東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

工作や粘土細工用のワークベンチを製作(2/2)

2023年04月15日 | 建設,工事,修繕

 先月、田布施の我家で子供用ワークベンチの板部品を切り出しました。その板部品を東京の我家に持ち帰りました。ザックの中にその板全てを入れて運んだため、重くて腰を痛めてしまいました。その板をワークベンチになるように組み立てました。各部に穴を開けながら、その穴にネジを通して各板を連結しました。
 このようにして完成したワークベンチでしたが、子供達はこのベンチをちょうど良い長椅子だと勘違いしたようです。端っこに座った時、ワークベンチがシーソーのように大きく傾きました。これを見た娘に「このテーブルは子供には超危険だ!」と叱られました。そのため急遽、傾かないように板を継ぎ足しました。

      ワークベンチのつもりが、子供達にはちょうど良い長椅子


 ワークベンチの端に座ったり立っても傾かない工夫をしました。2m位の長さの板を四本の脚に取り付けました。すると、大人が端に立っても傾かないようになりました。一安心です。このワークペンチは息子に引き取られることになり、私が作った椅子とペアになります。今後は、工作などのワークベンチとして息子の子供に使われることになります。

  接着剤を板に塗る   ドリルでネジ穴を開ける  傾き防止用に取り付けた板
  

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光市岩田周辺の史跡巡りウォーキングの下見(4/5)

2023年04月14日 | 歴史探訪他ウォーキング

 お堂を出ると、通称:吹田道路に向かいました。吹田道路に出ると、トンネルを通ってそのまま善流寺に向かおうとしたところ、もうすぐお昼ではありませんか。昼食場所探して西八幡団地内を歩くことにしました。道を歩いていると遠くに親山羊一頭と子山羊三頭が戯れていました。その山羊に近づくと、とんでもない事を発見しました。子山羊の一頭が倒れていて動かないのです。

         昼食休憩後、山の中腹にある善流寺を訪れる


 山羊達四頭にはそれぞれ紐が付いていました。ところが、その紐が絡まって子山羊の一頭が締め付けられていたのです。そして、地面に倒れていて動かないのです。直ちに、近くに住む飼い主に連絡をしました。少しして飼い主がやって来て紐を外していました。しかし、絡みついてなかなか外れません。やっと外れたと思ったら、倒れていた子山羊の頭がわずかに動きました。一命を取りとめたようですが起き上がりません。体がしびたのでしょうか。飼い主がその子山羊をマッサージしている様子を見ながら出発しました。

 絡まった四頭の山羊達    昼食する公園を探す   昼食後善流寺に向かう
  

 西八幡団地の片隅に小さな公園を見つけました。日差しが暑かったため木漏れ日の下に座りました。そして、談笑しながら昼食休憩を取りました。この周辺の団地はどれも新しいようで、空き家は無いようです。昔は子供の数が多かったに違いありません。

 防陽霊場七十六番札所上岩田大師堂     溝呂井児童公園近くのお堂跡
 

  昼食休憩が終わると善流寺に向かいました。ご住職にご挨拶をして。本番ウォーキング時に再訪することをお伝えしました。その後、上岩田大師堂に向かいました。大師堂は上岩田自治会館内にあります。元々は近くの土地の上にあったことを地元の方に教えていただきました。続いて、溝呂井に向かいました。そして、溝呂井児童公園近くのお堂跡に行きました。

          光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース

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古いスヌーピー(snoopy)型トランジスタラジオの修理(2/2)

2023年04月13日 | 歴史探訪他ウォーキング

 故障個所が、9V(006P)電池を取り付ける端子と分かりました。その故障個所を直すため端子を切り開きました。カッターナイフを使って絶縁箇所をはぎ取りました。やはり、9Vのマイナス端子が断線していました。何年もの間、電池を入れ替えている間に切れたのでしょう。そこで、断線した箇所を半田付けして接続しました。その後、電池を取り付けるとラジオ放送を聞くことができるようになりました。電源スイッチ兼音量調整と周波数調整の両ダイヤルは共に正常に動作しました。治って良かったです。

        9V電池を入れてスイッチON後、ラジオ放送を聞く


 今回のラジオの修理で一番気を使ったのは、断線した9V電源端子の修理です。新しい端子と交換しても良いのですが、このラジオは基板を外すことができません。そのため、端子そのものを剥がして修理しました。今までにない修理方法です。

