それは、人格を発達させ、その全体性を回復させることの重要性を主張した、ユングの思想と重なるものであろう。
 ユングは、人生後半の課題として、《全体性の回復》ということを強調した。そして、そのことと関連して、「無限性」の知覚ということを強調する。彼は、人間にとって決定的な問いは、その何か無限のものと関係しているかどうかということであると言う。人々にとって、真に重要なことは、「無限性」の自覚ということであり、そのことによって、真に重要でないいろいろな目標にとらわれることを避けることができる。そしてフロムと同様に、人が偽りの所有物(「持つ」こと)にこだわり、本質的なものに対する感受性を欠いたりすればするほど、その人生は満足のより少ないものとなり、常に周りの人と比較しつつ嫉妬、羨望という結果を生むことになると言う。いま、この繁栄の時代に、その例に事欠かない。しかし、人々がその偽りの所有物に囚われず、どこかで自分が無限なものと結びついていることを自覚するならば(後でもふれるように、無限性を自覚しつつ。いま「ある」こと、いまここに生きているという事実を尊重する生き方を実践に移す時)、
 人々の欲望や態度が変化する。つまり「われわれが本質的なものを具現化するときのみ、価値を認め、本質的なものを具現化しないときは、生命が浪費される」ことになる。

 この自分を「商品」とみる発想は、その志向性からみると奥深い。評価は他人の目を自己の内に「持つ」ものであり、これほど他人の目を気にするに至ればまともな人間も「躁鬱」になる。
 と思いながら、自分自身を見つめると「市場的性格」なっているのではないか、売れる「商品」を無意識に夢見ているのではないか。

 歳とともに素朴な生活を夢見る。「素朴」の中にはいろいろな意味がある。昨夜は昭和30年代を舞台にする映画がテレビで放送され、今日から続編が公開されている。「素朴」はふとその中に見え隠れしていた。
 写真は、白馬村の松澤登美雄さんの作品である。安曇野の山麓線中房温泉郷にある「アザレア ギャラリー」で最近まで展示会が行われていた。