思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

自分を励ましてくれるのは、自分の過去だけである

2010年07月31日 | ことば

 海援隊の「思えば遠くに来たものだ」というフォークソングがあります。
 
 踏切のそばに咲く 
 コスモスの花ゆらして 
 貨物列車が走り過ぎる
 そして夕陽が消えてゆく・・・・
 思えば遠くへ来たもんだ 
 ふるさと離れて6年目・・・・ 
 
という曲です。
 わたしは、武田鉄矢の声と曲調と「思えば遠くへ来たもんだ」の詩の言葉がとても好きでときどき、「思えば遠くへ来たもんだ」と独り言のように口ずさんでいるときがあります。

 特に遠くに来ているわけではなく、心の中で人生の遠く、歳を取ったという意味にとらえて、口ずさむ私がいるのです。

 今朝は言葉ではありませんが、意味に中でこの歌を思い出し、YouTube で聞いてみました。
 
 初期の段階、その後の歳を取った武田さんのバージョンがあり、6年を20年と変えて歌っていました。今の私が歌うなら初期が14歳ですから40年をはるかに超えた年数になります。実に、

 思えば遠くへ来たもんだ

なのです。
 さて今朝の話の本論は、これではなく武田鉄矢さんの深イイ話を語りたいと思います。

 YouTubeは、時を忘れる場所です。武田鉄矢さんの関係する一覧の中に今朝の話がありました。

ある番組の話です。今から6年前に、タレントと若者が語り合う「ジェネジャン」という番組がありその中で若者が、援助交際で得たお金でも「お金だったら嬉しい」という発言をしました、それに対して参加していた武田鉄矢さんが次のように語りかけたのです。

 寂しい考え方だなあ・・・・
 もうちょっと根性を持とうよ
 これからずっとまだ生きていくんだけどさ
 自分を励ましてくれるのは過去の自分だけだよ
 みんな援交(援助交際)やってたけど自分はやらなかった
 これは、すごい自信になるんだよ
 
 みんな銭ほしがってたけど
 俺は銭よりも友情を選んだ
 それだけだよ
 俺はあんとき19歳だったけれど
 しっかり行動したっていうのを過去に持っておくと
 それがあなたが30(歳)になっても40(歳)になっても励ましてくれるんだよ
 一点だけ自分の十代の中にかっこいいことを一つやっておくと
 かっこいい自分がずっと横にいてな
 一生肩をたたいてくれるぜ

という話です。この話は、 昨年(2009年8月18日)の「人性が変わる1分間の深イイ話」の名言No.1になったもので、今も YouTube で流されていました。

 「自分を励ましてくれるのは、自分の過去だけである」

忘れていました深イイ話を。
 深イイ話はたくさんあります。それを深イイ話にするかは、受ける自分です。

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精神分析を受けにきた神の話(No.1)

2010年07月30日 | 宗教

 辻元議員が社民党を離党した報道を聞き、その後の社民党が民主党政権から離脱する際に辻元議員にまったくそのことが知らされていなかったことを知り、あの時の役職から去る際の涙の意味が解りました。

 政治哲学や政治思想に共感し、社民党にいたわけではなく、単にそれだけのことだったということです。その点福島党首は信念が座っています。理念なき「辺野古」の連発でした。しかしその「辺野古」も今は全く聞かれません。

 今は国会議員に支払われる、信じられない報酬問題で、選挙前には暗黙の裡に、不自然な税金の無駄使いはなくなるものと信じていましたが、現実は貪の姿が公然と出てきました。

 貪は金銭だけではなく、役職も脱税も当然含むものです。何となくこんな議員さんならばいいなあ、とみんなが抱く理想像は、そもそも我々にあって、他者である議員さんにもあるのか、ジャスティス、正義はだれが決めるのか、神のみぞ知る世界なのか、本当に不思議です。

 神という言葉が今朝は出てきました。数日前のブログで精神科医を訪ねる神の小説の話をちらっとしました。

 自分を神と主張するガブリエル。診察室を訪ねてきたときに精神科医は、ガブリエルが市井の一個人たる自分が全知全能の神を助けられると思ったのか、彼に質問した時の答えが、

 「精神科医はだれでも利用できます。それは神も例外ではありません」

がその答えで、この即答に私は感動しついその時のブログの題名にしてしまいました。
 この小説は、マイケル・アダムスという精神科医がこれまでの診療経験を踏まえながら書いた小説です(青土社)。

 診察ごとにセクションで分かれ書かれ、その神ガブリエル(ゲーブ)なる人物像が明らかにされていきます。

 今朝は、セクション2、二回目の診察に訪れた時の話から印象に残る、精神科医とゲーブの会話を紹介しようと思います。

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(同書p36~p40から)

※ 精神科医(リチャード)は、ゲーブに尋ねます。

 「では、誰がこの宇宙を創造したのだね?」
 「それは君が私にしてはいけない質問の一つだ。この質問は私自身の手に余る質問だ。神である私も我々が住む物理的な世界を誰が創造したのかを知らない。これが真実だ」
 
 じゃあ、神は全ての質問に答えられるわけではないのだな? と私は思った。
 
 「私は神を冒涜している訳じゃないよ、ゲーブ。だが君が宇宙の究極の創造者でないとすれば、君はなぜ神であり得るんだね?」と私は言った。
 
 「じゃあ、宇宙の創造者は一人だけだという考えはどこから来るのかね? 私は未だ答がない不明解なことにも満足する。私にとって質問に答がないことは問題ではない。私は解決できない謎にも別に不愉快は感じないのだ」
 
 「じゃあ、君を疲れさすこととは何だね?」
 
 「その質問に答える前に説明しておきたいことがある。人間の生活には、完全に精神世界に属していて完全に物質世界から切り離されている側面が絶対にある。だが、このことは肯定する必要もないし否定する必要もない。大半の人々は頭では否定している場合でも直感的にこのことを認識している。信仰の危機はこれとは全く別の問題だ。さしあたり私がこの精神世界の筋道を示そう。君はその道筋について来てくれ」

 「ああ、そうしよう」
 
 「神である私には自分がフォローすべき何十億の人々の人生がある。過去に生きた人々、現在に生きる人々、そして未来に生きるだろう人々の人生だ。歯車がうまくかみ合っているときは、何事もそうでないときより容易だ。だが常に安定して歓喜に満ちた生活などというものがあるのだろうか? 私は数多くの重荷を背負っているし、時として燃え尽きる」 
        
 「君は、あらゆる人間に起きることのあらゆる詳細を知っているのかい?」
 
 「ある特定のことに注意を絞ったり、あるいはそのような詳細が自分の注意を惹く場合は知ることになるが、そうでない場合は細かいことの一つ一つを追跡することはしない。私はもっと大きなことに注意を向ける。つまり、ある人間の生活を物理的、精神的に大きく変える出来事にもっと注意を向けるのだ。だが人間の心には『表』と『裏』というものがあるんだ。これは精神科医として君自身がしていることを思い浮かべれば分かることだ。君のところに釆て『先生、私は、他の人間が私よりもずっと不幸であることを知っています。私の生活は他の人間のそれより祝福されています。しかし……』などと言う人間が何人いるだろうか……」
 
