塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 病と生きる 庶民向け対処法

2023-12-31 04:37:52 | ミュージアム巡り_2023
 次の書は、徳川吉宗の命を受けて幕府医師・林良適と丹羽正伯が編纂
した庶民向け医学書「普救類方」(享保14年・1729刊)で、紅葉山文庫
所蔵の和漢医書の中から、庶民が入手でき使用しやすい簡単な民間療
法を選んで収録されている。そして庶民でも読解できるように漢文で
はなく和文で記され、薬草図も添えられている。医学観旧蔵、全3冊。
 薬も手に入りやすく医師も多い都市部に比べ、薬や医師も少ない地
域では、十分な医療を受けられない生活を余儀なくされる。そんな医
療格差を改善するため、八代将軍吉宗は医学書の編纂を命じ刊行され
たのが同書だった。この書の出版後、諸国へ頒布された。
 展示頁は、腹痛の対処法が記されており、生姜をへその緒の上に敷
いて、その上にお灸を添えると良いとある。また胡椒を粉末にし酒に
煎じて飲むと良いなど、様々な対処法が記されている。

 なお、この対処法はあくまで江戸時代のもので、その効果が科学的
に証明されたものではない。健康を害するだけでなく症状を悪化させ
るおそれもあり、絶対真似をしないでくださいと、イエローの注意書
きが添付されていた。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 病と生きる 両頭の鳥

2023-12-30 05:28:39 | ミュージアム巡り_2023
 次の書は、江戸市中で剣術指南をしていた藤川整斎が著した「安政雑記」
で、日常の見聞や珍しい記録がまとめられている。主に安政年間(1854~
60)の諸記録が収録されている。太政官正院歴史課・修史局・修史館・内閣臨
時修史局旧蔵、全16冊。
 安政4年(1857)、加賀国白山に熊野権現の使いと称する両頭の鳥が出現
し、“世の中の人・九分に死の難があり、朝夕自分を見れば死から遁れる” と
いう風説が流れる。両頭鳥の描かれた絵チラシに、その風説内容が記され
ていた。
 この絵には後日談がある。同年6月18日の “申渡” では、江戸捨軒町(現
在の中央区明石町)の鉄五郎らがこの絵を摺り売りさばいたところ、不届き
であるとし幕府より江戸払いが命じられる。さらにこの絵を摺った中橋広
小路町(現在の中央区京橋1丁目)に住む常五郎は、罰金五貫文が命じられ
たとある。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 病と生きる 神猿の流言

2023-12-29 03:29:35 | ミュージアム巡り_2023
 次の書は、文化・文政年間(1804~30)の街談をまとめた記録「街談文
々集要」で、現存するのは文化元年から同13年のみ。著者は石塚豊芥子
(通称:鎌倉屋重兵衛)、内務省旧蔵、全18冊。
 文化11年(1814)4月、“今年疫病が流行り、世界七分通り死亡する。
これを遁れるには、再び正月をする必要がある” との流言が飛び交う。
坂本日吉山王社の神猿が “今年は豊作となるが、人々が多く死亡する。
それを避けるには新年を改め5月1日を元旦とし、病気の災難をよける
が良い” と進言する。
 この猿が言ったことを「明言神猿記」と題して、街中を売り歩く者も
出たとか。蜀山人(大田南畝)は“正月は二度はいわえど大晦日、払いのこ
とは何の沙汰もなし”(正月を二度祝うのは良いが、年末の支払いについ
てはなんの沙汰もない)と狂歌を詠み、本書の著書・石塚豊芥子はこの流
言の末尾に、世の中に出回る妄言を信じ、金銭を費やすことは愚かなこ
とだと記している。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 病と生きる きし乙

2023-12-28 02:42:15 | ミュージアム巡り_2023
 次の書は、林鵞峰が著した漢詩文集「鵞峰先生林学士全集」で、文集
と詩集に分かれ、附録に鵞峰自身の略歴が記された自叙譜略が収録され
ている。元禄2年(1689)の序文があるので、その頃に刊行されたと考え
られる。
 鵞峰は、江戸時代前期の儒学者で林羅山の三男だったが、兄二人が早
世したため家督を継ぐ。「寛永諸家系図伝」の編纂や「武家諸法度」
の制定に携わり、「本朝通鑑」「日本王代一覧」などの史書を著した。紅
葉山文庫旧蔵、全105冊。
 展示頁には、病気に効く“まじない”が記されていた。
 延宝2年(1674)、江戸市中ではまじないが流行っていた。「きし乙」
という文字三字を書いて貼り出しておくと、疫病に効くという。さらに
詳しく、同年6月、鵞峰が門人の津村宗哲のために書いた漢文「畀津哲」
に記載がある。
 この「きし乙」とは“天から降ってきたもの”、あるいは“今の天皇が夢
で見たもの”という意味で、この風説が江戸中に広まり各家々の戸口に貼
られたという。宗哲はこの「きし乙」が明代の書物「群談採余」に記載
があると述べている。
 鵞峰は証拠があるからといって信じるべきではなく、偶然にも効果が
あったことをみだりに誇るべきではないと言い、宗哲をたしなめている。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 病と生きる はやり病気

2023-12-27 02:42:39 | ミュージアム巡り_2023
 次の書は、文化・文政年間(1804~30)の街談をまとめた記録「街談
文々集要」で、現存する書は文化元年から同13年のみ。“文々”とは文
化・文政の略。著者の石塚豊芥子は江戸時代後期の考証家、通称:鎌
倉屋重兵衛で、江戸市中で辛子粉屋を営むかたわら、風俗研究や所蔵
家でもある。内務省旧蔵、全18冊。
 展示頁は、“はやり病気”のことが記されている。
 文化5年(1808)6月、団子を食べれば病から逃れるという奇妙な噂
が流れる。それによれば、同月26~27日の内、一升(約1.5kg)の米粉
を用いて88個の団子を作り、これを家内の者だけで食べさせ、今のは
やり病から逃れられるとのこと・・・。
 この流言を信じ、団子を作り食べた者も多くいたという。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする