塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 江戸時代の天皇 甲子夜話

2019-07-31 05:37:34 | ミュージアム巡り_2019
 次の書は、平戸藩主・松浦静山による将軍や大名についての逸話
から市井の風俗や外交情報まで多彩な記述のある随筆「甲子夜話」
(全35冊、太政官正院歴史課、修史局、修史館、内閣臨時修史局旧
蔵)。
 寛政元年は1789年1月25日に行われ、公家に限ってはこの日か
ら“寛政”が使用される。ところが、武家や町民は幕府から改元の触
れが出るまで新元号を使用することが出来なかった。全国に周知す
る権限は幕府が握っていた。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 江戸時代の天皇 柳営録_2

2019-07-30 05:40:25 | ミュージアム巡り_2019
 次の書は、寛政から文政期にかけて、目付から勘定奉行、さらに
大目付を歴任した中川忠英が、幕府の記録を借用し抄出した「柳営
録」(全18冊、中川忠英旧蔵)。
 展示書は文政元年(1818)から同3年までの事項が記されており、
ここでは改元の周知方法が示されている。
 改元が行われると、京都所司代を経て江戸に改元の知らせが届き、
それを受けて幕府は諸大名や旗本等に改元を周知する。
 展示頁には、文政元年の際、5月4日に江戸にいる大名や旗本等
を江戸城に惣出仕させて改元を周知しているとある。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 江戸時代の天皇 改元定難陳詞

2019-07-29 05:40:31 | ミュージアム巡り_2019
 次の書は、万治から嘉永までの改元に際しての難陳を記録した
「改元定難陳詞」(全2冊、坊城家旧蔵)。
 展示頁には新元号を決める時の難陳(議論)が記されている。
 提出された新元号案に対して、その吉凶や典拠、字の構成や音
等を分析して決める。
 新元号として採用された“文政”には、応仁の乱直前の元号であ
る“文正”と音や響きが似ていることから反対。また、逆に“寛政
・文化”から一文字ずつ用いており、同時代が平和であったこと
から賛成といった意見が出されたと記されている。

国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 江戸時代の天皇 公武御用日記

2019-07-28 06:19:53 | ミュージアム巡り_2019
 次の書は、文化14年(1817)から天保2年(1831)までの武家伝
奏を務めた広橋胤定の役務日記「公武御用日記」(全5冊、広橋家
旧蔵)。
 展示頁の内容は、新元号の選定や決定と幕府のことが記されて
いる。
 清岡長親と五条為定、東坊城聡長から出された新元号案を朝廷
内部で検討し、候補を絞り込んでいく。その候補を幕府へ提示し、
判断を仰ぐ。
 文政改元の際、朝廷は候補の中から“文長”と“文政”が良い
とし、特に“文政”を幕府に伝える。後に幕府から“文政”で良
いとの返答が到着し、“文政”に決定した。

国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 江戸時代の天皇 改元申沙汰記

2019-07-27 06:25:25 | ミュージアム巡り_2019
 次の書は、文政改元の“一会伝奏”(改元伝奏)を務めた徳大寺実
堅著の記録書「改元申沙汰記」(全1冊、坊城家旧蔵)。
 展示頁には次のことが記されている。
 “文政”という新元号案は、清岡長親と五条為定の2人が出した
が、提出した年号勘文を見ると、それぞれ典拠とした書籍が異なっ
ているとある。
 清岡は「漢書」から“選豪俊、講文学、稽参政事、祈進民心”
(豪俊を選び、学問を講じ、政治について考え、参加させ、民心を
善導したい)という文を出典している。
 また、五条は、「群書治要」から“政平於人者、謂之文政矣”
(政治が平等であることを文政という)という文を出典としている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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