 ゲーブの言うことは勿論正しい。もうとっくの昔のことだが、私は、人が話の途中で「しかし……」と言った後に本音が出てくることを学んだ。私はゲーブに同意して、
 
 「時として人間は自分がしていることにひたすら集中し、周りのことを何も考えない。これは事実だ。これは人間の本性から消し去ることが困難な、自己中心的な考え方であり」我々が日常経験しているところだ。だがそれは善でもなければ悪でもなく、『現実』だ。我々は微妙に結ばれている反面切り離されているんだ。これも一つのバラドックスだね」
 
と言ってゲーブの意見を求めた。
 「ゲーブ、君の考えはどうだい?」
 
 「前にも言ったが私は疲れ易い。問題を抱え込むと私は消耗するんだ」
 
 「君はどうやって疲労を回復するんだい?」
 
 「疲労回復には二、三、方法がある。自然に回復するのを待つこと、他人の善行を見ることなどだ。神である私は人間の個々人が如何に自分の才能を生かしているかに大きな関心を持っている。人間は誰でも自分独自の才能を持っているからだ。このような個々人の才能が日常生活で他の人間達の生活を豊かにするのを見ることは嬉しいものだ。私が失望するのは、避けることが可能な大量の苦しみを目にするときだ」
 
 ゲーブは私の目を真っ直ぐに見て訊いた。
 
 「神である私を最も落胆させるのは何だと思う?」
 
 「何だい?」私は訊いた。
 
 「貧困なリーダーシップ、誤ったリーダーシップだよ。権力の座にある人間達は他の人間達の生活にとてつもなく大きな影響力を振るう」
 
 「それは政治的な問題だな」
 
 「これは現実にもそうなんだが、政治とは少数の人間の意思が多数の人間の意思を支配することだと考えるならば、私は政治的な存在だ」
 
 これはさらに時間をかけて話す価値のある話題だった。宗教、政治のことを議論すると道を踏み迷う精神科医は多い。だが、その踏み迷った道の中にこそ問題解決のカギが潜んでいるかもしれないのだ。
 
 「じゃあ、誰が貧困なリーダーシップや誤ったリーダーシップを見分けるんだい? それに見分け方はその人その人の信ずるところによって違うんじゃないのかい?」
 
 「物事はすべて我々個々人にとって自分が信ずるようなかたちで存在するものなんだ。つまりその人間が教え込まれた考え方、身につけた考え方のとおりに存在するものなんだよ。自分自身の力で物事を考える人は多い。だが人々が初めて直に接したと思っている考え方も、現実社会に広まる前に既に人為的に加工されているんだ。リチャード、真の指導者、特に現代を生きる指導者は知識の流れの監視人だ」
 
 「それはどういう意味だい?」
 
 「人々は外部から与えられたものをそのまま咀嚼する。だから、優秀な指導者は人間性の善を伸ばす知識を人々に与えて善を推進し、反対に貧困な指導者は自分が曲解した価値観、あるいは不適切な価値観を人々に与えてそれらを推進するのだ」
 
 「じゃあ、最善の指導者は誰が決めるんだい?」
 
 「君を含めた社会のあらゆる構成員だ。変化はまずミクロのレベルで起きなければならない。そしてそれが徐々に加速度をつける。そして我々は自分達が知らないうちに一歩前進していたり逆に一歩後退したりしているものなのだ。だがこの世の中で現実に起きている事態の多くは単純な同意の結果に過ぎないんだ、リチャード。我々はこれはこうだ、あれはああだとすぐに一括して大雑把に同意してしまうからね」 
 
 ゲーブは続けた。
 
 「政治力とは、他人に影響を与えて、他人が自発的にはしない何かをやらせる能力のことだ。だが政治とは単に思想だけの問題じゃない。政治は、世界の人間全体、あるいは少なくとも世界の一部の人間の経験のしかたを終局的に変えてしまうからね。私のように世界で起きている全てのことが見えると、特定の少数の人間が権力の頂点にいるのを見て胸がむかつくよ」
 
 私は、この時初めて、ゲーブの言葉に私の内部を突き動かすものを微かに感じた。私は今までこれを待っていたのだ! なぜならこの言葉の直前までのゲーブの話しぶりは極めて分析的で、言葉の背後の「感情」は全く影を潜めていたからだ。私は格別強くその誘惑に駆られていたわけではない。だがゲーブをもっと刺激してみようと思った。
 
 「君の言い方は何かに怒っているみたいだね」と私は言った。
 
 「いや、怒っているというより不快になっている」
 
 「じゃあ、『君は怒っていた』と言ったほうが良いのかな?」
 
 「リチヤード、私はこのゲームの粗筋を知っているよ」ゲーブはニッコリ笑って言った。
 
 「さて、今日はこれでタイムアップだな」
 
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 これは二回目の診察時の会話ですが、こういう話が好きな人にはたまりません。精神科医リチャードが本物ではなくゲーブは妄想者なんだと、特定しようと一生懸命になります。

 精神障碍者なのか聖人なのか、世の中には似た現実があります。見極めるのは精神科医ではなく、凡夫である我々です。

 今後もセクションごとに印象的な神(?)の言葉を紹介しようと思います。

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「風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ」

2010年07月29日 | 宗教

         (写真:『般若心経絵本』(作諸橋精光 小学館)から

  千葉法務大臣が、死刑執行の現場に立ち会いその後インタビューに答えるその姿が、テレビに映し出されていました。

 あまりにも残酷な話で、よく平然と報道側が報道できることにも疑問に思います。執行された死刑員、普通ならば1分程度の放送で終了されるのに、死刑制度反対論者の道具とされてしまいました。

 私は許可はしないと、拒んでいた人が学生時代の集団破壊活動、火炎ビン闘争さながらの、正当性の履き違いをしているようです。

 一見正しい主張のようでも、裏に隠れた蛮行がある、オイルライターを子供の背中にかけ火をつける親、何のためにその蛮行を行うのか、なぜこのようなことができるのか。

 人の姿から判断から判断してはいけませんが、千葉法務大臣は平然と淡々とその行為を語り、金髪に頭を染める親は平然と「知らない」と答える。

 今朝は、昨日の出来事を思い次のような話をしようと思います。

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 宗教の世界に身をおいて「性善説」「性悪説」を語るとなると、愚かなことと指摘されてしまいます。宗教の世界は根源悪の自覚を出発点にして人間として生きることが前提だからです。

 悪は罪である。エデンの園を追放されたアダムとイブ、その罪を受け継いでいるのが人間であるとする自覚。キリスト教でいう原罪があります。

 これが仏教になると無明であり、自覚の明るさがない、我執を野放しにした状態ということです。

 しかし宗教の世界を離れて、乳児を見ます。「いない、いないバー」で微笑む乳飲み子。微笑みの中で、乳の匂いを漂わせる乳児に、どんな原罪があり、無明があるのでしょうか。

 またまったく異なる視点から考えてみます。近代的なものの考え方を中心にして、原罪や無明を考えると、精神病理学的な現象と解されて否定されてしまい、現代ではさらに高度な科学的な分析がなされています。

 このように考えると 聖人の説かれる教えは、場の教えです。場の教えとはそこにいる言葉を知り、理解できる立場にある者にする説教であるということです。

 そのことをまた考えると、聞く耳を持ち、ありがたく聞くことのできる人間には、ほとんど無意味な教えのように思います。要するに罪に陥りやすい人間に対する教えということです。