 9V端子の皮膜を剥がす    端子の内部を露出   切断箇所を半田付け
  

 9V端子の修理が終わって9V電池を付けると、ラジオ放送の音が出るようになりました。ついでに、周波数の範囲をSG(Signal Genatater)で計測しました。すると、510~1640KHzで正常範囲でした。ただ、イヤホン端子がはずれていたため、イヤホンが使えません。専用ナットが外れて無いようでしたので、見繕って取り付けて、さらに接着剤で固定しておきました。
 なお、イヤホンが故障してるようで音が出ませんでした。代わりに私が持っているイヤホンを差し込むと音が出ました。イヤホンで音を聞きたい場合は購入してもらうしかありません。
 とにかく無事に治って良かったです。思い出のラジオだと思いますので、今後も大切に使ってもらえたらと思います。

ナットが無くグラグラするイヤホン端子    周波数範囲を測定の結果、正常
 

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光市岩田周辺の史跡巡りウォーキングの下見(3/5)

2023年04月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

  やまと台団地内を歩いた後、老人憩の家近くの小山に登りました。人丸社,稲荷社,そして荒神社などのお社が複数ある小山です。以前、こ小山周辺で土器の欠片がよく出たそうです。この小山は周辺を見渡せるため、かつては祈り所のような施設が代々あったのではないかと思います。実際、荒神社の拝殿のような建物がありました。周辺の草は刈られているようでしたが、今は使われていないお社群のようでした。

            お堂近くの広場に安置されたお地蔵様群        


 複数のお社がある小山を降りると、あるお堂に向かいました。そのお堂に板が打ち付けてあったのですが、文字がかすれて読めません。わずかに「防」の文字が上に読めます。もしかして防陽霊場かも知れませんが、地元の方でないと分かりません。しかし、防陽霊場であってもおかしくないほど管理されていました。そして、建物横にお地蔵様が何体も安置されていました。 

   小山の人丸社       小山の稲荷社      小山の荒神社
  

 そして、少し離れた広場にも何体かお地蔵様が安置されていました。ご住職のお墓がないので、近くのお寺から説法のため定期的にご住職が訪れていたのではないかと思います。まだ使われているように見受けるお堂でした。本番ウォーキング時に近くの方に聞いてみようと思います。

   道脇のお堂の建物を訪れる       お堂横に安置されたお地蔵様群
 

 このお堂に着いた頃、だいぶ日が昇っていました。直射日光が突き刺さるようでした。歩いていると汗ばんできました。そのため、立ったまま休憩しながら上着を一枚を脱ぎました。三月のためまだまだ暑くは感じませんが、本番ウォーキングは四月の中旬です。半袖でのウォーキングを考えた方が良さそうです。

         光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース

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子供用の背負いワラ籠(ほぼろ版)の試作 完成(4/4)

2023年04月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ワラ籠(ほぼろ版)内に収容する袋を前回完成しました。その袋の縁に紐を通して、絞り止めの玉などを取り付けました。その後、背負うための紐として太めのワラ縄を取り付けました。こうして、背負いワラ籠(ほぼろ版)がようやく完成しました。
 実際に背負ってみました。すると、意外に抵抗感はありませんでした。次回のウォーキングで背負ってみて、耐久性や背負い心地を試そうと思っています。

      完成した背負いワラ籠(ほぼろ版)、史跡巡り時に背負う予定


 太ワラ縄をハサミで切って、背負い用と首筋に付ける固定用の二本を切り出しました。最初、背負い用太ワラ縄の両端をほぼろ上部縁二ヶ所に取り付けました。外れないように、いったんほぐしたワラ縄の端を結び直して強く固定しました。

絞り止め用玉を取り付け   背負固定紐を取り付け  背負い紐を縁に取りつけ
  

 背負うための太いワラ縄は、歩いている時に外れたり切れてはいけません。そのため、取り付け箇所を強固にするため接着剤を薄く塗布しておきました。
 ところで、三歳の子供に背負わせてみましたが大きすぎるようです。10歳位~小柄な人に向いているかも知れません。また、実際に使ってみないと使い勝手や耐久性などは分かりません。次回の史跡巡りウォーキング時に背負ってみようと思います。

  ほぼろの下部にワラ縄を取り付け      三歳の子に大きすぎるか?
 

