詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ポール・グリーングラス監督「ジェイソン・ボーン」(★★)

2016-10-09 20:02:45 | 映画
監督 ポール・グリーングラス 出演 マット・デイモン、トミー・リー・ジョーンズ、アリシア・ビカンダー、バンサン・カッセル

 簡単に言うと、飽きてしまった。アップのショットの連続に。
 「ボーン・アルティメイタム」では駅のシーン、新聞記者が殺されるまでが非常に緊迫感があって、あそこだけで★5個をつけてしまうなあ、私は。
 でも、それが成功するのは、駅という場面が「日常的」だからである。知らない駅だけれど、どこの駅にも通じるものがある。列車の時間に合わせて人の行き来するさまざまな人の流れ、キオスクの場所、その他の通路。その「距離感」が「肉体」を刺戟してくる。だから、思う存分に「見えないシーン」を想像し、興奮する。「全景」がわからなくても、「全景」を観客は知っている。
 ところがね。舞台が「外国の街」では「全景」がわからない。だから、どんなに緊迫感をあおられても「距離感」がつかめないので心底どきどきしない。
 私はたまたまアテネに行ったことがあるので(あ、こういうことを書きたくて書いているのかも)、冒頭の国会議事堂前の広場のシーンは、それなりにどきどきはらはらした。あんな狭い広場で逃げられるのか、すぐに見つかるじゃないか、と思うからである。アップだと奥行きがわからないのだけれど、あの広場にはもともと奥行きなんてない。
 でも、それ以外の街は、うーん、どれくらい逃げたのか、どれくらい「敵」が接近してきているのかがわからない。だから、緊張しない。あ、またアップの連続で緊張を高めようとしているという感じしか受けない。
 それに「敵」から逃げるシーンが、毎回毎回人込みを利用するといいうのは退屈になってきたなあ。
 さらに、それに輪をかけるのがコンピューター上の「経路」。そんな「地図」を見せられても「実感」なんてわかない。知らない街なので、その「経路」がほんとうかどうかもわからない。現実の都市なのに、架空の世界。まるでテレビゲーム。(あ、私はしたことがないのだけれど。)そんなものを映画で撮るなよ。撮るにしても、せめて「実写」、つまり空撮と組み合わせろよ、と言いたくなる。おまけみたいに、街の空撮は、その街の最初の方に、場所を明確にするために「観光写真」のように挿入されているけれどね。
 だいたいモニターの画面なんて、金も人も動いていないじゃないか。人が動いてこそ、映画なのに。
 それを補うために、猛烈なカーアクションがあるのだけれど、これはこれで興ざめだなあ。あんりに衝突を繰り返しながら、車って走れる? SWATの車はそれなりに頑丈につくられているのだろうけれど、マット・デイモンの乗った車は単なる高級車(?)じゃないのか。衝突したらエアバッグが作動するんじゃないのか。どうも、いいかげんだなあ。私は、こういう「非リアル」なご都合主義の映像は大嫌い。がんばって撮っているのはわかるが、おもしろくない。
 これが、あの傑作「ユナイテッド93」をつくった監督とは思えない。結末がわかっているのに、もしかしたら全員助かるのではなんて期待させる映画なんて最初で最後。
 昔はいい映画をつくっていたのになあ、といことを思い出させてくれる映画だね。
            (天神東宝ソラリアスクリーン7、2016年10月09日)



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自民党憲法改正草案を読む/番外30/皇室会議の行方を予測する

2016-10-09 09:23:39 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党憲法改正草案を読む/番外30(情報の読み方/皇室会議の行方を予測する)

 2016年10月08日読売新聞夕刊(西部版・4版)の「KODOMOサタデー」。子ども向けのニュースの紹介欄に「生前退位」のことが書かれている。その最後の一段落。

 生前退位をめぐっては、「天皇の考えで自由に退位できると、混乱が起きるのでは」といった意見もあります。国民の意見を聴きながら、しっかりと議論をつくすことが大切です。

 これに、私はびっくりしてしまった。
 だれの意見か明記していないのが一番の疑問点だ。だれが、そんな意見を言ったのだろう。こういう意見があるということは、今回の天皇の発言とその後の動きを、天皇が引き起こした「混乱」と見ているということだろうか。
 ここから、この「混乱の責任は堪能にある」「こういう天皇は退位させなければならない(天皇が自発的に退位するのではなく、強制的に退位させる必要がある」という考えが生まれてくると思う。そういう「考え」がどこかに隠れているように、私は感じてしまう。
 「天皇の考えで自由に退位できる」というのは、角度を変えてとらえ直すと、「天皇の考えで、天皇の地位をだれかに譲る(継承させる)」ということ。しかし、「自由に譲る(継承させる)」と言っても、譲る(継承させる)相手は「皇太子」しかいないと、私は思う。「皇位継承順位」というのがあるのだから、その「順位」にしたがって、いまの状況なら天皇が皇太子に「天皇」の地位を譲ることになるのだと思う。
 憲法第二条にも「皇位は、世襲のものであつ、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」とある。「世襲」と決まっているなら「混乱」など起きない。決められた順位が違ってくる、乱れてくることを「混乱」というのである。いま、天皇が退位し、皇太子が天皇という地位を継承したとしても、それを「混乱」と感じる国民はいないのではないか。
 なぜ「混乱」ということばがつかわれたのだろう。
 また天皇が「生前退位」を望むときがあるとすれば、高齢とか病気とか、天皇の仕事ができなくなったときだろう。それは「天皇の考えで自由に退位する」というのは、まったく違うだろう。「自由」の入り込む余地は、とても少ないはずだ。高齢とか病気とかは、天皇が「自由」に操作できることではないからだ。