 万人にはその傾向があるとなると、説く人間もその原罪を背負っていることになります。

 いま「いない、いないバー」で微笑む乳飲み子の話をしました。先日ラジオ番組でこの話を聞きました。

 万人、世界のどこの国の子供でも、どんな宗派の子供でも、どんな民族に属していようが、「いない、いないバー」で笑わない子供はいないのだそうです。科学的にも証明されていない不思議な現象なのだそうです。

 また繰り返してしまいますが、乳飲み子の、このケタケタ笑に、どんな原罪がありましょう。またどんな無明を語ればよいのでしょうか。そして、この笑いに言い知れぬ平穏を感じる人間にどんな罪があるのでしょう。

 この笑いを持たしてくれた父母がいれば、罪を背負うことはないように思います。

 とここまで話して、今朝は仏教学者の紀野一義先生の「わが名を呼びてたまわれ」という文章を紹介したいと思います。

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『いのちの風光』(筑摩書房p89~p91から)

第三章 真実の自己を求めて

 わが名を呼びてたまはれ
 
 わたしの好きな詩人三好達治に「わが名を呼びて」という名詩がある。この詩人の詩は、わたしどもに日本語の美しさを徹底的に教えてくれる。三好達治の詩というと、きれいな、センチメンタルな詩だという風に単純に考えている人が多いようであるが、そんなことはない。この詩人は、自分の持っている人間性とか、深い思想を、きわめて少ない、選(え)りすぐった美しいことばに托して歌った。あまりにことばが少ないので、分りにくいのかも知れぬ。
             
 この詩人は、雲門が「十五日己前(いぜん)は汝に問わず」と言ったその「十五日己前」が「十五日己後」にいかに重く、いかに強く生きてはたらいているかを歌った。「十五日己前」が悟りに至る前の迷いの世界であるとすると、その迷いの世界のもう一つ前にある世界、人間の意識がはたらくその奥にある遠い世界から来る呼び声に、耳をかたむけて、こう歌い出したのである。


  わが名をよびて
  わが名をよびてたまはれ
  いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
  あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
  風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
  庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
  ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
  よびてたまはれ
  わが名をよびてたまはれ

 ちょっと見るとなんでもないように見えて、実はなかなか大変なことが歌われている詩ではないかと思う。詩人が「わが名をよびてたまはれ」と呼びかけている相手は、誰であろうか。わたしたちが最初に思い浮かべる相手は、母である。「いとけなき日のよび名もて」というのであるから、それはたしかに母に向かって呼びかけているのに違いない。
 
 しかし、それだけであろうか。「いとけなき日」ということをもっとよく考えてみよう。それは「幼い頃」ということである。その頃はまだ迷いも知らず、苦しみも悲しみも知らず、せつなさも知らない。そんな頃である。ほんとうの意味の深刻な迷いのはじまらない幼な子の頃、その頃の子供は、人の子というよりも仏の子である。仏の子であった頃の呼び名で呼んでくれということは、仏の子の心を今のわたしに呼びさましてくれということかも知れぬ。
                             
 「風のふく日のとほくより」という。風は時間の通りすぎる跫音(あしおと)。「風のふく日のとほくより」とは、遠い遠い昔から、ということになる。遠い遠い永劫(えいごう)の過去から、母の、その前の母の、そのまた前の母の、ずーっと、ずーっと昔の遠い遠い、長い長い母の連鎖。その一番遠い昔に「仏の願い」というものがあるのかも知れぬ。そこから来る呼び。迷いも悟りも、世代も飛び超えたはるかあなたから来る仏の呼び声に詩人は耳を澄ませ、訴えているかのようにわたしには思える。

 ひとが南無阿弥陀仏と称え、南無妙法蓮華経と唱えずにはいられなかった世界を、詩人は「風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ」というのである。
 
 ここには迷いもない。悟りもない。ただ無心にはるかなるものへ訴え、呼びかける祈りのような歌がある。こういう、せつないまでに無心な呼びかけに、仏の声が返って来ないはずはないだろうと、わたしは思わずにはいられぬ。

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 心にそっと流れる一陣の風のような文章です。風光、風の光、そんな光や風があるわけではありませんが、どこから来るのかわかりませんが、そっと来て通り過ぎる光です。

 通り過ぎる光でありながら、しっかり照らしてくれる光でもあると思いますが、受け取る側に受け取る心がなければなりません。

 子供に対する虐待、報道されるとどこでも起こっているような錯覚に陥りますが、多数の人は虐待などはしないのです。

 ある日、幼き頃に「いない、いないバー」で微笑みを、母は誘ってくれたからだろうと思います。その母もまたその母も。

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精神科医はだれでも利用できます。それは神も例外ではありません。

2010年07月28日 | 仏教

  最近の原始仏教典のブログに、チャンキー経の言葉が引用されていました。「その宗教の信者になる前に、「一般」人は何をすべきか?」について書かれており、真理を悟ることについて、バーラドゥヴァージャは、「真理を守るためは」とゴータマに質問します。すると、人には心を占領するものがあることからと、丁寧にゴータマは説明されていきます。

 とても分かりやすく説明される中で、この経をさらに読み進めると「真理の獲得に役立つものは何がありますか」という質問があります。今朝は、この質問に対するゴーダマのお答えを紹介したいと思います。

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原始仏教典第6巻(中部経典Ⅲ・春秋社)p353~p357から

※この経典は、言葉の繰り返しがありますが、そのまま手を加えずに紹介します。なお「真理の獲得」についての説明後の文章となります。

〔真理の獲得に役立つものとは〕

 「ゴータマさん、こういうことが真理の獲得です。こういうことが真理を獲得するということです。そしてわたしはこういうことが真理の獲得であると見ます。ところでゴータマさん、真理の獲得のためにはなにが役に立ちますか。わたしはゴータマさんに真理の獲得のために役立つものを質問します」
 
 「パーラドゥヴァージャよ、真理の獲得のために役立つものは、一所懸命行なうことである。もし一所懸命行なわなければ、真理を獲得することはないであろう。じつに一所懸命行なうから真理を獲得するのである。だから、真理の獲得のために役立つものは一所懸命行なうことである」
 
 「ゴークマさん、それでは一所懸命行なうことのために役立つものはなにですか。わたしはゴータマさんに一所懸命行なうことのために役立つものを質問します」
 
「バーラドゥヴァージャよ、じつに、一所懸命行なうことのために役立つものは熟考することである。もし熟考しなければ一所懸命行なうことはないであろう。熟考するから一所懸命行なうのである。だから、一所懸命行なうことのために役立つものは熟考することである」

 「ゴータマさん、それでは熟考することのために役立つものはなにですか。わたしはゴータマさんに熟考することのために役立つものを質問します」
 
 「バーラドゥヴァージャよ、じつに、熟考することのために役立つものは、敢行することである。もし敢行しなければ熟考することはないであろう。敢行するから熟考するのである。だから、熟考することのために役立つものは、敢行することである」
 
 「ゴータマさん、それでは敢行することのために役立つものはなんですか。わたしはゴータマさんに敢行することのために役立つものを質問します」

 「バーラドゥヴァージャよ、じつに敢行することのために役立つものは、意欲である。もし、意欲が生じなければ敢行することはないであろう。意欲が生じるから敢行するのである。だから、敢行することのために役立つものは、意欲である」
 