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光市岩田周辺の史跡巡りウォーキングの下見(2/5)

2023年04月10日 | 歴史探訪他ウォーキング

 浄国寺の鐘撞堂を見ると面白いことに気が付きました。最初、鐘を突くためにどこからお堂に登るのか探しました。隠れた階段があるのではないと思っていました。探していると階段や梯子が無いことが分かりました。さらに、鐘撞堂の天井を見上げると、鐘を突くため紐がぶら下がる穴を見つけました。その穴で分かりました。その穴から地上に垂れる紐を引っ張ると、鐘を突くことができるのです。初めて見る鐘撞堂の構造でした。

    浄国寺を出た後、山陽本線を横切りやまと台団地方面に向かう


 ところで浄国寺の方に、本番ウォーキング時に本堂に上がらせていただくことやトイレを使わせていただくことを快諾いただきました。ありがとうございました。浄国寺を出るとすぐ、小さな池がありました。産卵時期なのか、うるさいほどカエルが鳴いていました。池の傍を歩くと、急に静かになりました。その池からすぐのところにお地蔵様が安置されていました。

   浄国寺の本堂      浄国寺の鐘撞堂     池の近くのお地蔵様
  

 お地蔵様を見終わって視界を広げると、田布施川が見えました。そして、その向こうに三輪神社が鎮座する山が見えました。その後どんどん道を進み、県道を跨いで山の中に入る道をさらに進みました。そして、T字路を右に進むと毘沙門堂の建物と講神社の祠がありました。

    毘沙門堂前のお地蔵様群        講神社の祠と石鳥居
 

 なお、荒神社ではなく講神社と呼ばれるのは初めてです。その講神社前に日清戦争から太平洋戦争までの間に亡くなった方々の慰霊碑がありました。陸軍第五師団・・と刻んでありました。光市地区の方々は陸軍第五師団に入営していたのではないでしょうか。毘沙門堂と講神社を出ると、山陽本線を渡ってやまと台団地方面に向かいました。

          光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース

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古いスヌーピー(snoopy)型トランジスタラジオの修理(1/2)

2023年04月09日 | 古ラジオ修理工房

 私のラジオ修理室に一台のトランジスタラジオがやってきました。スヌーピーの形をしたラジオで、おそらくOEMではないかと思います。1970年型と刻印されていました。子供の頃に買ってもらったラジオとのことで、音が全く出ないそうです。この使い捨ての時代に、故障した今でも大切にしているようでした。思い出が詰まったラジオなのでしょう。
 当時のトランジスタラジオは修理しやすいように蓋を開けることができます。そして、基板上の素子を交換できます。しかし、このラジオは裏蓋を開けても基板が奥底にあるため素子を交換できません。可愛いスヌーピーが売りのラジオで、修理を前提にしていないラジオのようです。

   私のラジオ修理室にやってきたスヌーピー型ラジオ、これから診察


 ところで、スヌーピー型ラジオの箱もレトロです。中からラジオを取り出すと、屋根の上でスヌーピーが寝ています。スヌーピーは取っ手になっており、手で持ってラジオ本体を持ち運べます。
 安定化電源から9Vを繋いでみましたがさっぱり音が出ません。雑音すら出ません。このような故障の場合、経験的にどこかが断線している可能性が大です。なお、断線箇所を探している時に、グラグラしていたイヤホン端子がポロリと外れました。

 スヌーピーが入る箱   屋根上のスヌーピー払拭   イヤホン端子がポロリ
  

 最初どこで断線しているか探索しました。分かったのはブラスの9Vは来ているのに、電源のマイナスが来ていないのです。つまり、電源からのマイナスがどこかで断線していることが分かりました。
 そこで、マイナス電源から順に故障個所を探索しました。黒いマイナス電源端子のコードを試しに引っ張ると、なんと断線していた箇所がするすると抜け出てきました。故障原因は断線です。次は、断線したコードを繋ぐ修理をしようと思います。

 修理に使った可変電圧機(9Vに設定)      断線していた9V電源端子
 

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光市岩田周辺の史跡巡りウォーキングの下見(1/5)

2023年04月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 4月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。前回は、光市の戸仲方面の史跡を巡りましたが、今回は同じ光市の岩田~三輪周辺を歩きました。JR田布施駅に9:15頃集合した後、9:27の下り電車に乗って隣のJR岩田駅で下車しました。すると駅舎で岩田在住のKさんが待っていました。駅舎で合流すると、岩田周辺の史跡の下見をするために歩き始めました。

       岩田の防陽八十八箇所霊場第八十一番札所石亀大師堂


 最初に訪れたのは三輪福祉会館近くの荒神社です。そこは広場になっており、小さな荒神社の祠と鳥居が立っていました。そして、その下には道を挟んで公園がありました。その公園の北側にお地蔵様と御大典記念石碑が立っていました。

