Sightsong

自縄自縛日記

詩人尹東柱とともに・2015

2015-02-24 22:56:11 | 韓国・朝鮮

中国東北部で生まれた詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)は、日本への留学中に治安維持法違反の疑いで逮捕され、敗戦間際の1945年2月16日、27歳で亡くなった。福岡刑務所での無残な死だった。

尹の生まれ故郷は現在の吉林省・延辺朝鮮族自治州にある。同じ故郷を持つ友人によると、地元でも、韓国でも、知らぬ者はない存在だという。

尹の獄死からちょうど70年後、立教大学で尹の遺品の展示と、朗読会、講演会が開かれたので、足を運んだ(2015/2/22)。尹は当初立教大学に入るも、周囲の不穏さを感じて同志社大学に転学、そしてそこで逮捕された。

会場には、尹が残した詩集『空と風と星と詩』が展示されている。わずか3冊を製本し、そのうち、友人に託した1冊が奇跡的に残された。その友人は、官憲に見つからぬように、家の床下に隠しておいたのだった。そのことばがいかに危険視されたかは、立教大学時代に残した詩を託された者が、その末尾を捨てたことからも推察できる。

確かに、『空と風と星と詩』は、鮮烈、つまり文字通り鮮やかで烈しい力を放つ。 「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば」と、イノチへの愛情と執着とを示した「序詞」がもっとも有名だが、それ以外にも、溢れ出て受け止められず手から情感がつぎつぎに滴りおちてしまうようなものが多い。わたし自身が、金時鐘の翻訳に触れてもっとも印象に残った詩「星をかぞえる夜」には、つぎのようなわすれがたいことばがある。

「星ひとつに追憶と/星ひとつに愛と/星ひとつにわびしさと/星ひとつに憧れと/星ひとつに詩と/星ひとつにオモニ、オモニ、
お母さん、私は星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。」

しかしこれは、ただの若者のセンチメントではない。イノチとことばと名前と故郷を奪われる者の抵抗のことばでもあった。つぎのことばからそれを感じ取ることができる。

「お母さん、/そしてあなたは遠く北間島におられます。
私はなにやら慕わしくて/この数かぎりない星の光が降り注ぐ丘の上に/自分の名前を一字一字書いてみては、/土でおおってしまいました。
夜を明かして鳴く虫は紛れもなく/恥ずかしい名を悲しんでいるのです。」

立教大学のチャペルでは、尹の詩の朗読に加え、宋友恵(ソン・ウへ)さんによる講演「詩人尹東柱が夢見た世界」があった。

宋さんによれば、恥というものに敏感で、理想的な世界を希求した尹にとって、当時の日本は、ことばや名前を奪う国であり(尹も、日本では平沼という名前を使った)、故郷を奪った国でもあった。特高警察の尋問に対し、尹は、朝鮮の独立が夢なのだと陳述したという。

そうして改めて「たやすく書かれた詩」を読んでみると、恥や怒りを一身に抱え込んだ尹の姿がみえるような気がしてくる。

「人生は生きがたいものだというのに/詩がこれほどもたやすく書けるのは/恥ずかしいことだ。」

●参照
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘の訳)
中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園(和龍は尹の故郷)


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