satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

御都合主義

2016年10月31日 | Weblog
ラジオというのはすっかり年寄りの聴くものとなっているのだけれど、そのラジオでハロウィンの”騒ぎ”が話題になった際に、リスナーの声として「迷惑だ」というものが取り上げられていた。
若い連中が街を”占有”することに対する反発の声として、交通渋滞だの治安の乱れなどと理由を挙げて「自粛」せよと言ってるわけだが、「何言ってるんだぁ?コイツラ」と思う気持ちと、「そうそう」と思う気持ちが一緒に湧き上がってきた。
日頃から不景気ダァ、なんとか”してほしい”と他力本願の言葉を吐く連中が、近年珍しく「経済効果」が見込まれる”お祭り騒ぎ”に文句をつけるのはどんな根性してるんだと呆れるのが前者の気持ちで、もともと騒がしいことが嫌いなたちなので街が騒がしくなるのが嫌だなと思うのが後者の気持ち。
ただし、文句を言っている連中がちっとも気にしない”自分たちのお祭り騒ぎ”に対しても嫌だなと思っているのが違うところ。
文句を言っている連中が繰り広げる”地元のお祭り”とか、年始詣りとかも自分にとってはハロウィンと同類の迷惑な騒ぎに変わりない。
しかし迷惑だと感じても迷惑だからやめてほしいとは思わない。
思わないが、自分たちに馴染みのある騒ぎには寛容で、他人のそれには文句を言うというのなら、こちらもやめてほしいと言いたくもなる。
普段自分たちが馴染んでいることになんの違和感を抱かないというのは自然なことなんだけど、他人の行為で違和感を感じることに出会った場合には、さて自分たちにとっての自然なことは他人にとってはいかがなものなんだろうと考えてほしいものだ。(考えるわけがないけど)





登戸駅前の街並み
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 16時05分
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断線短絡

2016年10月27日 | Weblog
当事者でないとわからない状態というものがあって、周囲では単なる気の緩みとかボンヤリとか怠けているとか思われてしまうけど、本人はかなりヤバイと自覚している症状というものがあって。

最近、一連の動作の中で突然とんでもないことをしている場合が多くなって、その瞬間気がつくのだけど後の祭り。
自分では気をつけている(つもり)なのに、突然のことに自分でもビックリしてしまうことが多発している。
近直の例では、耳に消毒薬をつけようと綿棒に消毒液を垂らすつもりが、消毒薬の隣にあったムヒ(!)を綿棒につけていた。
つけた瞬間、「違う!」と気がついたのだけど、頭の中では一連動作で間違うはずもない動きだったのに。
きっと医者に行って、様々な検査をすればなにがしかの結果が出るかもしれないが、そうしたからといって”治る”ものであろうか。
ボケの始まりとして、こうして記しておけば後で「ああ、あの頃から」とわかるのでと恥ずかしさもかなぐり捨てて書いている。
当人にとっては、すぐに気がつくこと(気がついていないこともあるかも)なんだけど、取り返せない失敗もあるわけで(汗;)、何やってんだよ思われることも多いのだけど、スゴく気にしている。
他人に迷惑をかけないようにするには家に引きこもっているしかないけど、それでは生活が成り立たない。
なんとかならないものかと思う毎日であるが・・・



民家園通り商店会 3
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 15時35分
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キャッチボール