 そう考えてくると。

 これは、もしかすると、天皇が退位し、皇太子が天皇になることに対して、それを阻止したいと考えている人がいるということかもしれない。
 天皇が「退位」するかどうか、だれが継承するかということは天皇や皇室典範で決めることではない、天皇以外の人が決めることだと思っている人がいるということではないのか。「天皇」の退位、皇位の継承を「自由」に操作したいと考えている人がいるということではないのか。皇太子にではなく、別な人を「天皇」にしたいと考えている人がいるということかもしれない。
 天皇が「生前退位」をするにしても、それを決めるのは、天皇ではなく、別の人。その人が天皇を退位させる。ということは、当然、次の天皇に対しても、何らかの「影響力」を行使したいともくろんでいるということだろう。
 その「証拠」が、今回の問題を「特別法」で対処しようとするところにあらわれている。
 「皇室典範」を改正し「生前退位」をルール化すれば、そこに「皇位継承順位」以外のものが入り込めない。「その人」の「意思」が反映されない。それでは、まずいのだ。「皇位継承順位」のまま「天皇」の地位が引き継がれていくと、「その人」が「天皇」に関与できなくなる。影響力を持てなくなる。
 「その人」は、では、どんな形で「天皇」を操作しようとしているのか。「摂政」を置くという形だろうと、私は妄想する。
 だれが「天皇」かによって、そのつど「特別法」で「退位」を操作する。自分の思いにならない天皇は「退位」させる。天皇の「自由」にはさせない。
 そしてこのとき、「退位」は「譲位」という形をとらず、「天皇」を残したまま「摂政」という形になるかもしれない。天皇が生きている限り、「天皇」という「皇位」をそのままにして、つまり「天皇」をお飾りにして、「天皇の代理である摂政」を置き、その「摂政」を支配する。そういう一連の「動き」を「自由」に操作、支配したいのだろう。
 「天皇の考えで自由に退位できる」という表現のなかの「自由」ということばが、逆に「天皇の自由」ではなく、「その人」の「自由」にしたいという思いをあらわしているように、私は読んでしまう。
 「有識者会議」がどんな「結論」を出すのかわからないが、「今回は生前退位を認める。ただし、まだ天皇が生きているので、そのことに配慮する必要がある」というようなことを盛り込みながら、「新しい天皇」の行動をできる限り制限する、つまり「その人」の「意思」が反映されやすいものにするという「制度」が提案されるのではないか。

(現行憲法)
第三条
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 これを自民党憲法改正案では削除し、「第六条第十項の4」で次のように定めなおしている。

天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。

 似ているが、違う。現行憲法で「内閣の助言と承認を必要とし」と書かれている部分が「内閣の進言を必要とし」に変更されている。「助言」は、たとえば「法律ではこうなっております、皇室典範にはこう書かれております、それを参考にされてはいかがでしょうか」ということになるだろうが、「進言」は少し違うのではないか。もっと直接的に「意思」を伝えるものではないだろうか。また、その「助言」に「内閣の承認」が必要というのと、「内閣の承認がなくてもいい/承認の省略」も違うだろう。「承認」は一種の「内閣の総意」、それが必要ではないとなれば、その「進言」は内閣のだれかの意思をそっくりそのままあらわしたものになるだろう。
 「承認を必要とする」と定められていない。だから、承認を求める必要はない、承認を求めなくても、それは憲法違反にならない、と「進言」した「その人」は言うに違いない。

「天皇の考えで自由に退位できると、混乱が起きるのでは」といった意見もあります。

 この「意見」を言ったのはだれなのか。読売新聞は書いていない。書かれていないから、「その人」が存在しないわけではない。書くと大問題になるから書いていないのかもしれない。書かれていないから「重大ではない」のではなく、逆に書かれていないからこそ重大ということもある。
 「KODOMOサタデー」という、子ども向けのページ(大人が読まないだろうページ)、さりげなく書かれていた「自由」という一言から、私は、そういう「妄想」をする。




*

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このブログで連載した「自民党憲法改正草案を読む」をまとめたものです。
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