 「ゴータマさん、それでは意欲のために役立つものはなんですか。[175]わたしはゴータマさんに意欲のために役立つものを質問します」
 
 「バーラドゥヴァージャよ、じつに意欲のために役立つものは、教えをよろこんで認めることである。もし、教えをよろこんで認めなければ意欲は生じないであろう。教えをよろこんで認めるから意欲が生じるのである。だから、意欲のために役立つものは、教えをよろこんで認めることである」
 
 「ゴータマさん、それでは教えをよろこんで認めることのために役立つものはなんですか。わたしはゴータマさんに教えをよろこんで認めることのために役立つものを質問します」
 
「バーラドゥヴァージャよ、じつに教えをよろこんで認めることのために役立つものは、意味を考えることである。もし、意味を考えなければ教えをよろこんで認めることはないであろう。意味を考えるから、教えはよろこんで認められるのである。だから、教えをよろこんで認めることのために役立つものは、意味を考えることである」

 「ゴータマさん、それでは意味を考えることのために役立つものはなんですか。わたしはゴークマさんに意味を考えることのために役立つものを質問します」

 「バーラドゥヴァージャよ、じつに意味を考えることのために役立つものは、教えを保持することである。もし、教えを保持しなければ意味を考えることはないであろう。教えを保持するから意味を考えるのである。だから、意味を考えることのために役立つものは、教えを保持することである」
 
 「ゴータマさん、それでは教えを保持することのために役立つものはなんですか。私はゴータマさんに教えを保持することのために役立つものを質問します」

 「バーラドゥヴァージャよ、じつに教えを保持することのために役立つものは、教えを聞くことである。もし、教えを聞かなければ教えを保持することはないであろう。〔教えを聞くから〕教えを保持するのである。だから、教えを保持することのために役立つものは、教えを聞くことである」
 
 「ゴータマさん、それでは教えを聞くことのために役立つものはなんですか。わたしはゴータマさんに教えを聞くことのために役立つものを質問します」
 
 「バーラドゥヴァージャよ、じつに、教えを聞くことのために役立つものは、耳を傾けることである。[176]もし、耳を傾けなければ教えを聞くことはないであろう。耳を傾けるから教えを聞くのである。だから、教えを聞くことのために役立つものは、耳を傾けることである」
  
 「ゴータマさん、それでは耳を傾けることのために役立つものはなんですか。わたしはゴータマさんに耳を傾けることのために役立つものを質問します」
 
 「バーラドゥヴァージャよ、じつに、耳を傾けることのために役立つものは、尊敬することである。もし、尊敬しなければ耳を傾けることはないであろう。尊敬するから耳を傾けるのである。だから、耳を傾けることのために役立つものは、尊敬することである」
 
 「ゴータマさん、それでは尊敬することのために役立つものはなんですか。わたしはゴータマさんに尊敬することのために役立つものを質問します」
 
 「バーラドゥヴァージャよ、じつに、尊敬することのために役立つものは、近づいて行くことである。もし、近づいて行かなければ尊敬することはないであろう。近づいて行くから尊敬するのである。だから、尊敬することのために役立つものは、近づいて行くことである」
 
 「ゴータマさん、それでは近づいて行くことのために役立つものはなんですか。わたしはゴータマさんに近づいて行くことのために役立つものを質問します」
 
 「バーラドゥヴァージャよ、じつに、近づいて行くことのために役立つものは、信じることである。もし、信が生じなければ近づいて行くことはないであろう。信が生じるから近づいて行くのである。だから、近づいて行くことのために役立つものは、信じることである」

 
 「わたしはゴータマさんに真理を守ることについて質問しました。〔すると〕ゴータマさんは真理を守ることについて答えました。そしてわたしはそれを喜び、認め、わたしはそれに満足しています。わたしはゴータマさんに真理を覚ることについて質問しました。

 〔すると〕ゴータマさんは真理を覚ることについて答えました。そしてわたしはそれを
喜び、認め、わたしはそれに満足しています。わたしはゴータマさんに真理を獲得することについて質問しました。

 〔すると〕ゴータマざんは真理を獲得することについて答えました。そしてわたしはそれを喜び、認め、わたしはそれに満足しています。
 
 わたしはゴータマさんに真理の獲得のために役立つものについて[177]質問しました。
 
 〔すると〕ゴータマさんは真理の獲得のために役立つものについて答えました。そしてわたしはそれを喜び、認め、わたしはそれに満足しています。わたしがゴータマさんに質問したものすべてについてゴータマさんは答えました。そしてわたしはそれを喜び、認め、わたしはそれに満足しています。
 
 しかし、ゴータマさんは修行者たちに対する修行者の愛情、修行者たちに対する修行者の清らかな心、そして修行者たちに対する修行者の尊敬をわたしに生じさせました。
 
 ゴークマさん、すばらしいことです。ゴータマさん、すばらしいことです。〔わたしはゴータマ尊師に帰依いたします。また真理(教え)と修行僧の集まりに帰依いたします。〕ゴータマ尊師はわたしを在俗信者として受け入れてください。今日以後、命の続く限り帰依いたします」


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 長い引用ですが、原初的な細かな説明をされている文章で、私の好きな箇所です。正しい師は、熟考、敢行、意欲、認める(理解)、保持・・・する心について回ります。

 『「精神分析を受けにきた神の話』という小説があります。精神病理学者マイケル・アダムスの書かれた本(青土社)です。

 何かに悩めるガブリエルという自称の神は、精神科医の「なぜ精神科医を訪ねてきたのですか」という質問に、

「精神科医はだれでも利用できます。それは神も例外ではありません」

と答えます。世の中には本当に神と自称するものを信じる人がいます。本当はその神も例外ではないのですが、正しい熟考、敢行、意欲の素養がないと、自分も例外でないことも判らなくなってしまいます。

 ということで、今朝は原始仏教典のチャンキー経のブログを読んでいて、はたと気が付き紹介することにしました。

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 なをコメントの中に数式的な論理学調のものを何回も送られてくる方がおられます。この機会に公開することにしました。何を言いたいのかわかるのですが、私に対する質問なのか?


大人になって忘れているもの

2010年07月27日 | 哲学

 8月の上旬に、西田幾多郎の『善の研究』関係の講演会があるので、最近は遠ざかっていた西田哲学関係の本を読んでいます。

 ブログの世界では、現在西田哲学関係はどのような状況にあるのか gooo Rssリーダー で「西田幾多郎、西谷啓治、上田閑照、小坂国継」をキーワードで検索してみると、ある程度、専門家ではない一般の方がどの程度西田哲学に興味を持たれているかがわかります。

 「西田幾多郎」になるとやはり誰かしか毎日言及する人がおり、何となく安心を感じています。現在一般的な哲学書を読んでも西田哲学に言及する本はあまりありません。どうしても西洋哲学が中心で、それを発展解釈するような形になっています。

 仏教、哲学などを勉強し、西田幾多郎の世界も知るようになるとどうしても禅の世界と重なるとして、そのことに言及したくなります。

 しかし仏教はそもそも仏教であって、禅はその場所があり、それは学問の場ではないわけで、哲学者が善に言及しながらあたかも悟りの境地を得たように、論述するのは仏教の専門家からするとまったく論外の話になります。