2016年10月26日 | Weblog
電車の隅の席に座ると、ドア脇に高校生のカップル(アベックともいう)がいて、健全な距離感を保ったまま会話をしていた。
すでに26時間以上寝ていないので、すぐにでも寝たいのだけど、楽しげな弾んだ声を聞くと、どうしても聞き耳を立ててしまう。
ジョシの声は時をかける少女の原田知世をもう少し透き通った声にした感じの心地のいいものだ。
一方のダンシは、どうでもいい、どうでもいいが明らかにジョシとの会話が楽しくて仕方ない弾んだものだ。
会話の内容から、ダンシは少し上級生のようだ。
話の内容などないに等しいのだが、それでいいのだ。
ただお互いの声を交わしあうことが重要なのである。
言葉のキャッチボールが二人の心をときめかせるのだから。
心の汚れたオッサンはすぐに邪心を抱くのだが、それでも物事の良し悪しはわきまえているので、コイツら絶対に手を握るぐらいで止めておいたほうがいいぞ、と勝手に線引きをする。
手を握るだけでドキがムネムネするじゃないですか。
もちろんそれ以上に接吻などすれば、さらにワクがムネムネするだろうけど、そうすると手を握ることのドキドキ感がなくなってしまうんだな。
高校生ぐらいの時には、あとあとの思い出のためにも手を握るぐらいでストップ性欲したほうがいいのだ。
ああ、どうしてあの時にやっておかなかったんだぁ、と後悔するぐらいが美しい思い出となるのです。
そう思うぐらいジョシの声は透き通った清涼飲料水のような爽やかさがあった。
そうなるとどんなツラ、ではなくどんな御尊顔をなさっているのかと拝見したくなるのだが、そんな夢のない行為に走るほどオッサンは愚かではない。
これまでどれほどそうやって煮え湯を飲まされてきたことか・・・
一般社会の中に原田知世はいないのである。
そんなのジョーシキさ。
オッサンはひたすらジョシの声を咀嚼し、妄想を膨らませて26時間の睡魔から逃れようとしたのだ。
しかし、ターミナル駅に着くと、二人の会話は止まり、床に置いたカバンを取ろうと二人は上半身を傾けた。
当然向かい合う二人の顔は近づき、ああそれ以上近づくと触れてしまうよと思わず声をあげそうになった。
幸いなことに二人の顔が重なることはなかったので、オッサンは胸をなでおろしたのだが、ジョシが顔を上げた瞬間、オッサンは拝んでしまったのだ。
えくぼのあるスゴくかわゆい子だった。
永遠のジョシである。
誰にも手さえも握らせない。
声も聞かせない。
彼女はオッサンだけのマドンナだ!と心で叫ぶが、あえなく二人は電車を後にしたのであった。
言葉のキャッチボールは許すが、手は握らせないぞ!



民家園通り商店会 2
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 15時20分
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もし独裁者ならば

2016年10月24日 | Weblog
街中で流れる特に公共交通機関の注意喚起アナウンスを全廃してやる。
そして本当に必要なものだけを厳選し、適した音量で必要な時にだけ流れるようにしてやる。
途切れることなく、手を出すな、端を歩くな、電話をするななどなど効果も考えずに、ただ責任逃れの言い訳のためにだけ流される注意喚起アナウンス。
次の駅に着く寸前まで「乗車の際の注意」をくどくど大きな音声で流す電車。
本当にこれで効果があるのだろうか。
効果があるのならホームからの転落もないだろうし、ドアの荷物の挟み込みもないだろう。
アナウンスで防止できないものをアナウンスだけで済ませてしまっている。
不注意での事故は自己責任だろう。
大人が子供に教え聞かせて伝えていけばいいことを、安直にアナウンスだけで済ませようという考えがさらに安易な考えの人間を生んでいる。
電車内での通話を禁ずる根拠は?優先席付近で電話の電源を切る根拠と効果は?そもそもアナウンスをする効果は?
それをどれほど考え抜いてやっているかの数値的説明は?
な〜んにもなくて何も考えずに従来通りのことの繰り返しではないのか。
その結果が無駄な”騒音”である。
社会がすべて注意喚起アナウンスであふれ、誰もそれに注意を向ける気にもならない。
そんなものなくしてしまえばいいのだ。
必要なことは必要な人が各自伝えていけばいいのだ。
それがオトナの社会というものだろう。
頭を使わない幼稚な社会なら独裁者が必要なのかもしれない。
無駄な騒音アナウンスのない静かさが欲しい。



小田急 向ヶ丘遊園駅南口前
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 15時15分
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バドガール(死語)

2016年10月21日 | Weblog
お腹が冷えるので腹巻きを探していたんだけど、寅さんのような毛糸のものが見つからない。
綿素材の薄手の物が主で、これだと暫定採用のタオルと変わらない。
そんなことを家人に言ったところ、持っているというので見せてもらった。
化繊のアウトドア用で薄いが暖かいという。
ただゴムがきついので使わないというので頂戴した。
本来は二つ折りにして使うようだが、折らなければ胸元から腰までカバーする。
さっそく試用するが、これってバドガールじゃない?と一人でポーズを決めて悦にいる。
つまりなかなかセクシーなのだな(笑)
これをつけて仕事場に行ったところ、もう腹巻きの季節かぁと言われたので、バドガールですよと答えると、絶句された挙句、お互い疲れているんだから冗談はやめようと諭される。
もうバドガールという言葉自体が死語だとも言われる。
ええ?バドガールが死語なの?とこちらが驚くが、そういう時代なのだろう。
こちらは11PMのウサギちゃんがまだ現役記憶なんだけど・・・



向ヶ丘遊園の街並み 1
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 14時45分
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