Nonsection Radical

撮影と本の空間

ジグザグジグザグひとりきり

2011年04月30日 | Weblog
おもに京都・大阪間でブラブラ歩いているのは定期券の利用範囲であるからだ。
だから駅を起点に徘徊するのだが、駅間を渡り歩く事も多い。
当然目印に線路を利用するのだが、線路伝いに歩いていけないところが多いのには疲れる。
線路に沿って道路がなく、時折り線路をまたいで道路がある。
時には道路の方向がすべて線路を突き抜けるようになっていて、平行に歩くのには遠くまで歩かねばならず、結果的に歩き方がジグザグとなってしまう。

今日もそうやってやっと駅までついて、駅前の街路図をみたら、線路と道路の作りが45度傾いている。
だから線路沿いに歩くにはジグザグしなければならなかったのだ。
そして道路の行き先は旧街道となっていて、旧街道とは直角に交わっている。
つまり道の作りは旧街道が利用されていた時代から変わっていないのだとわかる。
東海道線ができて100年はたっているのだから、その100年の間で流動経路が変わっていないのだ。
もちろん昔山野や田畑であったところを住宅地にした場合など、新たな道路が造られており、それはだいたい直線的で接続先が駅や幹線道路である事が多い。
一方、昔からの道は曲線的、つまり自然の地形に沿った、あるいは何がしか宗教的理由等で曲がっており、接続先がある場合は旧街道が多い。
ある場合、というのは、昔の集落の作りからして、普通集落の出入り口はひとつの場合が多く、集落内で道が行き来していても、最終的にはひとつの道からしか外へは出入り出来ない。
そういう集落へ入ってしまうと、グルグル回ってもどこへも行けず、結局元来た道から出て行くしかない。
その唯一の道が続く先が旧街道となっている。

なぜそういう作りになっているのか想像すると、基本的に集落内での移動で普段は足りていて、外に用がある場合は街道を利用する用件であると。
隣の集落とは道がつながっていないのは隣同士での交流がなかったからだろう。
交流する必要などないのだから。
むしろ隣同士の集落間で仲が悪い場合が多い。
水利の問題や恋愛などイザコザになる話が昔から多い地域がある。
そうでなくても基本的に自給自足の生活であったので、交流というのが必要であるなら、街道へ出ての交易が多かったのではないか。

少なくとも鉄道が敷かれた100年ぐらい前はそういう生活をしており、鉄道が集落を分断したところには踏切が作られて集落間の行き来に不便がないようにされた。
そう言えるのは、踏切を渡ってもどこへも行けない閉鎖空間がいくつもあったからだ。
線路を渡る事でしか外へ通じる道路へ出れない空間。

そういう道が残っている現在では、自動車で移動するのに狭くて曲がっていて方向の自由がきかない昔ながらの道は不便で、自然と移動は幹線道路が中心になる。
すると幹線道路が混雑するのだが逃げ道はない。
そこで自動車専用道路を高架で作るのだが、専用道路というのはある一定の距離でしか乗り降り出来ないので、途中は単に横断の利用を妨げる障害物でしかない。
専用道路の左右で流通が分断されるのだ。
それがますます生活道路の行き来を不便にする。
また、古い集落の道路は現在も人の交流の妨げになっているので、新たな物と人の出入りがなく、周囲が都市としてどんなに大きくなっても、そういう集落では全体がさびれて朽ちていくところが多い。

まあそういうところを「学術的に」(笑)歩いているのだけれど、今日もビデオカメラを回しながら歩いていて、ふと行き当たった場所でビックリ。
何ヶ月か前に徘徊して写真を撮った場所だったのだ。
それが今日の画像(笑)。
イイ場所は気づかずとも何度も歩いてしまうという事だ(苦笑)
映像はそのうちに。
コメント
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