塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 行幸 京都行幸

2020-09-30 05:47:01 | ミュージアム巡り_2020
 明治45年(1912)7月30日、天皇が崩御され直ちに皇太子・嘉仁
親王が践祚される。後の大正天皇。大正4年(1915)11月6日、大
正天皇は登極令に従い京都へ行幸され、京都御所で大礼に臨まれる。
 展示資料では、同日の行動が午前3時30分から様々な予定が組ま
れている「大礼記録」(巻60)。
 大正5年5月、大礼の記録を編纂するため内閣に大礼記録編纂委
員会が設置され作業に着手。この「大礼記録」は当初公開を意図し
ておらず、宮内省図書寮と内閣が管理する内閣文庫に納めるため2
セットのみ製作され、現在、宮内省公文書館と同館に所蔵されてい
る。巻1〜128からなる綴りの他、写真や絵図、生地見本など様々
な資料で校正されていた。

 写真は、京都への行幸の際、鹵簿が宮城前広場に設置された奉祝
門を通過する様子が写されている。中央の飾りの付いた馬車が御料
車。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 行幸 皇太子巡啓

2020-09-29 05:40:26 | ミュージアム巡り_2020
 次の書は、皇太子・嘉仁親王の東北6県への巡啓にあたり、東宮
大夫の村木雅美が内閣総理大臣・桂太郎に提出した巡啓の予定書。
 皇太子は、明治41年(1908)9月から10月にかけて、福島、山形、
秋田、青森、岩手、宮城への視察巡啓を行い、青森では陸軍工兵の
演習見学も含まれていた。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 行幸 微行

2020-09-28 05:44:01 | ミュージアム巡り_2020
 宮内大臣の田中光顕から訪問先の両県知事に対して発せられた訓
令に関する文書が、これ。訓令は知事を通じて県下の市町村にも伝
えられた。
 明治32年(1899)10月、皇太子・嘉仁親王は広島県、兵庫県への
巡啓を行い、滞在中の沼津から軍艦で広島へ向かい、広島から神戸
へ鉄道移動した後、軍艦で神戸を出航、再び沼津へ帰るというもの
ものだった。
 この資料では、「微行」という言葉が使われ、花火や国旗の掲揚
など派手な出迎えを行わないよう達している。

 次の新聞頁は、同年11月4日付けの大阪毎日新聞朝刊で、嘉仁
親王の巡啓の様子を伝えたもの。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 行幸 大本営を東京に

2020-09-27 04:17:56 | ミュージアム巡り_2020
 明治28年(1895)4月、下関条約の締結により、日清戦争は終結。
それに伴い、大甫運営は同月、京都へ移動。同年5月29日、京都
から東京へ再び移動し、天皇は東京へ還幸される。
 この書には、東京観光の日程を示した5月27日付の宮内省告示
に関する資料。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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Weekendの麺処巡り 高ひろ で 煮干しといりこの塩

2020-09-26 13:44:59 | 麺_2020
 本日、9月26日、蔵前3丁目にオープンした新麺処「蔵前 中
華そば 高ひろ」へGO。

 こちらは元イタリアンの「プリマベーラ」という屋号のお店だ
ったところで、オーナーシェフが以前からやりたかったというラ
ーメン店に業態変更。

 うんちくなどを眺めると、スープの素となる食材に店主の拘り
が見えてくる。その生産地の材料を見るだけで、味の孤高度が伺
え期待度もマックスに。

 そして、登場した一杯、器の中から煮干しがほんのりと漂い、
それぞれ盛られた具にも下仕事のあとが見える。海苔に盛られた
煮干ししらすが芳ばしく、数タイプの煮干しとミックスされ旨味
が昇華していく。今までにないウマ味で心が豊かになっていく。

旨かった、ご馳走様。

蔵前 中華そば 高ひろ
台東区蔵前3-16-3
11:00〜スープ&麺が終了まで 定休日不明

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