橡の木の下で

俳句と共に

宮地玲子句集『黒潮』

2024-05-07 17:16:43 | 句集紹介
『黒潮』

令和6年5月1日発行
著者 宮地玲子
発行所 Baum
私家版

著者略歴
昭和11年 鹿児島県鹿児島市生
昭和55年 「ざぼん」入門
昭和56年 「馬酔木」入門
昭和59年 「橡」創刊入門
令和3年 青蘆賞入選
令和3年 「橡」同人

合同句集
平成14年 「現代鹿児島俳句大系」第16巻
平成元年 「風花合同句集」三

問い合わせ
〒606−8107
京都市左京区高野東開町1−23
東大路高野第3住宅23−102


宮地玲子句集
   『黒潮』に寄せて

 宮地さんに初めてお目にかかったのは関西俳句会の折。住み慣れた南国から京都に移られた後のこと、数えてみると八十台にかかろうかという頃であったか。それまでは鹿児島在住の実力俳人として誌上では存じ上げていた。剛毅薩摩の地を離れ、古き都へ、大きく環境が変わり戸惑いはなかろうか、慣れ親しんだ南の友垣との別れは心細いことではないか、他所ながら案じられるところ。初対面の印象は、知的な落ち着きと、抑制の効いて、それでいて深い余情を湛える宮地さんの俳句そのもののお人柄であった。その後も京の山下喜子先生のもと、とどまることなく句境を深めていかれるのに目を見張った。
 俳歴四十年、米寿の記念とも呼ぶべき『黒潮』作者の略歴を拝見して、なるほどと合点がいった。鹿児島にて米谷静二先生、野村多賀子先生、徳留末雄先生方の薫陶を受け身に付けられた良き調べ。また橡俳句の自然への憧憬。筋金入りである。
 ご主人の転勤に伴い諸処に住まわれたとのこと。何処においても地に足付いた観察眼が活きている。幼少期は旧満州で過ごされた由。内地と大陸二つの文化を経験されて幼い時より自ずから複数の視点を内に持っているのだろうか。宮地さんの俳句の一つの鍵のようにも思う。
 駄弁はこのくらいで、順番に頁を繰って作品を見よう。

制服に秋暑の火山灰を持帰る
海紅豆青春を子は島に住み
寒雲や四方に夕鶴湧けるなり
すかんぽや島忘れざる一教師
桜蘂ふるや流離の教師らに

 ご主人は高校の生物の先生で、任地鹿児島県内の各地七校に勤められ、その度に家族一緒に移り住まわれたとのこと。中でも鶴の出水市、奄美大島はことに印象深かったと聞く。

くはず芋梅雨の銀滴こぼしけり
団栗や峡にひと日の刃物市
確かむる帰化草の名や夜の秋
砂蹴りて子等も駆けたり浜競馬
筬音のこもる小径や月桃花
がじゆまるの樹陰涼しき椅子二つ
隼人の血継ぐみどり児ぞ天高し
流離また峡に李の花満つる
あこう樹は大き影もつ原爆忌
かたはらに夫のルーペや夜の秋
初東風や大葉打ち合ふ翁椰子
先ぶれの声ぞ鶴守耳聡き
花野行く記憶の中にロシア飴
白鷺は幣振るごとし天降川

 移られた先々の地の自然、風物を眼差し深く見つめる宮地さん。また植物に詳しく吟行仲間は頼りにされたと聞く。家庭でもご主人との話が弾んだ日々であったろう。

樟の花離郷のこころ定まりぬ
飛花落花八十路の月日飛ぶごとし
蔓茘枝頼り頼られひと日過ぐ
京住みに慣れしは榠樝熟るる頃

 平成二十六年娘さんの住まう京都へご夫婦で移住。樟の花、蔓茘枝、榠樝の実等々、宮地さんの選ぶ植物は派手やかさを抑えたものが多く、その中に趣きが溢れる。視点のよろしさと言うべきか。

振れば音夫蒔かざりし種袋
颯と風辛夷百花の震ひたる
囀りや人ら寡黙に過ごす世を
秋思わく夫の胴乱遺れるは
遺されし牧野図鑑も曝書せり

 忽と訪れたご主人との別離。胸の内はいかにと押しはかられる。そして囀りの句、コロナ渦中をこのような措辞で詠われるとは。
 これからもさらに宮地さんの作品を学ばさせていただき、ここに『黒潮』の御上梓を心よりお祝い申し上げる。

                               三浦亜紀子

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