とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

高齢者の自動車運転

2019年12月28日 | 日記

 年の瀬、今年もあと3日になり、何となく慌ただしさを感じるこの頃である。振り返って、全国的な異常気象による猛烈台風と河川決壊による洪水被害の多発が心に残る。庄内は大した風水害がなく助かったのだが、山形県沖地震が起きた。まだ、ブルーシートの屋根が痛々しく残っている。

 今年気になったのが、車の暴走による事故の多さがある。逆走運転やブレーキとアクセルの踏み間違えと思われる暴走、衝突の痛々しさである。酒田市でも26日に、原付バイクと自動車2台が絡む事故が国道7号線で起きた。事故の報道に触れる度に、せめて高齢者運転で無い事を祈ってる。

 交通インフラの少ない地方では、車は身体の一部であり、生きていく上で不可欠な足でもある。それに、高齢者が圧倒的に多く高齢者事故が目立つ。

 高齢で身体能力が衰えるのは仕方のない事である。もちろん、衰え方の差は万別である。本人と家族の助けをかりた自覚で決断する事だ。

 75歳以上になると、運転免許証の交付に認知機能検査が義務付けられる。最大のポイントは16の絵を見せる。数字のゲームをした後に、見せられた16の絵を思い出して書く事である。これが認知機能の検査で、それなりに認知できれば問題はない。踏み間違えやぼんやり運転がこれとと関係するのかも知れない。自動車は体の一部と言ってもスピードが違う。

 自動車の進化は続く。AIで高齢の失われた機能を補完する車が普遍化する日は近い。

 事故に気を付け良いお年をお迎え下さい。

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新枡川ふ化場の成果

2019年12月21日 | 日記

 全国的な鮭の不漁が報道されている。特に太平洋沿岸は例年の2割程度の漁獲量との事である。地球温暖化の影響なのか、海流の変動によるものなのか、専門家の分析を待つことになるが、豊穣の海の異変に、不吉な予感がよぎる。

 枡川ふ化場がオホーツク沿岸漁協の指導を頂き、関係機関の協力の結果最先端のふ化場として改築、設備投資をして3年目を迎えた新枡川ふ化場を訪ねた。ふ化場に入るや明るい皆さんの談笑に不安は吹き飛んだ。

 尾形組合長によると、新ふ化場から放流したサケ稚魚が3年魚として、 滝渕川に母川回帰する年であり、成果が現実として現れる運命の年である。当初の予測では厳しい数値だったが、しかし、終わってみれば30%プラスの遡上となった。3年魚が増えた事は、本番の来年に4年魚の遡上数が増えることに繋がると思っている。正確な要因は専門機関の分析を待たなければならないが、成果があったと思うと語ってくれた。

 この事は、桝川漁協のみならず、海面定置の増殖にも繋がる近年にない明るい話題として、全国的な不漁の中でのキラリと光る成果と言える。

 どんな厳しい環境の中でも、母川回帰出来る遊泳力のあるサケ稚魚を育て放流する事こそが豊穣の海につながる。皆さんへの期待は大きい。

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久し振りの忘年会

2019年12月14日 | 日記

 県議会議員を退任して8ヶ月になろうとしている。退任当初は、何だかんだと結構忙しくしていたし、農作業に入り例年のことながら育苗、田起こし、代掻き、田植えと農繁期が重なった。その後に参議院選挙や、酒田市長選へも駆り出され、それなりの日々を過ごした。

 6月に「感謝の会」を開催し、私の後援会は解散をした。その後皆で集まることは無くなった。色々な所で「おー。しばらく」と挨拶を交わしたり、飲み会で一緒になる人もあった。自動車の走行距離がガクンとと落ちた。県庁まで往復250キロを何度往復した事か。選んでくれた選挙区の思いを、県庁に届け続けた距離である。

  誰からとはなしに「皆で忘年会をやろう」と声が上がった。それがだんだん広がって、事務所の調理人と言われた足達さんが断を下し忘年会が決まった。12月11日に市内某所に後援会のコアなメンバーが集り近況報告が始まった。政治的な話はやめようとは言っていたが、やっぱりそこに話は進む。

 私が「山形県沖地震で瓦屋根の復旧の遅れは、地元業者以外は修理を発注しない。人夫要請だけで酒田の瓦屋は応援のしようが無い」との酒田瓦業者の話をすると、話が横道にそれた。酒田市と鶴岡市の気質違いや、酒田市は孤立しているのでは等、言いたい放題になった。

 二次会にも付き合った。そこで「会を立ち上げ、年2~3回は集まろうと一決した。「政治は抜きだぞ」と言ったが、どうなることやら。

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定期観光バス「わじま号」

2019年12月07日 | 日記

 金沢奥能登定期観光バス(わじま号)は毎日運行されている。金沢駅東口7時50分スタートで夕方5時頃着の一日コースである。バスには数名の団体客二組位と一人旅の数人、それに私たちを乗せて出発した。ベテランガイドさんの軽快なトークで気分が良かった。

 金沢名物「平種なし柿」は庄内から北前船で伝わったもので、現在に至っていると語りだし、酒田の本間様や36人衆の豪商鐙谷邸、山居倉庫や「おしん」など詳しく酒田の案内をしてくれたそうだ。肝心な時ウトウトしてしまった私は、ガイドさんに「すみません」と頭を下げた。

  大きなサービスエリアでひとりが迷子になった。バスは少し待ったが見切り発車をした。どうして追いついたのか次の休憩所では合流できた。同年代らしき女性で「方向音痴なの」と打ち明けられ、朝市からは一緒に散策した。新潟の方で、写真が趣味らしく彼女とは親しくなった。

 もう一つ驚いたことがあった。乗った「わじま号」」のナンバー「108」だったのだ。私のロゴ108(とうや)で、長年会報を作って来たので奇遇である。ホームページの「ちょこっとフォト」に載せた。

  海岸沿岸を車窓から眺めながら進んだ。機具岩や世界一長いベンチと見どころ満載である。千里浜なぎさドライブウェイでは、砂浜8キロを車やバイクで走れる日本唯一の浜辺だと言う。自転車の人もいた。「わじま号」はここを走って帰路についた。

 能登半島は何度か視察はしたが、定期観光バスの旅はドラマがある。    

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能登のキリコ会館

2019年12月01日 | 日記

 能登の祭りと言えば日本遺産に認定されてる「輪島大祭(能登キリコ祭り)」が脳裏に焼き付いいているが、それを展示するキリコ会館に行った。夜空に浮かび上がる巨大な「キリコ」を連想しながら、大小30基ものキリコは圧巻だった。大きいものは、4階建のビルに相当すると言う。

 能登地方には各町内から、キリコと呼ばれる大きな奉燈(御神灯)を神輿として担ぎ出す風習があったと説明された。祭り囃子と光の演出で、キリコ祭りを幻想的に再現した様子が、スクリーンに映し出され、シーズン以外でも祭りの雰囲気が味わえた。とにかくスケールが大きい。

  見ることは出来なかったが、おもてなし広場のステージでは、仮面をつけた「御陣乗太鼓」の演奏もあるという。テレビで見る仮面をつけた人々が夜空に打ち鳴らす幻想的な奇祭に思いを馳せた。

 能登に残った独自の文化は、観光面で保存され能登の未来へと繋がれていく奥深さを感じた。

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