satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

消えるホワイトカラー

2011年04月02日 | Weblog
昨日から電車内ではフレッシュマン(死語)の姿が見られるようになった。
雰囲気、姿からそれとすぐわかる。
顔立ちがまず幼い。
姿に疲れが見えない。
着衣がみんな同じ。

男女問わず白いシャツの襟がまぶしい。
安スーツは比較的黒系統が今年は多いようだ。
靴はどれも安っぽい。
ビジネスバッグも量販店で売っているものだ。
真新しいランドセルを背負う一年生と同様に、すぐに「一年生」とわかる。

が、どうしたことか「二年生」の姿が見えない。
昨年、やはりピカピカの一年生として、同様に真新しさを放っていたはずの「旧一年生」が、どこにいるのかわからないのだ。
3月までの電車内というのは、通勤時でもドンヨリとした年寄り臭い空気が漂う疲れきった空間であった。
しばらくの期間、若者はどこにいるのだろうと観察していた時期があるのだが、若リーマン、OLの存在感がまったく感じられないのであった。
ひょっとすると通勤時間帯が違うのかとも考えたが、年齢別で通勤時間が変わるわけもなかろうと、じろじろと人の群れを眺めるのだが、いるのは若いのか老いているのか判別がつかないオトコと、明らかに老いているオヤジの群れである。
ヤング(死語)OLの姿もいるはずなのに見つからない。
それが、4月になると若者会社員の存在がハッキリ目に見えたのだ。

ところがその姿がしばらくすると消えてしまう。
象徴的であるシャツの白い襟が見えなくなるのだ。
みんな辞めてしまうのか?
そんなわけはあるまい。
一年以内にみんな、あのどんよりとした年寄り臭い陰気なグループに組み入れられてしまうのだろう。
年齢不詳の疲労感漂うグループに。
疲労蓄積型経済社会なのだろう。
それで新しい経済活動が出来るのだろうか。

というsatoboはというと、10年以上着古した労務者ファッションで「異彩」を放っているのだが、こういう異彩は大阪には多いので目立つ姿ではない。
違いはビッグイシューを売るか買うかの違いぐらいだ。
その差はほとんどない。
コメント (2)
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