橡の木の下で

俳句と共に

「秀風先生」平成28年『橡』7月号より

2016-06-26 11:30:31 | 俳句とエッセイ

 秀風先生    亜紀子

 

 買物帰り、近くの大学のキャンパスのフェンスに沿って歩く。青葉の桜の木のまわりで椋鳥たちがしきりに騒いでいる。こんな時期にも群れるのだろうかと不審に思い立ち止って見上げれば、一羽の小柄な鴉が何やら狙っている様子。電線から電柱へと少しづつ移動する。その度に椋鳥はじゃーじゃーと濁声でがなり立てる。中に二羽、ピッピッと鋭く高い警戒音を発する者がいる。厳しいがどこか美しく、且つ痛々しい声だ。鴉の方はうんともすんとも言わず、椋鳥の威嚇など痛くも痒くもないようである。いささか小憎らしいが、去年も同じような場面に出会った気がする。その前の年も。これが自然の摂理というものなのだろう。運動部の学生のランニングが近づいて来て、私は退散。

 島崎秀風先生の訃報。このところのご病状は伺ってはいたが、どうにも寂しく、頼りない心持ち。昨年父が亡くなった時、ご自身は奥様を亡くされたばかりであった先生は、母へのお悔やみの電話口で男泣きに泣かれた。今年の新年例会には出席なさり、知り合いの杣に山中で猿を紹介された話など語られ、飄々としていつもと変わらぬようにお見受けした。ご無事にお送りしますからと、八王子句会のご婦人方に付き添われ代々木の銀杏並木を帰って行かれた。別れ。何者にも留め得ぬこととは知りながら、誰かに留めて欲しいと願うのである。

 秀風先生の背広姿はなかなかのジェントルマンであったが、例会参加の折のバンダナ姿は風狂の徒。野の鳥や獣を愛し、釣をよくした先生はどこか浮き世離れしていた。

 自身が一病を抱えていらしたことは存じ上げなかった。奥様の看病をされていた日々を想像し昨年来の句を振り返る。

 

声もなく輪をくり返す山別れ  平成二七・一月

 

 目の前の鷹の山別れを描きながら、これから訪れるであろう、またこれまでに繰り返されて来た、先生自身の「別れ」というものを述べられているように感じられる。如何ともしがたい人の世の有様であり、もはや声もない。

 

霜夜子が母の笑顔を見に見舞ふ  平成二七・二月

 

 ご子息方が先生のお宅のすぐ近くに住まわれているそうだ。晩方に母上を見舞う日常であったろうか。笑顔と母親とは同義だろう。

 

底冷えの夜鳥の声をひとり聞く 平成二七・四月

初雪は別れの白さ妻逝けり   同右

 

 奥様との別れ。これ以上身にしみる底冷えはなく、これ以上胸締め付ける白さはない。

 

家を守る九官鳥や万愚説  平成二七・六月

母の日や九官鳥は妻のこゑ  平成二七・八月

 

 とにかく生き物好きの先生。独り居となって、もの言う鳥をやや複雑な表情で眺めている。母の日の句は前掲の九官鳥の句のふた月後の発表。思わず言葉を呑んだ。

 

 悲しみの句ばかりではない。仙人然とした田園の暮し振り。

 

小鳥らに負けず熟柿を啜りけり 平成二七・一二月

 

 鳥好き高じて鳥になってしまわれたようだ。

 

穴まどひ追ひつめられて力づく 平成二七・二月

不思議なり大紫蝶の鳥を追ふ 平成二七・九月

 

 追いつめられて精魂尽きるのでなく、むしろ反撃にでた蛇。そんなこともあるのかと本当に不思議な蝶の行動。常日頃詳しく自然を見る目。

 

木瓜の咲く岨より望む副都心 平成二七・六月

鶯の籬をつたひやがて鳴く  平成二七・七月

畑人に茶を運ぶ子や冬うらら 平成二八・一月

茶の花や畑の母呼ぶ里帰り  平成二八・三月

 

 畑の二句は、もしかすると遥かな日の郷愁かもしれない。これを書きながら私自身の諸々の感情というものも少しづつ「懐かしさ」に塗られていくような気がする。