 JR岩田駅の陸橋を渡る    荒神社と石鳥居     静かで小さな公園
  

 御大典記念石碑を見終わると、緩い坂道を登って石亀大師堂に向かいました。しばらく道なりに歩いていると、石亀大師堂に着きました。この大師堂は昭和初期に一度再建されたようです。その再建記念石碑が立っていました。次に大師堂を回り込むように墓地に向かいました。墓地入口には親鸞聖人の銅像が安置されていました。

   公園端に安置されたお地蔵様      山道を下って浄国寺に向かう  
 

 続いて、来た道を戻って山道に入りました。落葉が積もった山道をしばらく下ると浄国寺が見えてきました。このお寺は幼稚園を併設しているため幼児の賑やかな声が聞こえました。そして、お寺内に園児たちが遊ぶ遊具がありました。幕末時に第二奇兵隊と関係がある郷校縮住舎が置かれていたとのこと。本堂の屋根が傷んでいましたが、鐘撞堂がとても立派でした。

        光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース

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観光客で混雑していた宮島、いたずら鹿も

2023年04月07日 | 家族関連

 去年宮島に二度行ったと思ったら、今回も来てしまいました。去年は大鳥居が修復中でしたので大鳥居を見ることができませんでした。しかし、今回は干潮と重なったため大鳥居を間近に見ることができました。もちろん触ることもできました。
 快晴でしかもコロナが収まったためか宮島は観光客で超混雑していました。またテイクアウトが無く全て食堂で飲食しなければなりません。そのため、行列で待つのに時間がかかり大変でした。また、いたずら好きな鹿が観光客の食べ物を狙っていました。

       干潮の海、厳島神社から大鳥居に向かって砂浜を歩く


 実は、混雑は宮島口での駐車場探しも同じでした。宮島口周辺をぐるぐる回ってやっと駐車場を見つけました。昼頃だったら駐車場の空きが無かったと思います。万が一駐車場の空きがなかったら、フェリーに車を乗せて直接ホテルに行かなければならないところでした。

フェリーに乗って宮島へ     宮島の鹿に興味     土産物街を散策
  

 去年まで大鳥居は改修中だったため見ることができませんでした。そのため、改修後の大鳥居に期待していました。子供達に大鳥居の勇姿を見せようと手を取って大鳥居まで行きました。
 ところが、子供達は大鳥居には興味を示しません。砂浜でうごめくヤドカリ,巻貝,小魚などを目で追っていました。そして、砂浜に座って砂遊びをし始めました。大鳥居の雄大さが分かるのは10歳以降のようです。やれやれ、あと10年待たないといけないようです。

  改装後の大鳥居に群がる人々      子供達は大鳥居よりも砂遊び
 

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四年ぶりの田布施町さくら祭りを楽しむ

2023年04月06日 | 歴史探訪他ウォーキング

 四年ぶりでしょうか、田布施町さくら祭りが開催されました。久しぶりに楽しんできました。四年前は織物体験コーナーを設営して高校生達に手伝ってもらいました。また会場に郷土館号を走らせました。今回は娘夫婦やその子供達がやって来たため、もっぱら会場を一緒に歩き回って楽しむだけにしました。
 祭りのついでに近くにある郷土館を見学しました。そして、いろり山賊にも行ってきました。山賊では座る席が無く、おにぎりを買って散歩コースの椅子に座って食べました。どこも人が多くてゆったりできませんでしたが、季節柄混雑するのは仕方がありません。

         さくら祭り会場の田布施川両岸は桜が満開


 久しぶりのさくら祭りは四年前よりも混雑していたように思います。お店も10m近い行列でした。そのため、コンビニに行って食べ物を買いました。交流館近くはとても座る場所はありません。田布施川の空いた岸辺にシートを広げました。桜の花吹雪の中、カヌーなどを見ながら休憩を取りました。

  超混雑の交流館付近   田布施川の岸辺で休憩   いろり山賊も超混雑
  

 あちこちのお祭りの後、三丘温泉近くの古民家宿「もりのもむ」に行きました。島田川に沿う道傍にある築100年以上の家です。元々は茅葺屋根なのですが、傷んでいるためトタンが張ってありました。ちゃんとした茅葺に戻すためには数百万の費用と6年以上の待機だそうです。

