和食の成立は、稲作農耕民族であった弥生時代と言われているが、
先代の採集狩猟民族の縄文時代の食生活(1万年以上)から連綿と反映
されてきたから誕生したものといえる。弥生時代に入ると水田耕作技
術と同時に、金属器も大陸から伝えられ、食文化の基本である米が伝
来し安定した食糧需給が始まる。
弥生時代末期から古墳時代初期にかけて、「魏志倭人伝」に日本人
の生活が描かれている。漁労をして生野菜を食し、米飯などの食事は
手で食べたとある。古墳期には渡来人も増え、鉄器等の農具が持ち込
まれ土木技術も進み水田が増えていく。須恵器などの器も生まれ、竈
で米を蒸して食べるようになる。
各地の遺跡から出土したものを元に再現された「卑弥呼の食卓」が
展示されていた。季節は春を想定され、野菜を盛り込んだ炊き込みご
飯、真鯛の塩焼きや煮物、ハマグリとイイダコのワカメ汁、鮑の焼き
物などが並ぶ。
NMNS(台東区上野公園7-20)
先代の採集狩猟民族の縄文時代の食生活(1万年以上)から連綿と反映
されてきたから誕生したものといえる。弥生時代に入ると水田耕作技
術と同時に、金属器も大陸から伝えられ、食文化の基本である米が伝
来し安定した食糧需給が始まる。
弥生時代末期から古墳時代初期にかけて、「魏志倭人伝」に日本人
の生活が描かれている。漁労をして生野菜を食し、米飯などの食事は
手で食べたとある。古墳期には渡来人も増え、鉄器等の農具が持ち込
まれ土木技術も進み水田が増えていく。須恵器などの器も生まれ、竈
で米を蒸して食べるようになる。
各地の遺跡から出土したものを元に再現された「卑弥呼の食卓」が
展示されていた。季節は春を想定され、野菜を盛り込んだ炊き込みご
飯、真鯛の塩焼きや煮物、ハマグリとイイダコのワカメ汁、鮑の焼き
物などが並ぶ。
NMNS(台東区上野公園7-20)