 そういうことを知っておかないと、場違いな話になりますので、あくまでも哲学の世界に身を置いた時の話であることをはじめに宣言しておきます。

 西田哲学は、前から勉強していますが、最近というよりも2・3日前には上田閑照先生の著書を利用して、ブログで書きました。それよりもはるか以前に信州教育では知らない人はいない先生、片岡仁志先生の『禅と教育』(燈影舎)を利用して西田哲学を書いたことがあります。その当時は理解したようなつもりで書いていましたが、今になれば恥ずかしい限りです。

 西田幾多郎先生と直接対話し勉学した人の理解は、西田哲学に最も近いのであって、よく専門家の書かれた解説本を批判的に書かれる方がおられます。自分の理解からそのような結論がなされるのならそれでよいかもしれませんが、これから学びたいと思う人にはいかがなものかと思います。

 ということで、今朝は改めて片岡先生の上記の『禅と教育』から次の文章を紹介したいと思います。

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上記書p152~p156から


 西田幾多郎先生の全集が出ていますから、読んだ方もおられると思いますが、あの日記を御覧になってよくわかるでしょう。いかに先生があの哲学的労作を発表される以前に、体験の上で苦心惨憺をなさったか、まことに血涙をしぽるような自己検討というか、体験的な自己究明というふうなものに没頭されたかということがよく出ていると思います。
 
 朝起きては打坐、夜も打坐、一時二時に至るまで坐禅三昧にふけりながら、暇があれぱ寺へ行って坐禅を組むというふうにして、ずいぶん坐禅だけをなさっている。そうしてあの日記の中には、この体験を通して、自分が真に実在というものを掴むことができたなら、もうこれでいいのだ。
 
 そのほかは、世界の諸哲学を研究して、それらの哲学的なものをもって、この自分の得た体験を表現していく、それを世に現わしていけばいいのだ。このような確信を日記の中でも言っておられます。

 実際に「純粋経験」がもとになって『善の研究』に見られるような最初の哲学体系を立てる。それをさらに吟味し、いっそう現実的な反省が加えられるところに、「絶対矛盾の自己同一」を原理とする弁証法的な論理が、実在の論理として生み出されて来て、それをもって万般の文化的歴史的杜会の諸問題を理論的に検討していったということが、西田哲学のありさまです。
 
 この「絶対矛盾の自己同一」というようなことでも、これは本当に皆がやっていることで、平生やっていながら、それに実際は気がつかないでいるようなものです。
 
 たとえば「柳は緑、花は紅」というようなことは、禅宗の坊さんがよく使う言葉であるし、だれでもがそういうことを言っているのですが、「柳は緑、花は紅」ということは、実は「絶対矛盾の自己同一」を言い表わしています。柳は柳で絶対に独立の実在だし、花は花で絶対に独立の実在で、花と柳というものは、これはおのおの絶対に違うものです。絶対に違うものでありながら、それが互いに通じ合う、そういう一つの実在が、世の中にあります。
 
 こういうことは、実際われわれ自身が本当に無心な状態になって、そして現実の万象に対するならば、おのずからわかってきます。たとえば主観と客観という問題にしても、主観は絶対に独立の主観であり、客観は絶対に独立の客観です。しかも絶対に相通うところない対立です。
 
 よく男と女というものは永遠に交わらざる平行線だというようなことを言うが、本当にみな独立体としてみると、どこにも繋がりがりようがない、深い谷間を隔てた対立なのです。そういう対立でありながら、その二つが何の苦もなく通い合っているのです。
 
 そういうことは、たとえば『善の研究』の中では「純粋経験」、主観も客観もない、主観客観が一体になる経験、純粋な主客一如の経験と言われていす。まあ言ってみれば、こういうものは、子供の経験のようなものであり、子供の経験はちようどこの「純粋経験」のようなものでしょう。ものをみるとき、我が無いのですから。ものをみるとき、子供は、ものになってものをみている。鳥を見れば、自分が鳥になって鳥が見えてくる。親を見るなら親が自分になって見えてくるといったように、本当に無心、無我な子供のように見るならぱ、すべて一種の「純粋経験」というようなものなのです。
 
 そういう「純粋経験」は、ただ子供の時代だげにあるのではなくて、大人になっても、実際はそういうものが根底にありす。しかし、だんだん大人になると、意識の働きが複雑な分化対立をしてくるから、直観的な意識でなくなって、感覚、知覚と、思惟作用、考える作用、とか、悟性とか理性とかいうような働きとして分化し、互いに対立するような一種の複雑な発展をとげてくる。そういう複雑な意識の働きだげに追いまわされていると、その根底にあって、かつて子供の時分には誰でもが皆持っていた、この「純粋経験」の状態というようなものが、大人になるとすっかり忘れ去られています。
 
 大人は忘れ去っていても、人間の生命の働きというものの根底は、常にそういうものを土台に持っており、気がつかなくてもやっているのです。気がつかなくてやっているそういうことを、大人が自分であらためて自覚をするということがむずかしいのです。実際は、やっていないのではない、無意識にやっているのですが、その無意識にやっていることを、複雑な意識の持ち主になった大人になってから、なお現在も、そういう働きを自分がやりつつあるということに気がつくことが大変むずかしい。
 
 そのようなことが、哲学などの深い、絶対の原理というようなものの把握のむずかしさなのであって、それはなにも理論のむずかしさとかいうことではない。気がつく方向が逆になってしまうから、前へ前へとばかり意識が進んでいく習慣ができあがってしまい、それをもとへもどして、振り返って見直すということが、なかなかできにくい。そういうところにむずかしさがあります。
 
 しかし、今いっぺんそういうことに気がついて、本当に子供の無心と同じように、自分自身というものの本性に立ち返ってみることができるならぱ、再びそういうものをはっきりと、体験し直すことができるのです。

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いつもの長い引用となりますが、私見を入れて解釈する力量はありませんが、片岡先生の言わんと知り所がよくわかります。

 当然片岡先生の論は、その心底において上田閑静照先生の論とは矛盾するものではありません。

 信州教育に多大な影響を与えた先生には、なぜか禅に関係する先生方が多くおられます。時々言及する国語学者の西尾実先生もそうです。そういう先生は皆。故人になってしまいました。

 今日の題名は「禅と教育」とはしません。そもそも禅と教育は異なるものだと教えられ納得しているからです。ではなぜ今日のブログで言及するかは、知らないよりは知っておいた方がよいということです。

 西田哲学の学び方、そういう視点に立つと、理解の参考にということです。

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自然そのものにひそむ聖性

2010年07月26日 | 哲学

 中央大学名誉教授の哲学者木田元先生といえば、哲学好きな人ならば必ずその著書を何冊か読まれているかと思います。

 木田先生の人生論は、『新人生論ノート』(集英社新書)などもありますが、宗教心、宗教についてのお考えを端的に書かれた文章が、2007年版文藝春秋季刊号『心の時代を生きる』に書かれていて、哲学的自然観がよくわかりますので、今朝輪その文章を紹介したいと思います。

 先生は満州の生まれで、帰国後の話から引用させていただきます。

 敗戦直前、十六歳のとき、物ごころついてはじめて日本に渡ってきて、わけも分からず混乱期の日本にまぎれこんでしまった。いきなり東京などに住みつかず、戦後の四年間を両親の郷里の山形県で、豊かな自然に包まれて暮らすことのできたのが、あとで考えてみると、いかにも好運だったと思えてくる。