   郷土館の蓄音機で童謡を聞く       宿泊した三丘の古民家宿
 

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11年ぶりに娘が帰国、墓参り,泥遊び,亀捕り等

2023年04月05日 | 家族関連

 11年ぶりに娘が帰国したので大忙しでした。11年前は一人で田布施にやってきましたが、今回はプラス3人でやってきました。11年前、今後娘はどう生きるんだろうと不安に思っていました。実際に娘の知り合いが同地で若くして亡くなり、それを見取ったとのこと。
 しかし、不安は杞憂でした。この11年の間に、結婚をして、二人の子供に恵まれました。今回は主にその子達の面倒を見るのが私の役目でした。泥遊びや水遊びを教えたり、亀を捕りに行ったり、種ジャガイモを植えたり・・・・と、目が回るような忙しさでした。

         小さな子を猫車に載せて、亀を捕りに出発!


 最初に、ご先祖様のお墓参りに出かけました。今回初めて二人の子供が参加しました。続いて、我家の仏壇前で二人の子供が手を合わせました。その後は婆様とくつろぎました。ただし婆様は甲高い声やドタバタする雰囲気が苦手なので、写真を撮るとすぐに庭に出ました。

  ご先祖のお墓に参る     仏壇にご挨拶      婆様とひい孫達
  

 庭に出ると、子供達の天下です。耕したばかりの畑に水をまいて、泥遊びです。買ったばかりの靴がさっそく台無しです。続いて、亀を捕りに川に行きました。少し遠いので、猫車に乗って移動です。川に着くと、近所の子供が遊んでいました。その子と一緒になって亀三匹とエビを捕まえました。亀は後で逃がしてやりました。

   耕したばかりの畑で泥んこ遊び      近くの川で亀を捕まえる
 

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光市 戸仲及び冠梅園周辺の史跡巡りウォーキング(4/4)

2023年04月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 光市総合福祉センター「あいぱーく光」を出ると、光井川を河口に向かって歩きました。川底を見ながら、砂浜が窪んでいる理由を聞きました。すると、潮を満ちた時にエイがやって来て砂下の貝を掘るのではないかと事でした。エイが貝を食べるために海底を掘る話を聞いたことがあります。シジミの産地がエイの被害にあっているとのニュースを聞いたことがあります。まさかエイとは、カニだとばかり思っていました。

          戸仲漁港の周りをのんびりウォーキング


 光井川をどんどん歩くと橋の袂に着きました。そこには数体のお地蔵様が安置されていました。周りには家が無いのにちゃんと花が活けてありました。このお地蔵様のお世話をする方がいるのでしょう。続いて、スポーツ交流村に行きました。下見時には入ることができなかったヨットハーバーに入ることができました。

  橋の袂のお地蔵様   ヨットハーバーのヨット   ヨットの操縦を見学
  

 ヨットの訓練が始まった時に到着しました。小さめのヨットの上を人が行き来してヨットを傾けながら操縦していました。私も20年位前にヨットを習いたくて、山中湖にヨットを見に行ったことがあります。しかし、仕事が忙してく習うチャンスを逃しました。もうチャンスは来ないでしょうが、ヨットを操縦して海をゆうゆうと渡ってみたいものです。

   戸仲漁港の恵比寿神社        新生仏教の発祥記念碑
 

  ヨットが海に出おわると、腰を上げて近くの堤防に登りました。この堤防から海側のテトラポットで魚釣りができるようです。イカなどが釣れるとか。最近魚釣りをしていないので、これまた海で魚を釣ってみたくなりました。昔、伊保荘の砂浜でキスなどを釣ったり、釣り船で魚を釣ったことを思い出しました。続いて、戸仲漁港を歩いて恵比寿神社を見たり、新生仏教発祥記念碑やその近くにあるお地蔵様を見ました。その後は、スタートした室積MaxValueに戻りました。参加された方々、お疲れさまでした。次回は光市岩田方面の史跡を巡ります。

        光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース

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子供用の背負いワラ籠(ほぼろ版)の試作(3/4)

2023年04月03日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 ワラを編んで、子供が背負うワラ籠が出来上がりました。続いて、背負ったまま走っても中に入れた水筒やお弁当が飛び出ないような袋を作ることにしました。子供に人気があるミッキーマウス柄の布を買ってきて裁縫しました。
 まずは、わら籠の採寸をしました。わら籠の外周は86cm,高さは25cmです。これに合わせてハサミで布を切りました。続いてその布をミシンで縫って、わら籠の内側に入れる袋を作りました。裁縫下手な私ですので、出来の良さは気にしません。