 その山形県で、まかり間違って農林専門学校などに迷いこみ、そこでも筋違いのドストエフスキーの小説にのめりこんでしまった。その続きのようにしてキルケゴールの『死に至る病』に読みふけった揚句、なんとしてもハイデガーという哲学者の書いた『存在と時間』という本を読まずにはすまされない気持になって、二十一歳にもなってから東北大学に入り、哲学の勉強をはじめたのである。
 
 そのころ宗教といわばすれ違ったことになりそうだが、キルケゴールが彼のいわゆる「死に至る病」、つまり絶望を論じながら信仰の問題に導いていってくれるのについていけず、無神論を標榜するハイデガーに逃げこんだくらいだから話にならない。
 
 自分には、超越的なものを感得する力が欠けていることに思いあたってもいた。それっきり宗教とは無縁に生きてきたが、五十歳を過ぎ、親しい友人に死なれたりしているうちに、時折自分のなかでもある種の宗教的感情のうごめくのに気づくようになった。それが、超越的な人格神などにではなく、自然そのものにひそむ聖性のようなものに感応する性質のものだということにもなんとなく気づいてはいた。
 
 その後あれこれ考えているうちに、どうやら私の感じているものは、すべてのものを「葦牙(あしかび)の如(ごと)く萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成る」と見て、その生成の原理を「ムスヒ」(草ヒムス・苔ムスのムス+原理)と呼んだ、『古事記』の古層などにうかがわれる古代の日本人の自然観に近いものらしいということに思いあたった。

 これを、後世の教派神道や、まして国家神道などとはまったく無縁なアニミズム的自然崇拝といった程度の意味で「神道」と呼んでよければ、私のなかでうごめく宗教的感情はこの神道に近いものζ言えそうだ。
 
 一方で私は、昔から二ーチェを読んでいた。この人は古典文献者として出発した人であり、最初ギリシア悲劇の成立史の研究をして、その成果を『悲劇の誕生』にまとめている。だが、それと並行して彼は、いわゆる「ソクラテス以前の思想家たち」の研究も推し進め、『ギリシア悲劇時代の哲学』という未完の草稿を遺している。
 
 この時代のギリシアの思想家たちは、一様に「自然(フユシス)について」という同じ題で本を書いたという伝承がある。当時のギリシア人にとっては、万物(タ・パンタ)がおのずから生成する生きた自然(フユシス)だと思われたらしい。
 
 〈自然(フユシス)〉という名詞の元になった〈フュエスタイ〉という動詞は、〈花ひらく〉〈芽生える〉〈発現してくる〉といった植物的生成の動きを名指す動詞だという。その生成の原理が〈フュシス〉であり、まさしく古代日本人の言う〈ムスヒ〉と等価な言葉である。
 
 そうした自然に包まれて生きていたギリシア人のもとに、永遠に生成も変化もしない〈イデア〉といったような超自然的原理をもちこんだのがプラトンであり、以後〈西洋〉の文化形成はプラトニズムによって支配されてきた、というのが二ーチェの見方であり、彼は古い生きた自然の概念を復権することによって、そうした文化形成の方向を転換しようと企てたのだが、それはいまはどうでもいい。
 
 古代の日本人やギリシア人に共通して見られるこうしたアニミスティックな自然観なら、私にも素直に受け容れられるし共感できる。歳もとり大病もして、いやでも死を意識せざるをえなくなってきたが、私とは、生きた大きな自然の流れのなかから個体化して立ち現われてきたものであり、死とは、時がきてその自分がふたたび元の流れに溶けこみ還っていくことなのだと考えると、比較的穏やかに自分の死を受けとめることができそうな気がしている。もっと死に間近に直面することになると、こんなとりすましたことも言っておれずじたばたしそうだが、いまのところは、こんなところが私の宗教的心情である。

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 木田先生は、1928年9月7日生まれです。3年ほど前の本ですのでそんなにお考えは変わらないと思いますが、哲学の多くを語る先生が語るところ、最終ではないかもしれませんが、同じ自然を語るに知れも重さを感じます。

 この短いエッセーには「自然そのものにひそむ聖性」と題名がつけられています。

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木漏れ日に思う

2010年07月25日 | ことば

 真夏日が続きます。今朝は地区にある無住職の真言宗正福寺の草刈りの共同作業をしてきました。20人近い人が集まり、檀家寺の関係なく作業を行いました。

 不動明王像が有名なお寺で、檀家の方の許可を得て中を拝見させていただきました。不動明王の掛け軸のほかに、絵解きで使い古されたと思われる涅槃像の掛け軸がありました。大きさは他の寺で見かける大きさですが、絵がはっきりと丁寧な筆使いで描かれていました。ところどころ虫食いや破れがありますが、感動の一幅でした。

 さて、こう暑いと木の陰で一休みします。すると次のようなことを思ってしまい帰宅後考えてみました。

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 夏の清涼感を誘う言葉に入るのではないかという言葉に「木漏れ日」というとても、流麗な言葉があります。淀みなくきれいな言葉という表現でいいのかわかりませんがとても素敵な言葉です。

 この言葉はやまと言葉ではなく、読んでそのままの意味です。木々の葉の間から太陽の光が地を照らしています。そうな情景が浮かびます。

 英語では、「sunbeams shining through branches of trees」「sunshine filtering through foliage」と言うのだそうです(研究社 新和英大辞典)。

 英語が得意でもなくても、その意味がよく理解できる表現です。英語ではとても長くなってしまいますが、日本語だとまるでひとつの「こもれび」というやまと言葉があるのではないかと思うほど端的に情感がイメージされます。

 日本語では、「こかげ(木陰)」で、「こがくれ(木隠)」「このくれ(木暗)・小暮)」「このしたかげ(木下陰)などの古語があり、最後の「このしたかげ」がそのものズバリ今日の「木漏れ日」に近いような気がします。

 専門家ならばもっと適切な表現を導き出せるかもしれませんが、素人の限界でそう結論します。

 そう考えてみますと、日本語は影を主体に感慨を構成し、英語は日の光に照らされた部分を感慨の主体にしているように思います。

 清涼感は、暗黒部分か、太陽の光が少ないことか、の視覚的な身体感覚に移ります。日本語の一般的な辞書では、先ほどのように「木の葉の間を通してさしこんでくる日光」と解説されていますが、感覚的には「こかげ」で、つくられる陰を感じているように思います。

 英語では、光が枝葉で分かれ至る、というような言葉の構成からして、陰には力点を置きません。

 このように日本語を見てゆくと、とても楽しくなってきます。この日本語は、あいまいだということを言われますし、漢字のように合理的ではありません。実にそのとおりかもしれません。

 日本人は単一民族ではなく、いろいろな国からこの列島に住みつくことになりました。 だから大和民族と言っても、もともとは違うのだよ、とよくいわれますが、なぜ木漏れ日の中には、木陰がイメージされるのか、その説明はできません。

 合理的でない日本語は、動的な情感で発せられる言葉、そんな気がして、日本人の不思議を感じます。

 これが韓国語になるとどうなるのかは解りませんが、現代中国語では「凉」「休息」という感じが入ってきます。

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法句経から哲学する思考

2010年07月25日 | 仏教

 ブックマークブログで法句経240番「錆(さび)は鉄より生ずれども その鉄を きずつくるがごとし」が紹介されていました。

 高瀬広居著『法句経からのメッセージ』(グラフ社)からの紹介でした。現代語訳は、

 錆びは鉄から生れてくる。しかも、錆びは鉄をくい破っていく。同じように道をふみはずした人は、自らの行為によって不幸を招く。

となっています。
 わかりやすい教えです。リアルに自分の心の動きを思い描きます。錆びが徹に現われ、表面だけでなく本体そのものをボロボロにしてゆきます。

 発掘される刀剣のように、刻印された文字も判読できなくなるほど原形を留めないほどに変形させる鉄の錆びです。

 中村元先生の『ブッダの真理の言葉・感興の言葉』(岩波文庫)の「真理のことば(ダンマパダ)では、後の偈は、

 徹から起こった錆が、そこから起こったのに、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪いところ(地獄)にみちびく。

と訳されています。
 この偈は、第18章の「汚れ」(235~255)の中の一つです。

 法句経の239は、今度は法句経で有名な、友松圓諦著『真理の詞華集 法句経』(講談社)では、

 工巧者(たくみ)の銀(しろがね)のさびを除くがごとく かしこき人は徐(おもむ)ろに 一つ一つ 刹那(せうな) 刹那(せつな)に おのれのけがれをのぞくべし

と書かれています。
 同じように、中村先生の「真理のことば」をみると

 聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、-----鍛冶工が銀の汚れ除くように。

と訳されています。

 一切の悪をなさず、善を行ひ、自己の心を清む。これ諸仏の教なり。

原始仏教の法句経の説くところが、非常に身につまされてわかりやすい教えを示す章です。

 諸仏の教えるところは、日々の反省により、自分を整えることが重要なことと理解しています。

 それには自律的に自律していなければなりません。自分で自分を整えるほど厳しいものはありません。

 江戸初期の鈴木正三の『麓草分(ふもとのくさわけ)』に

自己を離れて道なし。専ら自己に目を着けて本源を知るべし。仏界、魔界、是非善悪、万法総(すべ)て自己にあり。

 と説きます。

 生きるとは、自分とは、・・・・哲学的問いの結論の一つの言葉にも重なってゆくように思います。

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 上田閑照先生は、実在ということ、経験ということ、自己ということ、西田哲学の純粋経験の哲学はこの三つを一つに結び付けてゆく立場にある、といいます(『道を歩む』上田閑照講演会集 上水内哲学会200.5.16)。

 ヨーロッパの学問では、「実存とは何か」を問題にするのは形而上学。「見たり聞いたり」という実際の感覚、知覚を問題にするのは、経験論。そして「自己を問題にする」近代的な哲学的思考は実存哲学の世界です。

 形而上学は、経験論を超えて、経験論は形而上学をはっきり否定し、実存哲学は世界・自然から自己の内に帰ってという思考の仕方。

 分かれ分かれた考え方が、分裂に導いていくことにもなります。そんな点を指摘しながら上田閑照先生は西田哲学の道を説明しています。

 上記の法句経の言葉、この言葉は私の中でしっかり展開していきます。それもリアルに。

 純粋経験の初源は態は「色を見、音を聞く刹那」そこでは「未だ主もなく客もない」という有名な言葉があります。

 この意味は、それを超えて新しくもう一度現実の理解と、同時に現実のなかにある自覚、それを組みなおすという趣旨であるというのです(講演会論集)。

 ここまでくると「絶対矛盾的自己同一」というかの有名な言葉が、これもまたリアルに頭の中をかけめぐります。

 西洋哲学を知悉しようとしても、西田哲学が気にかかってしょうがないのは、私だけではないと思いますが、法句経の言葉から、今朝は改めて西田哲学のすごさを知った気がします。

 なお上田閑照(うえだしずてる)先生の著書は、読みにくいという言葉も聞かれますが、講演会は非常に理解しやすく納得することが多いことを付け加えておきます。

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「ハーバード白熱教室」の特集記事から

2010年07月24日 | 哲学

         ( サンデル教授 写真SAPIO 7/18・8/4号から)

 SAPIO 7/18・8/4号に「ハーバード白熱教室」の特集記事が掲載されていました。番組中の解説をされていた千葉大学の小林正弥教授が「解説者登場」ということでインタビューに放送の反響も含めた、サンデル・サンデル教授の政治哲学講義の魅力や大学における講義のあり方について述べられています。

 また、サンデル教授への直接インタビュー記事もあり、その人柄にとても惹かれていただけに、大変勉強になりました。ということで、そのインタビューの一部を紹介したいと思います。

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 記者の質問:あなたの講義「Justice(正義)」は、日本でも放送され、大きな反響を呼んでいる。その理由をどう分析していますか。

 サンデル教授:「講義でも私の著書でも、私が目標としているのは、学生たちを倫理探索の旅「Journey of Moral Exploration」にいざなうごとにある。
 
 現代社会においては、学生はもちろん一般市民も、直面する諾問題に絡んだ倫理とか価値観について真剣に議論することを渇望しているのではないか。
 
 私は講義や著書の中でまず、著名な哲学者たちの考え方について紹介し、説明している。しかし、学生にはそうした考え方について"自分で"検証するように勧めている。つまり倫理とは何か、正義とは何かをめぐって意見が分かれている事例に、哲学者たちの考え方を当てはめてみるように促しているのだ。
 
 学生や皆さんが私の講義を面白いと感じてくれるのは、こうすることで、大きな倫理上の命題に対する自分たちの答えを探り当てる絶好のチャンスになっているからだろうと思う。

こう答えています。考えること、自分の頭で思考する能力を使わなければ理解し、一番重要な自分の意見も持つことはできません。

 ただ授けてもらう授業は、当然知識として蓄積することはできても(個人差あり)応用力が問題です。特に倫理的な事柄になると、自己の価値観と照らし合わせながら、弁証的に自分の考えを発展させながらと、倫理上の命題を迷題のままにしない生きる姿勢も生まれてくるような気がします。


来月8月の来日日本版白熱教室に関係して、


 記者の質問:ご家族は、これだけ全米や日本などで有名になっていることについて、どう思っているのですか。
 
 サンデル教授:「私には、妻と2人の息子がいる。私は中西部ミネソタ州ミネアポリスで生まれ、幼年期をそこで過ごした後、13歳の時にロサンゼルスに家族と一緒に移り住み、高校までそこで通った。バスケットボールの大ファンだったし、今も週末にはバスケツトボールを楽しんでいる。高校を出て、マサチューセツツ州のブランダイス大学に進み、卒業と同時に英国のオックスフオォード大学院に留学、そこで政治哲学を専攻した。帰国後、ハーバード大学で教え始めた直後に妻のキク・アダットと知り合い、結婚したんだ。妻の名前は日本のような名前だが、彼女は日本人ではない。ただ、彼女の父親が米軍の歴史担当官で戦後日本に住んでいたことがあり、彼女は沖縄で生まれた。
 
 彼女の両親は、日本人に対し親近感を持つ、親日家だったこともあって、長女が生まれた時、日本名のキクと付けたのだそうだ。長男のアダムは、ハーバードを出て、現在オックスフォードで政治学を専攻している。次男のアロンは大学を卒業したばかりで、チンパンジー、モンキー、ゴリラ、キツネザルといった霊長類の研究をしている。
 