       出来上がった袋をワラ籠に入れる、紐を通して入口を絞る


 ペットボトル用の袋ケースを製作した時もそうでしたが、底を縫うのが難しかったです。丸く切り抜いた底布と側面布を合わせながら縫うのが難しいです。二つの布がずれないようにマチ針が止めていたのですが、縫うに連れて合わせ目がずれるのです。どうしたら上手に縫えるのか今後試行錯誤するしかないようです。定年後の手習い裁縫なので下手なのは仕方ありません。

 採寸した背負いワラ籠   カットした側面と底布   底を丸く縫う、難しい!
  

 下手なりにワラ籠に入れる円柱形の袋が完成しました。紐を引くことによって入口を絞ります。出来上がった袋を良く見ると、特に底部はあちこちに凸凹があります。しかし、袋の底はワラ籠の底に隠れるため見えません。子供は大人と違って細かな所に気が付かないと思います。そのため、これで良しとしました。次に、背負うための紐を取り付ければ完成です。

  入口を絞るための紐を通す箇所     ワラ籠に入れる袋の出来上がり
  

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光市 戸仲及び冠梅園周辺の史跡巡りウォーキング(3/4)

2023年04月02日 | 歴史探訪他ウォーキング

 冠天満宮をでると、かんむり橋をわたって冠梅園に行きました。下見の時には咲き残っていた梅は全て散っていました。本数は少ないですが、代わりに桜が咲いていました。梅園の頂上から少し下がった広場に腰を下ろして昼食休憩としました。春の日差しが刺さるようで、今後は日陰で休憩するようです。休憩が終わると、いったん冠天満宮に戻りました。

      光市総合福祉センター「あいぱーく光」玄関前のトトロ


 冠天満宮からは北に抜ける参道を下りました。下っていると光市の名木ウラジロガシの古木がありました。その古木は巨木で、幹の周りには注連縄が回してありました。昔から地元の方々に尊ばれたのでしょう。その古木からすぐ下に岡庄自治会館がありました。その会館に沿ってさらに道を下ると、お地蔵様が安置されていました。このお地蔵様が好きな理由は、ちゃんとお地蔵様の名前や由来が書かれていることです。将来のためにと残してくれた先人に感謝です。

かんむり橋を渡り梅園に  頂上下で楽しい昼食   ウラジロガシの古木
  

 お地蔵様の名前や由来を読んだ後、トイレ休憩することにしました。下見ではアルクに行きましたが、より近いダイレックスに寄りました。立ったまましばし休憩すると、次の目的地まである光市総合福祉センター「あいぱーく光」に向かいました。そこの玄関に置いてあるトトロです。

   名前や由来が分かるお地蔵様     小休止したダイレックス
 

 私がトトロの映画を見たのはいつのことでしょうか。今でもその映画を子供達は見ているようです。それが分かるのは、昔使われていたダイヤルが無い木製電話のことを知っているからです。実際その電話を小学校に持ち込むと、必ず「トトロの電話だ!」と子供達が言うのです。

       光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース

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桃などの果樹の花が咲き始める

2023年04月01日 | 樹木,果樹

 桜が満開ですが、桜に似た花である桃やスモモも咲いています。桃の花弁は、桜より色が濃く大き目です。今、我家には桃は二本(普通桃と白桃)しかありません。しかし、私が子供の頃、山いっぱいに桃が栽培されていました。桃農家だったからです。
 当時は桃の花を愛でるどころではありませんでした。花が咲き始めると、実を収穫するための数千個近い袋を家族で作っていました。袋にする紙を節約するため、新聞紙を束でもらってきて袋にしていました。張り合わせる糊は米粒を溶いて作っていました。何でも自給の時代だったのです。昭和三十年代初頭のお話です。

          濃い目のピンク色で、花弁が大きい桃の花


 桃園が一番忙しいのは、実を保護するために袋を掛ける時です。家族総員でも間に合わないため、親戚中に声をかけて手伝ってもらいました。従妹達も手伝いに来たため、とても楽しかった事を覚えています。お昼になると、桃の木漏れ日の下に座って重箱を広げて食べました。記憶に残る懐かしい思い出です。
 当時、カメラはとても高価で我家にはありませんでした。そのため、桃の袋掛けや収穫時の写真がほとんどないのが残念です。

    甘酸っぱいグミの地味な花      小さく白いのスモモの花弁
 

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