 妻も息子たちも、私が世界的に有名になってしまったということにはまったく無関心だが、家族はみんな、私がインドやオーストラリア、英国、中国、日本など世界各地で講演する時には付いてきてくれる。異なる国々を探索できる旅をみんなで楽しんでいるんだ」
 
 
 お子さんの話は、講義の中でも語られていて家庭的な人だなあーという印象を受けていました。奥さんがキクという名で日本の菊に由来する。二人の息子さんはそれぞれに専門的な学者さんに将来なるようです。

 子を持つ親の生きる姿勢を教えられるます。なんでもそうですが、1953年生まれ。
 最近ブログに書いた浄土真宗僧侶の菅原信隆住職も1953年生まれ。私よりほんのわずか年上ですが、考え方に雲泥の差を見せつけられます。

 しっかり勉強しなければなりません。と自戒しきりです。

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日本的近代人

2010年07月23日 | 哲学

          (写真:昨日の出勤時の常念岳です)

 連日の暑さで山の残雪はほとんどなくなりました。先週の連休から夏山に上る登山客も増え、落雪事故に遭遇しなくられた方も出ています。

 梅雨後の山、特に集中豪雨などの大雨の後の山は、沢の堆積する岩石の状態は不安定で、登山道は当然沢を利用しますので足元を注意しなければなりません。また斜面の上部からいつ落石があるかもわかりませんので、落石音には十分注意する必要があります。先を急ぐのではなく、ゆっくりと周辺の地形を観察しながら登る、これが今のシーズンの鉄則です。

 さて今朝の話になりますが、本当に朝鮮半島がきな臭いのか、単なる互いの政治的駆け引き、けん制なのか分かりませんが、朝鮮半島の戦争が起きても不思議でないような報道がされています。

 対韓航空機爆破事件の北朝鮮元工作員の来日、拉致被害者との面談が行われました。いまだに不法な拉致誘拐を継続している北朝鮮に対する制裁措置、平和外交が一番良いのでしょうが有効策は中国がこのような国を作り上げた責任を自覚し優秀な工作員を送り込み軌道修正を行うが一番ではないでしょうか。

 政局の不安定の中、憲法改正も活発になってきそうです。世界遺産的な憲法9条、イマジンの世界も持ってもらいたいのですが、きれいごとのみ、反米思想に裏打ちされた思想的背景の「国民は」的な「みんなのバカ」だけは論外にしてもらいたいものです。

 さて今朝は、群馬県上野村に住む哲学者内山節先生の『正常な精神』(信濃毎日新聞社版)から「日本的近代人」について紹介したいと思います。

 私は時々内山先生の思想を紹介しています。それは思考する機会を多く与えてくれるからです。正しいか正しくないか、それは個人がしっかり勉強し咀嚼するすることであって、与えられた以上自分の身体で消化してもらいたいものです。

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(同書p182~p184)

日本的近代人

 近代社会は、個人を基調とする社会としてつくられた。個人が一人一人バラバラになって生きる社会といってもよいし、個人の尊厳を大事にするという理念によってつくられた社会、と考えてもよいだろう。
 
 だが、近代以前の社会に個人が存在しなかったのか、といえばそうではない。たとえば平安時代に紫式部によって書かれた『源氏物語』をみてみよう。主人公の光源氏や登場人物たちは個人として描かれている。個人であるがゆえに生じてくるさまざまな苦悩や喜び、悲しさが、この小説の題材でもある。
 
 鴨長明の書いた『方丈記』も個人の苦悩が描かれている。ただしこちらは、「都」のシステムからはじきだされてしまった個人の苦悩で、自分を受け入れない「都」に対するうらみ、つらみが書かれている。個人の深い悲しみを表現していく『源氏物語』とくらべると、『方丈記』の個人は私には薄っぺらにみえる。個人としての存在のなかに苦悩があるのではなく、社会に受け入れてもらえない個人のいきどおりしか、この本からは読めないからである。
 
 そういう違いはあっても、『源氏物語』も『方丈記』も、個人として生きる人間の姿を描いていることに変わりはない。ところが武士の世界を描いた文学になると様子が変わってくる。たとえば平将門について書いた『将門記』をみても、そこで描かれているのは将門個人というよりも、武家の総領として、武士の共同体とともに生きる将門である。いわば共同体の代表として、将門は登場する。そして共同体の代表として死を受け入れる。

 歴史を振り返るなら、次のように考えたほうがよいのだろう。古代社会においては、支配階級である貴族たちのなかに、人間を個人としてとらえる思想が生まれていた。しかし普通の民衆はおそらくそうではなかった。自然とともに、共同体とともに人間は存在していて、自然や共同体と共に生きてこそ人間だった。だから農村を根拠地とする武士の人間観も、民衆のそれに近いものになる。
 
 もっとも江戸時代になると武士が農村から離れて城下町に暮らすようになるから、民衆と武士の人間観は分かれていくのだけれど、中世までの武士は一族郎党と共に生きる武士だったのである。

 それは次のことを示している。人間が自然や共同体と共に生きているときは、個人を独立したものとしてとらえる思想は生まれない。自然や共同体という「他者」があってこその個人なのである。ところが人間が自然や共同体から離れていくと、人間に「自分だけの世界」が現れ、それが『源氏物語』では深い悲しみとして、『方丈記』では社会に受け入れられなかった個人のいらだちとして描かれていく。近代が個人をつくりだしたのではなく、自然や共同体から離れた人間が、個人という心性をつくりだした。
 
 その個人は、自分を何よりも大事にする。自分を守ることを、である。
 
 戦前の日本の社会で生まれていたものは、みんなと共に生きるという一面と、自分自身のために生きるということとの奇妙な統合だったのではないかと思う。といっても、「みんなと共に生きる」という側面も、明治以降の近代化のなかで変化していた。近代国民国家が形成されていくにしたがって、自然や共同体という「みんな」から、国家の一員としての「みんな」に変わった。国家のために生きることが、「みんな」のために生きることに変容したのである。
 
 他方、自然や共同体から離れ、都市に暮らした人々はもっと自己中心的だった。自分自身が生きるために、自分自身を守るために、あるいは自分が出世していくために、戦争という流れに同化していった人がいかに多かったことか。太平洋戦争の渦中では、「この戦争は誤りだ」とか「この戦争は敗ける」と裏では言いながら、実際には戦争を支持し、参加していった人たちが多かった。自分自身のためにそうしたのである。その意味では個人の社会は、戦争への個人の抵抗をほとんど生みださなかった。
 
 近代国家の形成によって、「みんな」のために生きることが国家のために生きることに変わり、他方で個人の社会の成立は、自分が損しないように生きることを最優先する人々を生みだす。そしてその両面をとおして、戦前の戦争体制は確立していった。それが近代以降の時代の現実である。

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 みんなで田舎暮らしをしてのんびり生きようという話ではありません。みんなで生きる以上はみんなのことも思って生きなければならないことです。

 自分の居場所を、自分の立場、背負っているもの、そういうものをしっかりと掴み、自分を忘れないことです。

 親を忘れないこと、教育者であることを忘れないこと、国家公務員であることを忘れないこと、お互い様のご近所の中に生きていることをわすれないこと、忘れちゃならないことがたくさんありますが、みんなで忘れないようにしなければ、この国はもっとよくなる気がします。

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